次に、タモキシフェンを服用しました。放射線治療が終わってから2~3週間後だったと思います。入院中から、タモキシフェンを処方することになるという説明は受けていました。通常の見込みでは、5年間くらい服用することになります。タモキシフェンの主な副作用は、何と言っても更年期の症状です。私はほてりがひどかったので、HRTを受けていました。乳がんと診断されて直ちにHRTを止めなければならなくなり、それからタモキシフェンを服用したのですが、ひどいほてりが再び起こるようになりました。それが一番辛いことで、私は1年中夏服を着ていました。本当に、これが最も悩まされたことです。
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放射線療法のことで、再び病院に行きました。主治医に化学療法を受ける必要がないと言われ、とても安心しました。浸潤性のガンと最初に診断された時、すぐにタモキシフェンを処方されていたからです。
「タモキシフェンと放射線の併用療法があなたに必要な治療のすべてです。」と言われました。 エストロゲン反応性腫瘍であることがわかったので、タモキシフェンは選ばれたのでしょう。エストロゲン反応性腫瘍には、タモキシフェン投与が一般的な治療だったのです。私は「これは良かった」と思いました。
とても役に立つことを知りました。これをリンパ浮腫というのは適当でないのかもしれないけど、正確な医学用語を忘れてしまったので、今はリンパ浮腫としてお話します。 女性は、たぶん男性も、むくみや腕が腫れたときに、専門家の助けが得られるリンパ浮腫クリニックがあります。このむくみは本当にぞっとしますね。
私がまだ話してなかったことがひとつあります。誰もこのことにふれないか、「一部の患者さんに起こる」というだけです。それはひきつれです。糸のような感覚で、最初はふれるだけでゾッとします。運動療法の一環で、腕を伸ばすと腕全体に引きつる感覚を生じるのです。
一番助けになってくれたのは地元の理学療法士でした。私の腕を決まった方法で動かしたり伸ばしたりということだけでなく、仲間でした。二人で一緒になってリハビリをしたのです。
リンパ浮腫って腕が腫れることなんです。まさか手術後に何年も何年も経ってからリンパ浮腫ができるなんて知らなかった.突然、こんな急性状態になることもあると知っていたら もっと早い時期に治療なりなんなりをしたかもしれません.さっきもいったように、車の運転も 洋服の着替えも 何もできなくなって、髪の毛をとかすことさえできなくなったの。でも私は本当にラッキーだったわ 症状が出てから四十八時間後くらいに、カイロプラクティックの療法士に会って3回治療を受けた。彼女の優しいマッサージで驚くほど回復したわ
でも、この手術を受けてから、リンパ浮腫があって、左腕がまったくうまく動かせないんです。娘に手伝ってもらわなければならなくて、私を手助けに来てくれます。病院ではしばしば腕の周りを測定してくれます。最初は太かったんですが、小さくなってきているように思います。
――そのために病院にはどれくらい行くのですか?
3ヶ月ごとです、今は腕周りを測るだけですけどね。
――スリーブは替わりましたか?
はい、新しいスリーブをもらいました。それはちょうど肩のてっぺんまでずり上がってくるので、止めるために特別な接着剤を使います。
――腕のために何か運動はしていますか?
手術の後はしていました。でも腕が腫れ始めると、そんなには出来なくなりました。そんなには・・・手首の周りと上腕の筋肉がとても痛くて。
今はほとんどのことを右手でやっています。左手ではグラスやカップを持つこともできません。とにかく、ちゃんと動かないんです。
――右手ですべてのことをやるのですか?
ええ、そうです。
――家の中をどこか改装しましたか?例えば、キッチンとか。
ええ、そう改装しなければなりませんでした。それで娘が助けによく来てくれています
すばらしい特別なリンパドレナージマッサージ(註:リンパ排出マッサージ。うっ滞したリンパ液を自然の循環に戻す手技)を受けました。そのマッサージを受けるのは、心理的にとても良いんです。なぜって、誰かがちゃんと何かをしてくれていると感じるからですよ。また実際に、そのマッサージによって腫れがひいたと思います。
――それで、発病前にやっていたことを今はすべて自分でやっているわけ? 腕の具合も良くなった今、車の運転もしているの?
ええ、そうです。
私は医師に、腕がむくんでいることを伝えました。医師の返事は、もう一度看護師に診てもらうように、というものでした。私の言うことを信じたくないのです。私は言いました、「先生が信じたくないのなら、家に帰りたいと思います。だって今1時か2時ですから。朝から何も食べてないのです。診察を受けていて食事をしなかったのです。」って。
医師は次回の受診の予約をするように言いました。私は「次回まで待てません。何か頂けるまでここで待っています。だって先生が、私の腕につけるものを下さるとおっしゃったんですから。帰れません」と言いました、
1時間してから医師は検査をしにやって来て、これをくれました。そして私は家に帰りました。
――その日のうちに?
はい。
――その日のうちにこのスリーブをくれたのですか?
そうです、これをもらって帰ってきました。
――スリーブは役に立っていますか?
ええ立っていますよ。今、腕は前より良くなっています。
手術後に腫れが全然なくて、まったく正常な腕だったのに、20年も経ってから(リンパ浮腫に)なることもあるなんてことは、知りませんでした。私の場合は去年なったんです。それで、ジムに行ったときや庭の手入れや家事をするときに着用するスリーブを入手しました。でも普段は着用していません。腕が少しくらい太くなっているとしても、今だったら自信を持っていえると思います。片方の腕が太くなっているけれど、どうせ誰も気づかないわって。もし他人が気づくとしたら、そうですね、時々洋服探しが難しいですね。ジャケットを着用すると、いきなりそっちの腕が少し窮屈だわってわかるのです。
いずれにしても、手術が行われ、私はリンパ浮腫を引き起こした腕の血栓を含めさまざまな合併症に見まわれました。そして、それはひどく耐え難いものだったのです。本当に痛くて、2日ごとに手を使って排液しなければならないのです。乳ガンについてこのことはあらかじめもう少し注意深い説明が必要だろうと、非常に驚いたことのひとつであったと思います。ですから、そのことで私はとても当惑してしまいました。
私は家に帰ってからも、約3ヵ月間リンパ浮腫が続きました。そのことは困難なことだとわかりました。いくつかの点で、私はリンパ浮腫がガンよりももっと困難なものであるとわかりました。なぜなら、リンパ浮腫は自分のもろさを日々感じさせるものからです。私は今後の人生をこのように思い描いていました。とても太い腕とふくらんだ指を抱えて、しかもこの圧迫ストッキングを履きつづけなければならないのだと。それでこれは心理的にとても困難なものでした。そして私はリンパ浮腫によって蝕まれているのだとわかりました。というのも、実際に階段をすべって転んで、足首を骨折してしまったのです。
過去を振り返ってみても、私には階段から転がり落ちるなんてことはなかったし、不注意な人間では全くないのです。それは「ねえ!もうこんなことは沢山、うんざりだわ」と言おわんがために起きたような事故でした。
今まで私はリンパ浮腫になる可能性についてまったくアドバイスを受けたことがありませんでした。退院の少し前に乳房にあてるパッドのことでアドバイスにやって来た人はいたのですが。それから手術後の運動訓練についてリーフレットを見直してみました。でも、そこにはリンパ浮腫については何も書いてなかったのです。そこに書いてあったのは、何かをすることだけ、例えば腕を後ろに回してとか・・・。そう、それだけ、それだけなの。腕をもっと強く・・・なんて書いてあるけど、リンパ浮腫についてはまったく書いてありませんでした。
ここで、ちょっとリンパ浮腫のことについて話してみたいのです。もし、お医者さんたちがジャケットを着ていたらって想像するからなんです。もし、お医者さんがジャケットを持っているのに、それを着ることができなかったどうするのだろうってね。私は(手術直後は)服を着ることができなかったし、今でもあまりうまく着ることはできません。スーツは、どんなスーツでも着られませんでした。