インタビュー時年齢:27歳(2019年6月)
障害の内容:肢体不自由(脳性麻痺)
学校と専攻:大学・社会福祉(2010年度入学)

首都圏在住の男性。小中は普通学校で過ごしたが勉強についていきにくく、いじめもあったので、高校は特別支援学校に進学した。大学では社会福祉を学び、社会福祉士の国家試験に3度目の挑戦で合格した。卒業後は自立生活センターで仕事をしており、1年半前から一人暮らしを始めた。日常生活では、大学時代に出会った聖書の言葉に強く影響を受けている。

語りの内容

――何か授業以外で自分のことについて相談をするとか、そういう感じで教職員と関わったことみたいなのってありますか? 

まあ、なくはないんですけど何だろうな、あんまりそういうのも少ない。
でもチャプレン、学校の牧師さんとは…、何ですかね、相談したりしたことはあります。

2011年に東日本大震災が起きて、自分の死が怖くなってた時期があるんです。大震災だけじゃないんですけど、きっとテレビ放送で芸能人の訃報とか何か出たときに、何となく死んだら終わっちゃうのかな、何も考えなくなっちゃうのかなって。
そっからまず大学のカウンセラーに当たって、その後チャプレンに話して、そのときに聖書に出会ったんです。これが大学3年生の秋ですね。
もちろん1年生で一般教養で(キリスト教の授業は)やるんですけど、そのときは、興味がないって言ったら失礼ですけど、授業として聴いてたので、あんまり分かんなかったんですけど、3年生の秋に話して、(チャプレンから)「じゃあ、授業来れば」って。秋の初旬ごろ聴講させていただいて。
そのときはイエス・キリストの生涯について学んで…、そのとき、あ、神様っているのかなっていう、ことを思うようになり。で、4年生になって、授業少なくなるので、あらためて、その授業を、そのチャプレンの授業、1年生の授業を本格的に履修登録をして、聖書に触れ合ったんです…。
その結果、何かいろんな聖書(の言葉)に出会うことがあって、死だけじゃなくて、今までのつらかったことが全部つながったんですよね。
自分、さっき言いましたが、中学校のとき成績不振で自分を駄目だって思ってたこと、そして排除されて、特別支援に行ったこと。で、自分が障害者であるってこと…、全部がつながって自分の中で解決できたんです。
で、聖書の言葉も…、最初、そうなの?っていう言葉も今、日常生活で送っていると、あ、この場面は、あの言葉の言うとおりだ、この場面はあの聖書の箇所と同じ意味だって。そうしたときに、あ、神様はいるって。
イエス・キリストは3日後に復活して、天に召されましたが、いずれ俺も天に逝く。

自分の大好きな聖書を読み上げてもいいでしょうか…。
これは『新約聖書』の「エフェソの信徒への手紙」っていうものがございまして、その2章の8節から10節にこんな言葉があるんです。
「事実、あなた方は恵みにより、し、信仰によって救われました。このことは自らの力によるものでなく、神のたまものです。行いによるのではありません。それは誰も誇ることがないためなのです。なぜならば、私たちは神に造られたものであり、しかも神が前もって準備してくださった良い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。私たちは、善い業を行って歩むのです」、こういうみ言葉があります。
この聖書(の言葉)をたまたま見つけたんです。衝撃を受けました。それは今まで、自分の努力の結果のものだと思ってて、努力が足らない、自分の行いに結果が付いてくるのだと思ってました。
もちろん努力も必要だと思いますが、全て神様がつくられた、神様から人間へのプレゼントなんだっていうふうに気が付いたときに、あ、これで良かったんだって、そう思えるようになって。
もちろん聖書の言葉で、障害を受容するっていかがなのっていう声も、事実ありますが、もちろんこれで事実を全て受け入れたっていうのは変ですけど、とは言いませんが、何か。ちゃんと自分の障害を知る、向き合う・・・・、とても重要だと思ってます。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧