サラ
事故当時:60歳
インタビュー時:62歳

卒後教育の大学のマネージャー。夫は4子を残して死亡。 夫のラッセルは、2006年に、バスを運転中に突然隣接車線から飛び出してきた車両に追突して死亡。サラはショックを受け、今も自分の人生が粉々になったように感じている。

語りの内容

事故が発生した日のことは全部、妙に鮮明に私の脳裏に焼き付いています。職場ではとても穏やかな時間が流れていました。身の回りの整頓などをしていたのですが、今思うと、仕事場が静かでわたしがそんな風に片付けをするような日には虫の知らせ、とでも言うのでしょうか、これから起こることがわかるようなことが以前にもあったんです。
秘書がオフィスのドアから顔をのぞかせ、“面会の方です。”と言いましたので、私は“入っていただいて。”と答えました。その時私は仕事の件で電話をかけた直後で、先方への呼び出し音の鳴っている受話器を手にしていました。二人の警官が入っていらした時に、“この電話が終わるまでお待ちください。”とお願いしました。ちょうど前日、近くの駐車場で車どうしの接触事故があって、レッカー車で事故車が運ばれたばかりでしたので、とっさに自分の車が被害に遭ったのでなければいいと思いました。
それから、同僚のだれかの運転の操作ミスかとも思いました。社内ではしばらく問題になっていたものですから。そして、しばらく電話がつながるのを待っていました。午後4時35分でしたか、4時半だったでしょうか、いえ、4時35分でした。相手が電話に出ないので、“パートさんはしょうがないですね。もう帰っちゃったようです”と言って二人の方へ向き直ると、警官の一人の方がテーブルから私の方へ歩み寄り、机の横のファイリングキャビネットへ腰をおろして言いました。“ラッセルさんのバスが交通事故に巻き込まれて、ご主人は重傷です。病院へお連れします。”

ぞっとなさったでしょう。それで、取る物も取り敢えず病院へいらしたんですね。

私ははっとして立ち上がり、コートを羽織りながら言ったのです。“自分の車で行きます。”それからどういう訳かこう付け加えました。“そうすれば用が済んだら、戻って来られますから。” その時ぼんやりと、これは致命傷だなと思ったんですね。でも自分の理性がそれは口に出してはいけないと言うものですから、そうではなくてこういいました。“今晩遅く戻って来れるように。”
するとその警官はこう言ったんです。“いや、そう言う状況では無いんです。必要となれば、私たちは一晩中でもご一緒しますから。とりあえず今すぐ私たちと一緒に来てください。”

たいした怪我ではなくて、病院へちょっと行ってご主人に会い、それからオフィスへ戻って来られるだろうとは思わなかったのですか?

いいえ。というのは、夫は重傷で腰骨と両足の大腿骨、脛骨とも骨折していて、腹部にも傷を負っていると聞かされていましたから、わかっていました。

足の骨折だけなら、警官がやって来て病院へ付き添って行く、ということは無いでしょうから、ご主人が、大変危険な状態にあるとおわかりになったのですか?

そうでしょうね。それで無意識のうちにこれは致命傷だとわかったんだと思います。それで、“用が済んだら、車がいるでしょうから。”と口にしたのだと思います。でもそれは言ってはいけないことだと思い、今晩遅く、と変えたんです。

それでサラさんは・・・・

私は、同僚で友人の部屋のドアへ向かって、ラッセルが怪我をしたので、病院へ行ってくるからと伝えました。それから上司の部屋のドアを自分の頭で何回かノックし、“事故があって、警察の人が私を病院へ連れて行くというので、行ってきます。”上司は出てきて、”私も一緒に行く。”と言ってくれました。警官の、“いえ、今すぐ行くんです。”と言う答えに、上司が “後をついて行きます。”と言いますと、彼はこう言いました。“それはできません。緊急灯をつけて、サイレンを鳴らしながら走りますから。”

私は: です。

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