インタビュー時年齢:27歳(2019年6月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・社会福祉(2010年度入学)
首都圏在住の男性。小中は普通学校で過ごしたが勉強についていきにくく、いじめもあったので、高校は特別支援学校に進学した。大学では社会福祉を学び、社会福祉士の国家試験に3度目の挑戦で合格した。卒業後は自立生活センターで仕事をしており、1年半前から一人暮らしを始めた。日常生活では、大学時代に出会った聖書の言葉に強く影響を受けている。

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プロフィール詳細

正弘(まさひろ・仮名)さんは、関東地方出身。両親と自分の3人家族で育った。脳性麻痺で上下肢に障害があるが、自力歩行をしている。言語障害もある。小学校は母親の希望もあって普通学校に通い、中学まで普通学校で過ごした。だが勉強のスピードが速くてついていけなかったのと、小中はずっといじめを受けており、高校はもういじめを受けるのは嫌だと思って、特別支援学校を選んだ。それまでは友人に助けてもらうほうが多くどこか申し訳なさを感じていたが、高校進学後は、友人と初めて「お互いさま」の関係ができ、一緒に遊びに出掛けたり、勉強面では試験で高得点を取ることができた。高校は、自分に自信を持てるようになった時間だった。
親の希望もあって、大学に行くことは最初から決めていた。何を学ぶかを考えた時、障害を持つ人に対して友達として何かできたらいいと思い、また自分の障害のことも知りたいと思って、社会福祉を学べる大学に進学した。入学したのは障害学生に理解のある大学だったので、特別に「交渉する」というわけでもなく、日常的な会話の中で、受けるサポートの内容がスムーズに決まっていった。社会福祉士の受験資格を得るコースだったので、180時間の現場実習が課せられており、実習にも行った。
合格率が当時25%程度の社会福祉士の国家試験については、当初自分は合格するのは無理だと思っていたし、4年生の時はプレッシャーしかなかった。だが卒業後、誰にも何も言われない環境下でマイペースに勉強を続けていたら、3度目の挑戦で合格できた。社会福祉士になれたことより、合格率約25%の試験に自分が受かったことが本当に夢のようで、自分もマイペースにやればできるんだと非常に大きな自信になり、合格は誇らしかった。
就職に関しては、紆余曲折あった。実習前は、なんとなく将来自分は障害者施設の職員として働くだろうと思っていたが、大学時代、障害者施設で実習を行い、自分も障害者で利用者も障害者なのに、施設では「職員と利用者」の関係にならなければならず、それに違和感があって、施設職員の仕事は自分には向いていないと感じた。また一般企業も考えたが、一般企業の厳しい環境で働くより、自分の体のメンテナンスをしながら楽しくいたいと思って、自立生活センターで働くことを選んで今も続けている。
もともと幼い頃に父の膝の間でスキーを滑っていて、中学の移動教室の前に家族で行ってからは毎年家族でゲレンデに出ており、大学でもスキーサークルに入った。宿泊行事もあるので、自分の障害や喘息を持っていることなどは、周囲の友人、先輩後輩に話すようにしていた。友人関係では、大学時代の後輩とはとてもいい関係で、今も付き合いが続いている。
1年半前に、知人から勧められて一人暮らしを始めた。一人暮らしを始めたことで、母親と一緒にスーパーに行ってお互いの家の物を買いながら、「これを買っておくと、肉じゃがに使えるよ」などと、ちょっとしたことを教えてもらうような機会が増えた。親とは今では、実家にいたら話題にしなかったことを話せるような関係になっている。一人暮らしは時間のやりくりが大変だが、収穫はとても多く、一人暮らしを勧めてくれた知人には感謝している。
大学在学中に東日本大震災が起きたことがきっかけでチャプレン(聖職者)と話し、聖書と出会った。聖書の言葉を知るうちに、中学校の時の成績不振や、自分をだめだと思っていたこと、また普通学校から自分が「排除」されて特別支援学校へ進学したこと、自分が障害者であることなどの意味が、聖書の言葉で表されているように思えた。それからは、神様は傍にいてくれて、いつもいい答えを用意してくれているから、今を頑張って生きようと思うようになった。また聖書に出会ってから、自分の障害のことも受け入れられるようになった。キリスト教の大学を選んだのは偶然だが、聖書の言葉に出会えたことは、自分の中で今も大きな意味があると思っている。

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