インタビュー時年齢:40歳(2020年9月)
障害の内容:脊髄損傷による肢体不自由(下肢障害)・手動車椅子使用
学校と専攻:大学・工学部(1998年度入学)、大学院・応用化学(2002年度入学)

関東地方在住の男性。20歳のとき自動車事故で脊髄損傷となり、車椅子の生活になり1年休学の後、復学。成績優秀だったにもかかわらず、第一希望の研究室に入ることができず、就職活動でもいくつもの企業に断られるなど、多くの壁に直面した。現在の職場は希望する研究職で受け入れてくれ、材料分野の研究では商品化につながる成果を出すことができた。今は会社の支援を受けながら、学生時代から続けてきたスポーツでも国際大会に出場している。

語りの内容

私がですね、会社に入ったのが2005年ということで、研究志望で入って、まあ、場合によってはシステム系に移るかなということも、ちょっと思っていたんですけど、幸いこう、研究職として採用されました。で、その中で、かなり、少し遠い将来のことをやるような部署。直近のこう、開発というよりは、研究っていうとこに配属されてですね、ま、何て言いますか。よく分からないものを研究するような、んー、何て言うんだろうな。えー、世の中には眉唾ものはいっぱいあるけれども、眉唾ものは場合によっちゃあ、すげえいいものもあるかもしれないみたいなですね、そういうスタンスもあって。それをほんとに科学的に研究してやってみようみたいな感じの部署で、まあ、あんまりお金にならなくても、ほんとに意味あるものであればやっとこうみたいな、ま、そういうようなスタンスの部署に配属されました。

そこでいろいろ、こう、やっていったんですが、まあ、研究テーマもいろいろある中なので、自分がやれる研究を、与えてくれてというか、ま、逆に言うと自分で見つけて、そういう研究をしていったという感じだったので、特にこう、これといって困るっていうことはあんまり感じませんでした。薬品を扱うときとかも、別に、あのー、何だろうな。高いとこにあったりすれば、まあ取ってもらうとかってあったかもしれないですけど、そういうこともあんまりなく、何だろうな。ま、ドラフト、ドラフトって言って、こう、何て言うんですかね。空気を吸うやつですね(実験で発生する有害な気体が室内に漏れないようにして排出する装置のこと)。ドラフトチャンバーの前に廃液の瓶が置いてあって使いにくいときは、周りの人が動かしてくれました。あと、実験の机は膝が入りにくいタイプのものがあるので、専用の机を用意したり、新たに机を導入するときは引き出しが備え付けでなくてコロのついたものを採用したりしました。

あと、水栓金具の立ち上げの位置がシンクから遠い位置にあると使いにくいだろうということで、シンクから近い位置に立ち上げ直してくれました。まああんまり、こう、改善もせずに大体こう、何だろうな。自分のやりたいことは大体できたよっていう感じでした。ただ、何て言うんですかね。こう、ダイヤモンドカッターとかいろいろあって、こう、チェーンソーみたいな刃が付いていて、で、ウィーンってこう切って、機材を切るとかっていうことはあるんですけど、まあさすがにそれはちょっとこう、何だろな。まあ、まあ、それこそリスクがあるのでやらしてもらえず、まあ別に「代わりにやってくれる人がいるんだったら、その人にやってもらって」みたいな感じでやってもらってですね。ま、逆に言うとその辺は分担だったので、切るだけができなかったら、その人にもうお願いすればいいっていう感じで。まあ、そういうふうな形で進めてったという感じですね。

ま、誰でもできるんだけど、車椅子だと結構リスクがあるようなこととかは、当番は私には回ってこないとかですね、そういうのはありましたね。まあ、何だろうな。例えばこう妊婦の方に対して、妊婦の方もやっぱり研究してる方もいるんですけど、配慮をするじゃないですか。まあ、それが常時続いてるぐらいな感じで、「これはできるよね」みたいなことを言って、「あ、それはできます」とか「これはできないです」とかって言って、まあそんなような関係なので、何だろうな。いつも全体通じて「これは絶対にやりません」とか、そういうよりも、まあ、何となく、「あ、これいいよね」とかそんな関係でやれてるっていう感じですね。

私は: です。

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