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インタビュー時年齢:49歳(2021年2月)
障害の内容:オーディトリー・ニューロパシーによる聴覚障害
学校と専攻:大学・文学部(1992年度入学)、大学院(修士課程)・発達社会科学(1997年度入学)、大学院(博士課程)・心理学(2000年度入学)、大学・福祉経営学部(2017年度入学)
北陸地方在住の女性。小学校5年生の時祖父に聴覚異常を指摘され、耳鼻科を受診したが、原因が特定されなかった。その後も聞こえの悪さに苦労しつつ、大学で心理学を専攻し、博士号を取得後、大学教員になった。2017年に精密検査を受け、音は聞こえていても言葉が聞き取れない、オーディトリー・ニューロパシーという病気であることがわかり、2020年に左側の人工内耳の手術を受けた。現在は教職の傍ら、大学で社会福祉を学んでいる。
語りの内容
これまで、診断がつくまでは、自分の体の状態を、自分でも正確に把握できていなくって、なんだかよく分からない部分があったんですね。そのよく分からない部分をこうだましだまし、ごまかしごまかし、人にはばれないように過ごしているところがありました。だんだん困り始めたのが、大学院入ってからなんですけれども、例えば聞き取りにくくて困ったっていうことを言わずに、いかにごまかすかっていうことにすごくエネルギーを使って生きてたんですね。当時おバカキャラなんていうのがテレビなんかではやってましたから、聞き間違えたり聞き落としたことを、いわゆるおバカキャラ的な振る舞いなんだっていうふうに分かって、そういうふうに受け取ってもらえるように努力したりとか、ちょっと天然ボケ的なところがあるんだとか、おっちょこちょいなんだとか、緊張してるからだとか、ほかの原因に取ってもらえるようにものすごくエネルギーを使ってた時期があったんですね。普通なんだけれども、ちょっとそういう緊張しいとか、おバカキャラで、やむなくなんですよっていうふうに、ごまかしごまかしキャラを演じて、どうにかしようっていうところが非常に多くありました。
診断がついてからは、自分の聞き取りの悪さっていうのが、そういう神経の働きの悪さだっていうのが分かりましたので、自分を説明する言葉がちょっと見つかったなっていうふうに思って、少し自分の受け止め方、自分に対してイメージが変わったなっていうふうに思っています。珍しい病気を持っている自分というイメージが新たに加わっていたなというふうに思っています。
人工内耳になってからは、今度人工内耳をしている自分という特徴が新たに加わって、これまでみたいにおバカキャラをとか、緊張しいなのでちょっと受け答えが変だっていうふうに、変に実際とは違う、自分の説明の仕方をせずに済むようになったと、自分に、自分の説明の仕方、自分が何かっていうことの内容がだんだん更新されていったなっていうふうに思ってます。
本当に自分が耳の聞こえ、耳が悪いんだっていうことを開示することに非常に抵抗感が強くて、いかにそれを言わずに済ますかっていうことに、先ほどの話と重なりますが、非常にエネルギーをつぎ込んでこれまで生きてきたなというふうに思っています。
最近になって、病院にかかったんだけれども満足した結果が得られなかったとか、そういったことをSNSに書いたり、ちょっとほかの人に相談して、適切な医療を受けられたので、もうちょっとちゃんと周りの人に相談すべきだったなというふうには、あの、反省ですけれども、思ってます。
理工系インタビュー12体験談一覧
- 自分自身が難聴という問題を直視して来なかった時期が長かったので、難聴の人の気持ちや対処の方法についての研究をやって自分自身が生活しやすくしたいという気持ちもある
- 大学では法人向けプランでUDトークを購入してもらったが、会議の際に字幕を出してもらったことはない。おそらく障害のある本人が使うものだと誤解しているのではないか
- 周囲からのネガティブな反応を避けたくて、聞こえないことをひた隠しにしてきた。相談部署名に「障害」とあると、障害を自認していない人はアクセスしないので、工夫が必要(NEW)
- 難聴は自覚していたが診断が出ておらず、ごまかせる時はごまかしていた。就職の面接で聞きとりにくく失敗したことをSNSに投稿したことが、その後の受診・診断につながった(NEW)
- 難聴を自覚してからも周囲にばれないように、「おバカキャラ」などを演じた。最近SNSに書くなど人に相談することで適切な医療につながり、早く相談すべきだったと反省した(NEW)
- 学生から質問されて聞こえないと困るので、自分の聴覚障害を初回授業で伝えているが、学生にもアンケートを取って配慮して欲しいことを自由に書いてもらうようにしている(NEW)

