投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

2,3歳のころは「ワニがお母さんのおっぱいを食べた」と言っていたが、7歳になった今は怖さまではわからないかもしれないが、「乳がん」という言葉は知っている

小さいころは、ほんとに、病気っていうことすら、よく分からなかったので、一緒にすぐお風呂にはずっと入っていて、で、息子なんですけど、こう右のおっぱいがわたしないんですが、ないことが普通だってずっと思っていたみたいで、子どもなりに、ずっとそう思っていたのが、ある日、2歳か3歳のころだったと思うんですけど、うちの母と初めてお風呂に入ったんですね、息子が。そしたら、「お母さん、大変、大変」って言って、「ばあちゃん、おっぱいが二つある」って言うんですよ(笑)。だから、ああって思って。ああ、そうか、息子にとっては、こっちが普通で、おばあちゃんが普通じゃないんだと思って。
で、ああ、これは、ちょっといつか修正してあげなきゃいけないと思って。
で、しみじみとこうまた2人でお風呂に入ったときに、「お母さんのおっぱいのないの、何でか知ってる?」って言ったら、やっぱり、聞いて、耳にしているんですよね。「がんがんでなくなったんでしょ」って言ったんですよ。だから、あ、分かっているんだって思って。で、「お母さんの病気ががんがんだって分かるの?」って言ったら、「うん、がんがんでしょ」って。まあ、その怖さとか分からないんですけど、「がんがんでなくなったんでしょ」って言って、「そうだね」って言って話をして。でも、そのがんがんがよく分かってなかったので、「お母さんのおっぱいは誰が食べたの」って、今度は、そんな話になって(笑)、で、ほんとにこうつい、「ワニさんが食べたんだよ」って言って(笑)。「お母さんは、ワニと闘ってね」とか言って、ちょっと作り話したら、しばらくは、ワニに食べられたって信じていて、ずうっとこう、「お母さんのおっぱいは、ワニさんが食べたんだよ」って、もう武勇伝のように、いろんな人に話しをしていて、まあ、それは、それでいいかと思ってしていたんですけど。
自分の仕事が、乳がんのことだったり、いろんなそういうがんっていう言葉をやっぱり、見聞きする仕事なので、子どもを連れて行くことが多いんですよね、そういう場所に。で、もう、だんだんほんともう分かってきて、今は、もうほんとすっかり分かっていて。乳がんっていう言葉もちゃんと知っていますし、マンモグラフィも言えるし、ほんとに、がんという怖さ、ほんとの怖さは分からないかもしれないんですけど。でも、自分の周りの乳がんの患者さんが亡くなったという話もちゃんと聞かせているので。
だから、がんという病気は、その、つらいこともあるし、悲しいこともあるし、亡くなってしまう人がいるっていうのも、子どもなりに理解はしているので。だから、たまにこう、「お母さんはがんがんで死ぬの?」とか、たまに言ったりするんですよね。けど、「お母さんは、大丈夫だよ、元気そうでしょ」って言って話をすると「そうだよね」って、まあ話をしたりしますけど。何か、自分が、乳がんで、右のおっぱいがないということは、もう、ちゃんと7歳なりに理解はしていますね。

乳がんの語り

夫は悩みを人に話すタイプでないので、つらかっただろうと思う

――何かこうご主人自身のサポートっていうのは、周りからあったんでしょうか?

たぶんですね、ゼロだったと思うんです。友達は多い人なんですけど、ほんとにその自分の心の悩みとかを話す人じゃないんですよね。だから、たぶん、ほんとにつらかったと思います。誰にも、たぶん、わたしが死ぬかもしれないっていう不安、もちろん、主人も持っていたと思うんですけど。そういう不安をどこかに話している気配は全然なかったし、両親にも話していないふうだったので、まあ、強がって「おれは大丈夫、おれは大丈夫」って言っていたので、たぶん、かなり、きつかったんじゃないかなあと思いますね。

乳がんの語り

退院後早い時期に勇気を出して、夫に傷を見てもらったところ、「よく頑張ったね」と受け入れてくれたことがありがたかった

主人に最初に見てもらったのが、退院してきて、その、離島に引越しの準備に戻ったときに、久しぶりに、2人になる時間があって。わたしは、お風呂に1人で入っていたんですけど、自分もその傷を見るのが、なかなか、ずっとできなくって。自分も見たばっかりだったんですね、そのときって。で、どうしょうかなってすごくお風呂場で1人で悩んで、で、もう、やっぱり、いつかは見る機会があるだろうし、その主人もたぶん、気にはなっているだろうと思って、で、そのときに、呼んで、「おーい」って呼んで、「傷を見てくれないかなあ」って言って呼んで、で、まあ、主人も「いいの?」って言うから「いいから、見て」って言って、入ってきてもらって、見てもらったんです。そしたら、主人が、見て……、「よく頑張ったね」って言って……くれたので(涙声)、でも、こう何ていうんでしょう。まあ、でも、ありがたかったです、そう言ってくれたのが。やっぱり、こう不安だったですよ。見てもらうの。すごく勇気がいって、やっぱし、わあって目をそらされたらどうしょうとか。あったんですけど、(涙声)でも、まあ、「頑張ってくれたね」って言ったので、よかったなと思って。

乳がんの語り

単純に胸が二つあるというだけでうらやましかった。子供に授乳できないことが悲しく、夫婦生活でも夫に申し訳ない気持ちになった

入院中に、テレビをつけたら、そのグラビアアイドルの人たちが、テレビに出ているんです、水着で。そしたら、それ単純に、その胸のふくらみが二つあることもすごくやっぱり嫉妬心もあってうらやましいっていうのもあるんですけど、その乳房を売りにしてテレビに出ているっていうのが、すごく何か許せない思いが、今まで感じたことがなかった、すごくまあ嫉妬なんでしょうけど。何か、もう、すごく、頭にきたりっていうのがあったり。あとは、普通に、お見舞いに来てくれるお友達の胸のふくらみも気になったりして、少し、ちょっとこうノイローゼじゃないですけども、おっぱいに対して、すごく、何でしょうね、気にかかって、看護師さんの胸まで気になって。だから、すごく、うらやましいなっていう思いもあってですね。
やっぱり、女性としてのシンボルっていうのもありますし、特に、子どもに授乳中だったもんですから、おっぱいというと、子どもにミルクをあげるものっていう、コミュニケーションの一つだったので、それもできなくなったというのもすごく悲しくって。右側のおっぱいで、一番最初に子どもに初乳を飲ませるじゃないですか。あれ、わたし、右のおっぱいだったんですね。で、写真が残っているんですよ、ちょうど。その右のおっぱいがちょっと写って、子どもにおっぱい吸わせているのが、写真で残っているもんですから、何か、すごく複雑で、やっぱり、そういう意味でもいとおしいものだったので、それが、なくなったというのは、何か子どもに対しても、ごめんねっていう思いもあるし。
あとは、主人に対して、申し訳ないという思いがすごく出てきて。やっぱり、その男性だから、乳房好きじゃないですか。それがやっぱり一つなくなるわけだから、当然、二つある人のほうが好きに決まっているっていう思いもあったり、その夫婦のやっぱり生活があるじゃないですか、夜の。そのときに、おっぱいがないことが、すごく、はずかしくて、主人に対して。だから、もう隠さなきゃ嫌なんですね。隠してしまう思わずっていうのがあって。主人は、「気にしていないよ」って言うんだけど。でも、やっぱり、自分のほうが気になって、「ごめんね」っていつも思うんですよね。何か、やっぱり、二つある人のほうがいいよねとか、そういう思いは、何か申しわけないなっていう気持ちにはなりますね、たまに、今でも、なりますね。はい。

乳がんの語り

健康食品をやめたが、何もしないのは不安で、遠くまで免疫療法を受けに行った

それで、結局ですね。それでも、やっぱり、不安だったんですよ。何かしなきゃいけないと思って。
自分は、免疫療法っていうのをやりました。それも、何か、ネットのお友達が教えてくれて、「今は、何か怪しげな療法に思うかもしれないけど、今から、たぶん、ちゃんとした治療になるよ」って友達に言われて。で、それなりに、自分もいろいろ調べて、ほんとに、怪しくないのかなっていっぱい調べて、結局、一つの免疫療法っていうのがあったので、えーと、どこまで行ったんですかね。横浜あたりまで行って、最初、採血とかしてもらって、あとは、もう、こっちのほうで受けられたんですけど。それを、結局すごい高いお金を出して、6本、6本打ってでした。でも、再発予防として、そういう治療を受ける人っていうのは、まだまだなんか少ないみたいで、「大概の方は、治療がないよって言われてから受ける療法ですよ」っていう説明を受けて。「再発予防としてほんとに受けるんですか?」って言われて。で、「はい」って言って。でも、何もしないのが怖かったので、「とにかく、それだけはさせてください」って言って、それだけ、6本打って。それからは、ほんとに、もう無治療ですね。あとは、ほんとに、何もしてない。健康食品も全くしていないし。浄水器もカートリッジが切れたまんまだし(笑)。はい、今は、もう、ほんとに何も、無治療で、はい。

乳がんの語り

補助療法は抗がん剤のみだったので、その後無治療になるのが怖くて、きのこ系の健康食品を飲んだり、浄水器を購入したりしたが、高いし、おいしくないのでやめてしまった

わたしが、その抗がん剤しか、効かないというふうに言われて、ホルモン療法もなかったんですけど。そのときに、周りを見渡したら、ほとんどの方がホルモン効くタイプの方が、若い方、特に多くて。で、その、乳がん仲間の中で、わたしぐらいだったんですね、そのホルモンがないよって言われたのが。で、効く人たちは、しなきゃいけない人たちは、「うらやましい、うらやましい」って言うんですよ。「(ホルモン療法を)そんな何年もしなくていいから、うらやましい」って言うんだけど。でも、(ホルモン受容体が)マイナスの人にしてみれば、治療がないって言われたのと一緒で。リスクが高いのに、「あなたは、もう、今の、現代医学では、化学療法しかありません」って言われたんだって、自分はとったので、すごく不安だったんです、治療が終わったことが。治療が終わった、よかった、よかったって思えなくって、ものすごく、不安で、何もしなくていいのかなと、世の人は、5年間するのに、自分はしなくてもいいのかなっていうのは、すごく悩んで。
で、最初のころは、やっぱり、親戚一同にがんの患者さんが出ると、いろんなものが送られてくるんですよね。怪しげな健康食品とかお水とか。みんな、まあ、思いやりで送ってきてくださるんですけど。一通りのものが、家にいっぱい送られてきて。で、これを飲めだの、これを食べろだの、佃煮にしろだのっていう、ほんとに、たくさんもらって。最初は、自分もどれがいいとか悪いとか分からないので、全部、食べたり飲んだりしていたんですよ。そしたら、主治医の先生から、「何か食べたり飲んだりしている?」って言われて、まあ、ばか正直に答えて「はい、何か、きのこの何とかとか、何かいろいろもらってきています」って言ったら、「ほどほどにやってね」って言われて、「あんまり、しすぎると、血液に影響があるから、あんまりしたら駄目だよ」って言われて、「ああ、分かりました」って言って。まあ、いろんな、ほんとに、きのこ系が多かったんですけど、一通り飲ませてもらって。家には、その水道水を飲んだらいけないから、浄水器をつけなさいとか。何か、そういう人が、どっから聞いたのか、訪問販売にやってきたりとかして。で、まあ、そんなのもつけたりしてたんですけど。
でも、結局、そういうものって全部高いし、おいしいものじゃないので。で、自分がもう嫌になって、ほんで、途中で「もういい」って言ってお断りして。で、お水も、「あんまり飲むとほんとに、お手洗いが近いので逆に生活が大変」って言って(笑)、もう水もやめて。

乳がんの語り

頭がちくちく痛くなってきたら、髪の毛が抜けはじめた。抜けた髪の処理が嫌で夫に頼んでバリカンで剃ってもらったら、意外とすっきりした

あとは、副作用は、CEF(*)のときもそうだったですけれども、やっぱり、髪の毛が全部抜けてしまって。で、タキソール2本目を打つぐらいでしたかね? 2本目を打ちはじめたころに、こう、頭がちくちくちくちく何か痛くなってきて。で、そろそろくるのかなと思ったら、シャワーを浴びたら、ごそっとやっぱり髪の毛が抜けて、それからもうすごく早くて、ぼろぼろ抜けてしまって、全部は抜けなかったんですけど、まばらにこう少し残っているぐらいになって。何か、それがすごく嫌で、その姿を鏡で見るのが、自分が何かすごくかわいそうで、見れなくて。で、自分はですね、抜け始めてもう3日後ぐらいに、主人に言って、丸坊主にしてもらったんですよ。カットしてもらって、バリカンで、もう全部刈ってもらって。そしたら、意外とすっきりして。やっぱり、抜けた髪の毛を処理するのが、すごく嫌だったんですよね。ま、悲しいし面倒だしっていうので。それが、坊主になったので、すごくすっきりしたので。それからは、かえって、楽しんで、いろんなかつらを買ってみたり、普段は、帽子あまり被らない人だったんですけど、帽子をいろんなものをコレクションして、今日は、この帽子とか、今日は、おさげをつけるとか(笑)。いろんな髪型を、トライして、そのときはそのときで、こういう楽しみ方もあるのかなと思いながら、過ごしたのを覚えていますね。

*CEFとは抗がん剤の多剤併用療法で、エンドキサンの一般名シクロホスファミド(C)とファルモルビシンの一般名塩酸エピルビシン(E)と5-FUの一般名フルオロウラシル(F)の頭文字をとった略称です。

乳がんの語り

同時再建で生理食塩水の入ったパットを入れたが、術後3日後ぐらいにアレルギー反応が出て、取り出さざるを得なかった

わたし、あの、再建をしたんですよ。すぐ、したんですけど、失敗して、全摘と同時に、パットも中に、生理食塩水を入れるパットを入れてもらって、少しずつ注入、注入するっていうやり方をしたんですけど。アレルギー反応が出てしまって。入れてからですね、手術後、3日後ぐらいに、すごく高熱が出て、で、結局、様子をみましょうということだったんですけど。アレルギー反応がすごくひどくなってしまって、皮膚が、破れてしまったんですよ。で、もう、これは、出さなきゃいけないと言って、パットをもうずるっとこう出してもらう、ちっちゃな手術をしたんですけど。それで、結局、もう、元どおりぺちゃんこになってしまって、で、先生からは、「アレルギー反応は、また免疫が下がっているときだったから、出たんだろうから、また、しばらく経ってトライしたらまた作れるよ」とは言われたんですけど、やっぱ、ちょっと怖くて、一度、そういうことがあったので、から、まあ、今は、ま、いいかなと思って、補整で、はい、対処しています。

乳がんの語り

疲れたり、手に怪我をしてばい菌が入ったりすると、腕に赤い斑点が出て熱が出てしまうので、乳腺の医師を受診して抗生剤を処方してもらっている

それから、まあ、子育てをしながら、治療を続けて、で、治療が終わって、なったんですけど。やっぱり、なかなか、その体が100%戻るっていうのには、時間がかかって、自分の場合は、あの、リンパを結構取っているので、あの、腕がですね、よく腫れるんですね。リンパ浮腫まで、すごく腫れるっていうことはないんですけど、少し疲れたり、あと、ま、手の先を怪我してばい菌が入ったりすると、腕にあるリンパがすごく赤くリンパのふさふさに沿って斑点みたいに赤くなって、で、あの、熱が出るんですね。で、ま、無理したときには、必ずそれが出てしまうんですけど。で、まあ、必ず乳腺の先生のところに行って、自分の場合、抗生剤を飲んだら治るので、で、じゃ、お薬で治してっていうの繰り返して。そういうのもあって、やっぱり、無理はできないなあというのを感じながら、まあ、生活をして。

乳がんの語り

セカンド・オピニオンを受けたところ、診断結果は同じだったが、医師の説明が納得できるものだったので、その病院で治療を受けることにした

次の日の、朝に、もともと最初行った病院に行って、「セカンド・オピニオンをとりたいので、検査結果を貸してください」って言いに行ったんです。そしたら、ま、先生が明らかに嫌な顔をされて(笑)、「僕の、自分じゃ信用できないですか?」みたいなことを言われて、検査結果を貸してくださらなかったんです。「もう1度全部調べてください」って言われて。だから、「分かりました」って言って、
で、午後から、その電話をかけた病院に行って、で、もう一度全部調べたんですが、マンモグラフィ、超音波、細胞診ももう1回したんです。で、もう1回してもらって、検査結果は、結局、同じで、やっぱり「悪性度が高いものです」ということで「今の状況では、たぶん、乳房切除っていうのは、避けられないと思いますよ」っていう説明受けて。
ただそのときに、その前の先生と違ったのは、わたしがよっぽど、悲しい顔していたのか、その、今の先生は、「やっぱり、残したいですか? おっぱいを残したいですか?」って言われて。「はい、残したいです」って言ったら「じゃ」って、「まあ可能性は、低いかもしれないけど、もう1度詳しい検査なりしてみますか?」って言われて。で、「ぜひお願いします」って言って。たぶん、まあ、今思えば、もう、そのときでたぶん難しかったと思うんですけど、先生が、納得させるために、もう1度、乳房のMRIとかいろいろ撮ってくださって、で、検査結果を全部見せてくださって、きちんと説明をしてくださったんですね。「こういう理由で、こういう場所にあるから、あなたの場合は、乳房を全部取らなきゃいけないよ」っていう、ほんとに、納得いく説明をしてくださったので、ほんとに、その説明で、まあ、ある意味ちょっとほっとして、「ああ、しかたがないことなんだ」っていうのを少し受け入れることができて。
あと、もう一つが、子どもって作れないのかなというのが、すごく気になって。そしたらその2番目の先生は、わたしが聞く前に、先生のほうから、妊娠出産について説明をしてくださって、「その、抗がん剤とかホルモン剤とかいろんな治療が全部終われば、赤ちゃん生んでいる人もたくさんいるから、そこは安心していいですよ」って、「まだ、若いからそういうこともね、気になるでしょうから」っていう、説明もしてくださったんですね。だから、それを聞いたときに、「ああ、この先生についていこう」と思って。何か、すごく、まあ、やさしい先生だったし、説明がとにかく納得できる説明をくださったので、「ああ、じゃ、もう先生にお任せして手術と治療としよう」と決めました。