投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

乳房切除術と乳房温存術のうちのどちらかを選択するとき、どのように決めたか話している

金曜日に専門医が会いに来て言ったのですが、「病院にもう一度入院して、再手術を受けることもできる」というのです。「もう一度切開して、しこりがあった場所の組織をもっと取り除いて、腋の下を切開してみよう」というのです。いわゆる‘広範囲局所切開’というものですね。
彼女は全部説明してくれました。「リンパ腺の一部を切除してみて、万が一がんが再発し、広がっていた場合は、治療方法は化学療法と放射線療法となり、タモキシフェンの投与を多分5年か10年は受けることになる」というのです。あるいはまた「乳房切除術を選ぶこともできる。乳房切除術のほうは、一旦それを受けてしまえば、それ以上の治療は何も必要ないだろう」ということでした。
私はこう思いました。「乳房切除術、確かに思い切った方法だわ。この小さな小さなしこりのために胸を取り去ってしまうなんて」って。しこりの大きさはエンドウ豆一個分に過ぎませんでした。大きくなりつつはありましたけど、まだ大きくありませんでした。乳房切除術は少し大げさだと思いましたね。
専門医のアドバイスは、「再入院して組織をもっと切除し、広範囲局所切開を行う」というものでした。私はそれをやってみると答えました。ドイツにいる娘にも意見を聞きました。娘は言いました、「そうよママ、そっちにすれば。乳房切除術はちょっと大げさだと思う」って。
それで私は広範囲局所切開を受けてみることにしました。

英国人の乳がんの語り

乳がんに関する知識は恐怖感を軽減できる

ええ,それはとても感情的に疲れ果て,そしてとても恐ろしい経験でした.でも,これらの悲しい気持ちや恐怖は,乳がんに関する様々な知識を得ることで軽減させることができました.あなた自身が病気に対する知識や自信を構築することで,直面している状況に立ち向かうことができます。そしてその知識は恐れやストレスを取り除いてくれます。積極的に回復に向けて行動していると、その行動自体が問題を解決してくれるからです。しかし,それは簡単なことではなく,一時的にですが、恐れやストレスに負けてしまいそうなこともあります。私の祖母がよく言っていたのは,苦しいときに忘れてはいけないこと、それは苦しみからは必ず解放されるということでした。

英国人の乳がんの語り

(インド出身の女性)子どもが通訳したり、情報について説明したりしてくれた

――入院前に、バンジャビ語で書かれた資料を受け取りましたか?

いいえ、何も頂きませんでした。緊急事態でしたので、頂いても何も読む時間はありませんでした。それに私の育った1944年頃の状況というと、例えば私が14歳だった1946年には学校などありませんでした。見たこともありませんでした。パンジャビ語は分かりますが、上手く読むことは出来ません。自宅で少しは学びましたが、今ではもうすっかり忘れてしまいました。病院では、教養のある私の子供たちが全てを説明してくれました。このような状況でした。

英国人の乳がんの語り

乳がんの医療的な側面よりも情緒的な面についての情報が欲しかったと話している

 私は特に乳房専門看護師から知りたい情報をすべて得ていたと思います。彼女は、私の場合についてこれからどんなことが起こるか、そしてどうなっていくかを説明してくれました。それに、私は2、3の資料を読みましたし。
 今なら、もし乳がんに関することを目にしたら、どんなものでも取り上げて読むでしょう。ガン一般に関することであっても読むと思います。でも当時は、欲しかったのはそういったことじゃなかった。
 ただの情報じゃなくて、何と言えばよいのか、もっと情緒的な側面に関することだったのではないかと。私はガンの事実に関することよりむしろ、情緒的なことに対してエネルギーを注いでいたんです。
 私が求めていたのは…この病気に罹ってしかも回復した人たちとの会話でした。私はこの別の側面が知りたかった。いわゆる「治療経過中」のことについては少しも知りたいと思わなかったんです。

英国人の乳がんの語り

これから自分が受ける治療を左右する可能性のある検査方法(センチネルリンパ節生検)についてどのように知ったかが述べられている

「Can Help」という組織で,ホームページもあります.
乳房に発生したがん細胞が,腋窩リンパ節(センチネルリンパ節)に転移しているか否かを調べるための方法として「センチネルリンパ節生体組織検査(生検)」についての重要な情報を入手したので,今回はそのことについて話をしたいと思います.センチネルリンパ節生検は,放射性元素を含む色素を腫瘍の周囲又は乳輪部に注入し、アイソトープを使って追跡します。この検査はまったく痛みを感じません。色素が流れ始め、リンパ節に辿り着きます。最初に辿り着いたリンパ節がセンチネルリンパ節と呼ばれています。
そして次の日、ガイガー・カウンタ(簡単な構造をもち広く使われている携帯用放射線検出器)を使用し外科手術を受けました.手術では,直ぐにリンパ節に達し,リンパ節細胞の細胞検査をその場で行います。そのとき,リンパ節に転移が認められなければ,他のリンパ節への転移も否定することができるのです.そして,無意味な大手術を避けることができます.
私はこの手術が臨床試験の一部であったことから、できる限りリンパ節は摘出したくないという強い意思を伝えました。担当医は私がこの手術についてよく説明を受けていたということを踏まえて、私の意思を受け入れてくれました。
担当医が最初に提案してくる手術法をそのまま受け入れる必要はありません。もしかしたらパニックに陥って受ける必要のない大手術を受けてしまうことだってありうるからです。

英国人の乳がんの語り

当初はインターネットに情報を求めたが、自分は稀ながんの型であったため、後には自らウェブサイトを立ち上げた

乳房を切除した後、私は「炎症性乳がん」のすべてについて知る必要があると感じました。乳房の切除前になぜ化学療法を行わなくてはならなかったのか、とか、それで、なぜ周囲が大騒ぎになったのか、など、すべてについてです。それで、私はインターネットで調べ始めたり、IBCサポートというサポートグループに入会したりしました。私は、炎症性乳がんについて出来る限りのことを勉強しました。どうして起こるのか、有糸分裂や減数分裂とは何なのか、どんな症状なのか、それとどう立ち向えばよいのか、その予後や組織像はどうなのか、すべてについて勉強したのです。すごくたくさんの事を学びました。時間をついやしすぎたかもしれませんが、ともかく知る必要があったのです。知ることは力になりますし、自分の身に起こっていることを知る必要があったのです。それは間違いではなかったし、今振り返っても正しい行動だったと思います。私はまた、自分でウェブサイトを立ち上げて、そこに炎症性乳がんの人たちや、炎症性乳がんではないけど乳房に痛みがあるすべての人々にとって、助けになるような情報を沢山盛り込んだサイトを作ったのです。ホームページではライブチャットができます。フォーラムにメッセージを投稿できます。回復して快適に暮らしている人の写真を見ることもできます。すごく簡単にたくさんの情報が手に入るのです。

英国人の乳がんの語り

最初、できる限り多くの情報をかき集めていたが、後になると自分に必要な部分だけを読むようになった

手術直後は、乳がんに関するあらゆる情報を入手しようと思いました。いろいろな雑誌や情報を切り抜き、いろいろな人の話を聞き、ボランティアに参加し、利用できるすべての情報を収集しました。
でも、次第に・・・、というよりは間もなくですね、情報収集はやめようと決心したんです。生半可な知識はかえって危険だという理由からです。おかしな言い方ですが、知識は少なければ少ないほど良いと感じるようになったのです。私が今持っている情報や経験についてほかの人たちに伝えることで十分だと思うのです。
情報過多ということもあると感じるのです。特に、ほかの女性と話すときに、充分な知識もないまま、何かをしゃべってしまって、それで何か被害を与えるということもありうると思ったのです。だから、私は過剰な情報収集をやめました。私はどこで必要な情報を入手できるかを知っていますが、あまりそれらにとらわれないように心がけています。

英国人の乳がんの語り

診断のショックから立ち直ってからは、図書館に行ってより詳しい情報を探し求めた

診断を受けたばかりのときは、余りたくさんのことはこなせないの。実際、ほとんど大したことはできない。そんなときに自分で(病気の)情報を探すとなると、本当に大変なの。わかるでしょ?
奇妙で難しく聞こえるかもしれないけど、病気のことを全部知りたいわけではないので、そのことを配慮しながら情報を集めなくちゃならない。
でも何ヵ月か経つと、私はもっとたくさん知りたくなったの。長い間、そのことに触れた文章を読むことを避けてきたけれど、それを境に読み始めたわ。図書館に行った。私は子どもの頃からずっと図書館が大好きだったの。
そして、図書館で乳がんに関する1冊のすばらしい本を見つけたの。[△△]にある図書館よ。ダメね、本のタイトルを思い出せないわ。そんなに大きな本じゃなかったわ。でも、それは本当に良い本で助けになったわ。図書館には沢山の本があるから、ふつうはまずさーっと目をとおすのね、そして、もし恐ろしいことが書かれていそうだと思ったら「だめ、だめ、これは読めないわ」と思うの。

英国人の乳がんの語り

どのように知り合いの医療関係者やインターネットを通してより多くの情報を見つけようとしたかを説明している

何と言ってよいかわかりませんが、とにかく、私は乳癌とその治療についてもっと知りたいと思いました。情報が必要な場合、私は図書館へ行くのではなく、より多くの情報を得るためにインターネットを利用しました。アメリカやカナダの医師たちとも連絡を取り合っています。
病院へ行って説明を受けたときは彼らにメッセージを送り、「こういう理由で病院へ行って、これこれこのような説明を受けたのでお知らせします」と伝えます。このように、本当に回復したかどうかを私は繰り返し確認してもらうつもりです。

英国人の乳がんの語り

がん専門医によって提供された情報は家でも聞けるようにテープに録音されていた

最初に診察を受けたのは、癌専門医でした。私の場合は炎症性癌だということとその治療方法を説明してくれました。先生はその会話の内容をテープに取り、それを持ち帰ってもいいと言いました。そして「全て理解してもらえないことは分かっているし、このテープは助けになる」とも言ってくれました。それで、炎症性癌だとその時点で手術はできないことと、化学療法での治療になると説明を受けました。そして持続注入と呼ばれる方法を取ることになりました。それでヒックマン・ラインを使用することにしました。私はテープを聴いて理解に努め、その会話の内容をテープ起こししたのです。そしてがん専門医から私のファミリードクターに手紙を書いてもらいました。その手紙のコピーももらいました。