診断時:38歳
インタビュー時:40歳

1999年に乳がんの診断。乳房温存手術、化学療法、放射線療法、タモキシフェン投与。

語りの内容

私は手術を受けに行きました。手術は局所麻酔で行われるはずでした。友人と私の娘(Year 11th; 日本の学制で言えば中学の最終年に相当)が一緒ついてきました。私が中へ入っている間、彼女達は博物館へ出かけました。ところが、手術室へ運ばれるときになって、手術は全身麻酔で行うと告げられました。
私は断りましたが、その場合は再び手術の順番待ちをすることになると言われました。この国(訳注:英国)の順番待ちの長さを知っていますから、私は「よし、それではあなた方に命を預けよう」と思ったのです。私は手術を受け、4時に手術室を出ました。そして4時半に退院しました。鎮痛剤を処方されただけで、合併症が起きた場合にどうすればよいかの説明はありませんでした。私はベッドへ直行しましたが、夜10時にひどい痛みで目が覚めました。乳房は元の大きさの2倍に腫れ上がっていました。
娘が病院へ電話をすると、救急外来へ行くように指示されました。私達は出かけ、12時に到着し、朝の5時までそこに待たされました。ようやく診察に来た医師は、私の胸を見ようとさえしませんでした。彼女は私の話を聞き、同じ鎮痛剤を処方しました。私は鎮痛剤と手紙を持参していたのです。彼女は手紙を開封さえしませんでした。手紙はかかりつけの一般医に宛てたものでしたが、このような場合には彼女が開封するべきだったはずです。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧