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インタビュー時:49歳(2015年6月)
疼痛期間:10年以上
診断名:リウマチ。

近畿在住の女性。夫と2人暮し。39歳の時に足裏や肩、手首の痛みで、専門医を受診してリウマチと診断された。抗リウマチ薬や鎮痛剤、漢方薬の処方などでいったん症状は落ち着いた。診断後1ヶ月休職したが、その後悪化と寛解を繰り返しながらもずっと仕事を続けている。薬剤師という仕事柄、専門的知識があることや体験者と接点があったことはラッキーだと思う。

語りの内容

私は、あの、小さいころからずっと音楽やってて、あの、ピアノを弾いて、ピアノを習ってて、まあ吹奏楽やらオーケストラやらっていうのもずっとやってきたんですね。で、まあ、大人になって、あんまりやってないけれども、いつかはまたピアノ弾いたり、吹奏楽、あの、オーケストラやったりっていうのは、やろうねっていうふうにお友達とも言ってたりしたんですけれども。こう…、あの…、ちょうど、その、まあ言ったら、リウマチひどくなったときにもうできないんですよ。もう絶対楽器はできない。で、すごく、今までずっと音楽やってたのに、すっごい絶望した時期っていうのがあって。で、もう音楽なんかも一生できないじゃんと思ってたんですけれども。

ちょっと、たまたまそのときに、あの、合唱の、こう、誘ってくださ――合唱を一緒にやろうって、まあそれ、リウマチになる前に、わかる前から誘ってくださってた方がいて。で、一緒にその、まあ一応、嫌々だったんだ――嫌々っていうか、自分もしんどいし、もうあの、洋服着替えるのもしんどかった時期だから行きたくなかったんですけれども、でも、まあ、せっかく誘ってくださってるし、一緒に歌、まあ行こうかと思って、一応約束もしたしって行ったんですね。

で、行って、まあ言うたら、ベートーベンの第九だったので、まあ合唱の部分だったんですけれども、歌って、もう本当にあの、何ですか、そのときってもう音楽もう絶対できないと思ってたのに、あ、私、なんか、いや、歌えるじゃんと思って。長丁場、30分ぐらい立っていないといけないし、もうこれ、途中で座るかなとか思ってたんですけれども、いや、こんなに痛くても、もう本当に音楽なんかできないと思って絶望してたのに、あ、私、まだできることあると思ったんです。

なんで、このできることがあったことで、あ、できることに向けて、あの、少しでも。やっぱりいろいろやっていかなくちゃいけないんだなっていうのを感じたっていうのは、それはすごく、あの、考え方の転機になったと思います。ずっと絶望してたら家の中でじっとしてるだけで。あ、痛いんだと思って、痛い、痛いからもう何もしたくないって、なるじゃないですか。そうじゃなくて、いや、まだ、こ、ここはできる。ここは失っちゃっても、だからピアノはもう弾けないですし、バイオリンももう弾けないんで、で、それはわかる。で、まあ、やりたいなと思っても、まあ弾けない。だけども、でも歌はまだ歌える。で、音楽っていう全部のことからしたら音楽はできるじゃないかっていうふうに、すごく思って、

もう終わったときに何かもう、ボロボロ泣いちゃって。もう、その、言ったら、出来あがったっていう感動もあったんですけれども、もう本当ボロボロ泣いて。たぶんお友達、誘ってくれたお友達は、みんなで頑張ったねっていうことで、誘ってくれて泣いてるんだと思ってたんですけど、私自身は帰ったときに、あ、まだ、私、できることあったっていうのをすごく思った覚えがあるの。なんで、その辺りから少しずつやっぱり、こう、意識が変わっていったんじゃないのかなっていうふうに思う。自分が、じゃあ、この残ってるものを使うのにはどうしたいいのかっていうのを、あの、やっぱ考えていったのが…、そう、転機と言えばその辺りが転機だと思います、たぶん。

私は: です。

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