投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

診断のショックから立ち直ってからは、図書館に行ってより詳しい情報を探し求めた

診断を受けたばかりのときは、余りたくさんのことはこなせないの。実際、ほとんど大したことはできない。そんなときに自分で(病気の)情報を探すとなると、本当に大変なの。わかるでしょ?
奇妙で難しく聞こえるかもしれないけど、病気のことを全部知りたいわけではないので、そのことを配慮しながら情報を集めなくちゃならない。
でも何ヵ月か経つと、私はもっとたくさん知りたくなったの。長い間、そのことに触れた文章を読むことを避けてきたけれど、それを境に読み始めたわ。図書館に行った。私は子どもの頃からずっと図書館が大好きだったの。
そして、図書館で乳がんに関する1冊のすばらしい本を見つけたの。[△△]にある図書館よ。ダメね、本のタイトルを思い出せないわ。そんなに大きな本じゃなかったわ。でも、それは本当に良い本で助けになったわ。図書館には沢山の本があるから、ふつうはまずさーっと目をとおすのね、そして、もし恐ろしいことが書かれていそうだと思ったら「だめ、だめ、これは読めないわ」と思うの。

英国人の乳がんの語り

どのように知り合いの医療関係者やインターネットを通してより多くの情報を見つけようとしたかを説明している

何と言ってよいかわかりませんが、とにかく、私は乳癌とその治療についてもっと知りたいと思いました。情報が必要な場合、私は図書館へ行くのではなく、より多くの情報を得るためにインターネットを利用しました。アメリカやカナダの医師たちとも連絡を取り合っています。
病院へ行って説明を受けたときは彼らにメッセージを送り、「こういう理由で病院へ行って、これこれこのような説明を受けたのでお知らせします」と伝えます。このように、本当に回復したかどうかを私は繰り返し確認してもらうつもりです。

英国人の乳がんの語り

がん専門医によって提供された情報は家でも聞けるようにテープに録音されていた

最初に診察を受けたのは、癌専門医でした。私の場合は炎症性癌だということとその治療方法を説明してくれました。先生はその会話の内容をテープに取り、それを持ち帰ってもいいと言いました。そして「全て理解してもらえないことは分かっているし、このテープは助けになる」とも言ってくれました。それで、炎症性癌だとその時点で手術はできないことと、化学療法での治療になると説明を受けました。そして持続注入と呼ばれる方法を取ることになりました。それでヒックマン・ラインを使用することにしました。私はテープを聴いて理解に努め、その会話の内容をテープ起こししたのです。そしてがん専門医から私のファミリードクターに手紙を書いてもらいました。その手紙のコピーももらいました。

英国人の乳がんの語り

自分も子どもの頃に同じような経験をしているので息子には真実を話した

私の息子は12歳、そう、当時は11歳でしたね、彼には本当のことを話しました。彼は利口な子で私たちが隠し事をしてもすぐわかってしまい、憤慨するのです。私自身、母からは手遅れになるまでどれほど病気が悪いのか知らされず、そのことで憤慨したというような経験がありました。それで、私は彼に対しても率直に、誠実に話せば、はじめからきちんと受け入れてくれると思ったし、隠し立てして後から非難されるということもないと思ったのです。実際、彼は素晴らしかったわ。すぐにわかってくれて、「良くなるためなら何でもする」と言ってくれました。そして普段はしなかったような家のこともいろいろ手伝ってくれました。彼は怖がっていて、私の目をじっと見つめながら「ママ、死んでしまうの?」って言ったときは辛かったわ。私は「そうよ、でも今ではないわ」って答えたの。誰でもいつかは死ぬし、ずっと生きている人なんていない。それが人生なのですもの。彼は知る必要があったし、私も知らせることが必要だと思いました。知ることが、知らせないよりも、彼に悪影響を及ぼすとは思いませんでしたから。

英国人の乳がんの語り

自分が診断を受けてから、自分以外の女性の家族のことが心配になった

私には孫娘達がいるのだけど、彼らによく言っておきたくなる言葉があるわ。それは、「しっかりと自己管理をしなさい」って言うことね。私は娘の健康管理に対しても目を光らせています。彼女は煙草を吸うので、そのことでひどく頭を悩ませているの。でも、それは娘が選択することで、私の問題ではないけれどね。娘は喫煙が引き起こすいろいろな問題も知っているのだから、その上で彼女が喫煙を続け、そうしたいのであれば、仕方がないわね。あくまでも彼女の選択であって、私の決めることじゃない。私が「たばこを吸ってはだめ」なんて言う立場にはないの。娘には本当に身体には気をつけるように注意しましたけど、先程から言っているように、それは彼女の選択なの。

英国人の乳がんの語り

子どもたちが、母親が病気になったことを怒っているようで、どうやって病気について話せばよいかわからなかった

そうね、子どもたちは・・・・. よく考えれば、具体的に言えば、心の深いところで動揺している、と言わざるを得ないわ。しかも、同時に非常に怒っていた、私が以前の私ではないことに、ひどく怒っていた。私は、子どもたちの怒りに向き合うのが一番難しいと思ったわ。というのも、子どもたちはわたしのガンの話を信じることができずに、健康であることを望んでいたから。息子はとても助けてくれたけれど、Aレベル(大学入学許可試験)受験の時だったので、その話をするのにはいい時期じゃなかったわ。すっかりおちこんでしまって、聞いたときには泣きじゃくったわ。それから、息子は確かに、前より攻撃的になったと思うわ。まるで攻撃することで、自分を守っているかのように。
それが他の人々にとって悪いことなのかどうかは分からないけど、もし自分がガンになったら、いつもそのことを考え、ガンのことにかかりっきりになると思うの。でも、違うの。
子供達のことは心配でした。子供達は動揺してしまうので、ガンのことを話題にして欲しくないの。話すことも、触れることもだめだから、患者はとても難しい立場に置かれるのよ。

英国人の乳がんの語り

父親に自分の病気の診断を伝えることは容易ではなかった

翌日、いえ、3日目だわ。私は血液検査に行ったの。主人と娘がついて来てくれました。3人で話しながら歩いていました。私は「お父さんにも誰にもまだ言わないで」と言ったんです。「ゆっくりと、だんだんにわかることなんだから。わかるでしょ、(知っても)心配するだけだから」とね。そして、病院の待合室で血液検査の順番を待っているとき、父がそこにいるのを、病院にいるのを見つけました。父は糖尿病外来に来ていたのです。(乳がん外来とは)すぐお隣だったので、そこに父が座っていたの。父を見つけたときは、胸が張り裂けそうなくらい辛くて、泣き叫びたくなったわ。でも自制して、やっとのことで挨拶はしたのだけれど、父をまともに見ることはできませんでした。父の顔を見たら泣き出してしまうとわかっていたから。それから、私は血液検査を受けに行きました。行く前に主人には、「父にはちょっとだけ話して。でも私の前で話すのはよして頂戴」と言いました。

英国人の乳がんの語り

娘の代わりに自分ががんになればよかったと思っている母親を慰めてあげた

初めて母に私が乳がんに冒されている事を告げたとき、母は泣き崩れてしまいました。それはきっと、彼女の罪悪感からきたものだと思います。彼女が私について行ってやれなかった事もあるでしょうが。そして、もしこの病気が遺伝的理由によるものならば、母は自分の方が先だと考えたと思います。私の祖母も曾祖母も乳がんを患っていたから、明らかに次は自分だと。一世代乗り越してしまったようですね。自分がガンに罹るべきだったと感じていました。私は母に「ねえ、そんなこといえないわ、私が乳ガンになってしまったのが遺伝子のせいかどうかはっきりしていないのだから」といいました。
誰を責めるべき人がいるかどうか分からないし、誰の責任でもないのだから私は誰も責めないのは確かです。どうにもならないことだし、乳がんにかかったからには、もうそれに対処していくしかないのです。
おそらくそう考えることが母を少しは落ち着かせたと思います。

英国人の乳がんの語り

家族があまりに動揺していたので、彼らと話をする気になれなかった

私が最初に乳がんと診断されたとき、家族はこれ以上ないくらい動揺していました、そのことで私はやりきれない気持ちになりました。実は2年前に妹が他界したばかりで、今度は私が乳がんで乳房切除したことで動揺して、それは彼らにとって受け入れがたいことだったのです。いつも誰かしらが電話を掛けてきては、電話口で泣くので、そのことが私を悩ませました。しばらくの間私の心は傷ついたままでした。みんなが私に電話をかけてくるたびに、私は動揺してしまい、そのことがいつも心の負担になっていました。そしてとうとう、夫に嘘をついてくれと頼むようになったのです。「もう、私は寝ていると言って」、「もうこれ以上、彼らとは話をしたくないわ」
そして、夫は電話口で「彼女は今寝てるんだ。ちょっと頭痛がするらしい。」などといつも言ってくれました。家族が、私を動揺させるので、夫はいつも嘘をついて対応してくれていたのです。

英国人の乳がんの語り

人によって、反応や対応の仕方は異なっており、中にはこちらが驚くような反応や対応をする人もいる

家族や友達の反応のなかには、予想しなかったようなものもありました。看護師をしているほうの姉は、臨床経験があるからとても強いだろうと思っていましたが、実際はとてもうろたえてしまいました。涙もろくなって、すぐ泣いてしまうんです。もうひとりの姉はもっとしっかりしていました、すくなくとも見た目には。一人になったときはどうだったかわかりませんが。
父は、私ががんになったという事実をとても話題にしにくかったようで、当時そのことで私もつらい思いをしましたが、病気への反応は人それぞれなんです。それぞれの対処のしかたがあるわけで、私たちはそういうことも受け止めないといけません――つまり、病気との向き合い方は人によって違うもので、あなたに対してのふるまいは、もしかするとその人の本当に言いたいこととは違うのかもしれないということです。彼らは、あなたのために、病気と対峙し、できるかぎりのサポートを与えてようとしてくれているのです。