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インタビュー時年齢:76歳(2012年11月)
関節リウマチ治療薬の治験(第何相試験かは不明・プラセボ対照ではない)に参加。

北関東在住。1987年に関節リウマチと診断され対症療法を受けていたが、次第に悪化。1997年、夫が見つけてきた新薬開発の新聞記事を頼りに、大阪の大学病院を受診。1年半待って1999年に大阪の総合病院で新薬の治験に参加。最初は入院して点滴を受けたが、1か月ほどで痛みや浮腫が消えた。その後は4週間に1回、大阪まで新幹線で通院した。2008年4月に薬が承認され、地元の病院でも治療を受けられるようになった。

語りの内容

ずーっとコーディネーターの方はついててくだすったの。ただ、コーディネーターの、その、だい、大学病院から、その、ほかの総合病院に移ったとき、移ったときからもう、コーディネーターの方はついてくだすってて、それで、ただ、その、途中、コーディネーターの方が、最初の5年間ぐらいは何か1年交代ぐらいでこう代わったですけれども、最後のほう行ったら、もう、一人の方がずっとついてくだすって、私たちが治験を降りるときには「もう一緒に、私も退職するわ」といって辞めるぐらい仲良しになってて。その方は看護師さんの資格のある人だったんで、ま、自分でも、一緒に辞めるわ。辞めるぐらい良くしていただいて。ええ。

―― そのコーディネーターさんとどんなこう、つながりがあったかっていうか、その、今、良くしていただいたとおっしゃられましたけど、その、記憶に残ってる、印象に残ってるようなこととかありましたら。

そうですね、これこれこうですとかああですとかって細かいことを言うと、その橋渡しをしてくれたというか、とてもよく、やってくれたというか、もう本当に、お医者さんにこんなことを言ったら笑われるかなと思うようなこと言っても、ちゃんとうまくこう、仲を取り持ってくれたというか、コーディネーターの方には恵まれたと思いますよね。ええ。

―― お医者さんにこんなこと言ったら笑われるかなって、例えばどんな。

うーん、例えばね……、何だろう……、うん、一時、私の娘が、ちょうどこのリウマチになったばっかりのころ、大学卒業して、それで香港に1年間留学して、で、そのときに私すごく心配だったんです。で、息子はもう結婚して、まあ近くには住んでるけども、あのー、(常にそばには)いないし、で、娘もそこ(香港)へ行っちゃうというので、すっごく嫌だったんですね。で、何か、少し、あの、うつになったことある。そのうつになってたころ、治験に入ったので、だから、そのー、寝られなかったとか、また娘がどっか、あの、行っててそれで手紙もよこさないとか、いろいろ不平不満、そういう私的なこと、そんなようなことがあっても、それをよく聞いてくれて、どうも竹渕さんは、あの、少し、あのー、ストレスいっぱいたまってるみたいだみたいなことをそれとなく言ってくれると、その先生が、担当の先生が何かそういう本を持ってきて、これを読んでみろとか、あの、本をくだすったり、何かそういう…、治療だけじゃなくて心のケアもしてもらったみたいな、あの、いい方だったですね。

私は: です。

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