インタビュー時:57歳(2016年10月)、疼痛期間:12年、診断名:胸椎・頚椎・腰椎後縦靱帯骨化症
北海道在住の女性。夫と2人暮らし。40代半ばに強烈な腰痛が出るようになり、検査の結果、後縦靱帯骨化症の診断を受けた。腰椎の手術を4回受けた。現在も常に腰から両足にかけて、足の指先の痛みがあるが、鎮痛剤は効果がないため飲んでいない。患者会の運営に携わったことや、難病患者団体で相談活動に参加したことが、自分の生き方を変えることにつながった。さらに行政や国へ当事者として、障害者政策などの要望を伝えていく役割を見出だした。

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プロフィール詳細

増田さん(実名)は、現在、北海道で夫と二人で暮らしている。平成16年ごろからよく転ぶようになり、近所のクリニックを受診し座骨神経痛の疑いで牽引やリハビリをしながら様子を見ていた。しかし、次第に痛みは強烈になり何度か救急車で運ばれた。自ら医師に「やっぱりおかしいと思う」と伝え、紹介された別の病院でMRIの検査を受け、国で指定されている難病の一つである胸椎・腰椎後縦靱帯骨化症の診断が下された。

腰から両足、太ももの骨の周辺、両足の指先に強烈な痛みがある。「チクチク針で刺される、ジャッジャッッと針で刺される」などの痛みや、足の親指周辺は「キューっと引っ張られる」痛みが常時ある。手術4回(頚椎前方固定術、腰椎固定術3回)を受け、痛みは軽くなった。痛み止め(リリカ、リボドリール、ソセゴン)は使ったが、めまいやふらつきなどの副作用が出て効かないので使っていない。

痛みは頭から離れることはなく、夜になると集中的に襲いかかってくるので、鎮痛剤(ロキソニン)を大量に飲んだこともある。ドアノブにロープをくくりつけて、首を吊ろうとしたこともあったが、それは死にたくてやっているのではなく、家族(夫)に助けて欲しいというSOS、メッセージだった。孤独だったこと、夫の存在を再認識したかったこと、夫に自分の痛みの辛さをどこまで共有してもらえるのか悩んでいたことが要因だった。現在は、月日が流れ一組の夫婦として、つらさを共有できるところまで来た。

年数を経て、痛みがあっても自分を失うことはなくなった。24時間・365日、痛みのある自分を否定するのはやめ、痛みの無い人生を考えることはしなくなった。同じように痛みを持つ人の電話相談で、一生懸命痛みを持つ人の話を聞いていると、自分の痛みが消えることがある。しかし、反動で話を聞いた後に、痛みが倍増することも度々ある。

看護師が自分の気持ちを医師に伝える橋渡しをしてくれたおかげで、医師との関係が良くなった。その後も、医師とは人間と人間の関係で、話だけは聞いてもらうように自分の意思をしっかりと伝える努力をしており、担当が交代しても良好な関係を築くことができている。

病名がわかるまでは、辛くて早く治りたい一心で、テレビのコマーシャルや新聞の広告に飛びついて、健康食品・漢方薬に数十万を使った。飲み始めは、オペレーターに「まだ効かないんです」と電話したこともあったが、お金が続かないのと、効果はないのでやめた。

難病法が制定されてから身体障害者2級となっているため医療費は支給されるが、タクシー移動や、衛生材料などの出費はかさむので、贅沢はできない。

痛みを抱えている人は原因も異なり、体やこころの痛みもあるので、他者と痛みの経験を分かち合うことはできないと思っていた。しかし、同じ病気の患者会や、痛みを持つ人と語り合う場に出向き、自分ができるお手伝いをすることで、生き方を変えてきた。仲間同志が語りあえる場は貴重で必要だと思う。

患者会・電話相談の活動や医師たちとのつながりを通して、行政や国への要望も伝えていかなくてはいけないと思うようになった。また、痛みを持っている方が沢山いることを声にして伝えたくなった。難病患者・障害者にとって就労の問題は大きい。当事者にしかわからないことを活かして行っている相談業務を、国に職業として認めてもらいたい。

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