診断時:65歳
インタビュー時:72歳

1994年に診断を受け、1995年にTURP、外照射、1998年にホルモン療法、2000年に冷凍手術

語りの内容

――放射線治療の後に冷凍手術を受けることに決めたのはなぜですか?話し合ったのですか?

それしか方法がなかったからです。がんが再発し、またPSAがどんどん上昇していたものの、外部に転移はしていなかった。幸いその頃には冷凍手術ができるようになっていました。ですから、私は最初に冷凍手術を受けた2人のうちの1人です。がんが再発して使える方法がこれならば、受けるしかないでしょう。

――手術はNHSで受けたのですか? 費用は政府が支払ったのですか?

はい、そうです。でも、それ以来、患者支援団体が代わりにすべて払ってくれました。私はがんにかかってからこの患者支援団体に参加したのですが、治療基金(Heal funding)というものがあります。後でパンフレットを差し上げますが、治療基金は勿論包括的な研究をしていますが、私のことでは必要品の供給ですね。

――入院して冷凍手術を受けたときのことを初めから終わりまで話していただけますか?

はい、準備はほかの手術と同じで、手術をする箇所以外の全身の健康状態の検査がありました。翌日に前投薬を受け、手術は2時間で終わる予定だったのですが、私の場合は8時間かかりました。冷凍手術ではカテーテルを3本留置するのですが、1本はお腹に、もう1本は会陰部に留置し、最後の1本は尿道を保温するためのものです。3本目をどこに留置するかはご想像におまかせします。

――尿はお腹から排出されるのですか?

はい、お腹からです。もう1本は手術中に尿道を保温するためだけに挿入されるもので、そうしないと大きなダメージを受けてしまうのです。

――このときは全身麻酔を受けたのですか?

そうです。レポートを読んでいたので局所麻酔でもいいことは知っていましたが、8時間もの間局所麻酔では耐えられなかったでしょうから、全身麻酔でよかったと思います。

――手術に長い時間がかかった理由はご存知ですか?

いいえ。

――その後のことを詳しく聞かせていただけますか。

長い時間がかかりましたね。X先生は、泌尿器科医だけでなく同席したガン専門医やレジデントへも、手術手順のあらゆる面について説明していたようですから。

――意識が回復したときどのように感じ、それからどうなったのか詳しく聞かせてください。

意識が回復したときは、他の手術と基本的に同じでした。しくしく痛むのは当たり前ですが、一番驚いたことは患部が入院した時よりは全体的に縮んでいたことでした。今でもそうですが、刺すようなしびれがあります。でも、これは純粋に選択肢が他にあるかという問題で、私はこれをとるでしょう。重要なのは、冷凍手術はまた受けられるということです。再発したとき何度でも受けられるというのは非常に重油で、放射線手術も受けられますが、限度があります。

――何日間入院したのですか?

5、6日です。はい、入院した日を入れると6日間です。

――それは普通ですか、それとも少し長かったのですか?

予定より少し長くなりましたが、この治療法はまだ始まったばかりの段階ですから、医師はリスクを避けて、きちんと抜管してから退院させたかったのだと思います。

――排尿カテーテルのことですか?

そうです。カテーテルを入れたまま歩き回って、人に会っているときに誤って栓が開いてしまったりしたら大変ですからね。

――手術の後はすぐにベッドから下りることができたのですか?

はい。

――翌日に?

はい、でも入院中は必ず弾性ストッキングをはいていなければなりませんでした。これは近頃は絶対的な必需品です。

――退院する前に抜管できたのですか?

はい。

――その後は問題なく排尿できましたか?

そうでなければ退院させてもらえなかったでしょう。

――副作用はありましたか?

尿カテーテルが抜けてからは全くokでした。もちろんこのちくちくする感じを除いてはね。もちろん、最初のうちは血が出ましたが、それは想定されていました。

――尿に血が混じっていたのですか?

そうです。

――失禁はありませんでしたか?

ありませんでしたが、少し漏れることがあって、とりたてて言えば不便でした。

――それは今でも続いているのですか?

今は問題ありません。手術は成功だったと思います。

私は: です。

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