インタビュー時:76歳(2019年11月現在)
診断時:45歳
診断名:急性心筋梗塞、心室細動
首都圏に妻と2人暮らし。元土木建設業。
長期現場に泊まり込み夜通し仕事をする日常で、45歳のとき左胸に締め付けられる痛みが起こり、急性心筋梗塞であることがわかった。
すぐにPTCR(経皮経冠動脈血栓溶解療法)を受け、仕事に復帰した後は、自分の経験をもとに同僚や部下の健康に気を配るようになった。
68歳のとき、突然駅で倒れ、AEDで一命をとりとめた。その後ICD(植込み型除細動器)を植え込みし、1度だけ作動した。
プロフィール詳細
元土木建設業。現在は心臓病の患者会活動をしている。息子たちは自立し、妻と2人暮らし。若い頃から、現場に泊まり込み昼夜区別のない日常で、睡眠時間は少なく、食べたいものを食べ、不規則な生活が続いていた。45歳のとき左胸に痛みがあり、おかしいと思い、病院に行ったが肋間神経痛と言われた。3日後に仕事明けでゴルフに行き、帰宅後に気を失うような締め付けられる痛みが起こり、息子に車で近くの専門病院に運んでもらったところ、急性心筋梗塞であることがわかった。
すぐにPTCR(経皮経冠動脈血栓溶解療法)を受け、病院には1カ月入院し、家で2カ月ほどリハビリをして職場復帰した。リハビリ中は妻の協力で食事療法をして85kgあった体重を70kgまで落とした。また、たばこはショートホープを1日1缶吸っていたが、きっぱり止めた。酒も仕事の付き合いで飲む機会が多かったが、ほとんど飲まなくなった。社内でも病気のことを隠さず、取引先にも自分の病名を伝えて理解してもらえるようにした。会社からは、これまでのさまざまな経験を活かして、現場にいてくれるだけでもいいと言われ、最後まで勤め上げることができた。
2011年の震災後は特に忙しく、がんばりすぎて負荷がかかったのか、自宅近くの駅で心肺停止となり倒れて、AEDで一命をとりとめた。68歳のときだった。心室細動によるもので、その後ICD(除細動器)を植え込みした。8年間に1度だけ作動した。2014年には、カテーテルアブレーション*¹を受け、それからは不整脈が減った。ICDを植え込みしてから満員電車に乗る時に左胸を窓側へ向ける、携帯電話を左胸ポケットに入れない、IH調理器を使う店では器具から離れるなど、ICDが故障や誤作動してはいけないので、気を遣ってきた。
現在、はっきりとした心不全の症状はない。たまには足に浮腫があり靴が履きづらくなる時は、夜、足を上げて寝るようにしている。坂道などでは、息切れが来る前にゆっくり歩くようにしている。長く自分の身体と付き合っていて、自分で自然と調節することができるようになっている。心筋梗塞になったとき、医師に「今まで100だった(心臓の)ポンプの馬力が75位まで落ちるからそれ相応に仕事しなさい」とはっきり言われたのがよかったのかもしれない。
病気になるまでは思いっきり楽しんできたと思う。病気になってからは、改めて体が大事だと思った。心臓病にしても心不全にしてもなってしまったものはくよくよしても仕方がない。できるだけ前向きに気持ちを持っていき、やれることをやっていく。完全に治る病気じゃないから、主治医とコミュニケーションを取り、いろいろとアドバイスをもらいながら病気と付き合うことが大切だ。
自分の病気の経験というのは宝だと思っている。大げさに人のためなんて言わないが、何とかして自分と同じような病気にならないように、また病気になったとしても共に長生きできるような活動を続けていきたい。
すぐにPTCR(経皮経冠動脈血栓溶解療法)を受け、病院には1カ月入院し、家で2カ月ほどリハビリをして職場復帰した。リハビリ中は妻の協力で食事療法をして85kgあった体重を70kgまで落とした。また、たばこはショートホープを1日1缶吸っていたが、きっぱり止めた。酒も仕事の付き合いで飲む機会が多かったが、ほとんど飲まなくなった。社内でも病気のことを隠さず、取引先にも自分の病名を伝えて理解してもらえるようにした。会社からは、これまでのさまざまな経験を活かして、現場にいてくれるだけでもいいと言われ、最後まで勤め上げることができた。
2011年の震災後は特に忙しく、がんばりすぎて負荷がかかったのか、自宅近くの駅で心肺停止となり倒れて、AEDで一命をとりとめた。68歳のときだった。心室細動によるもので、その後ICD(除細動器)を植え込みした。8年間に1度だけ作動した。2014年には、カテーテルアブレーション*¹を受け、それからは不整脈が減った。ICDを植え込みしてから満員電車に乗る時に左胸を窓側へ向ける、携帯電話を左胸ポケットに入れない、IH調理器を使う店では器具から離れるなど、ICDが故障や誤作動してはいけないので、気を遣ってきた。
現在、はっきりとした心不全の症状はない。たまには足に浮腫があり靴が履きづらくなる時は、夜、足を上げて寝るようにしている。坂道などでは、息切れが来る前にゆっくり歩くようにしている。長く自分の身体と付き合っていて、自分で自然と調節することができるようになっている。心筋梗塞になったとき、医師に「今まで100だった(心臓の)ポンプの馬力が75位まで落ちるからそれ相応に仕事しなさい」とはっきり言われたのがよかったのかもしれない。
病気になるまでは思いっきり楽しんできたと思う。病気になってからは、改めて体が大事だと思った。心臓病にしても心不全にしてもなってしまったものはくよくよしても仕方がない。できるだけ前向きに気持ちを持っていき、やれることをやっていく。完全に治る病気じゃないから、主治医とコミュニケーションを取り、いろいろとアドバイスをもらいながら病気と付き合うことが大切だ。
自分の病気の経験というのは宝だと思っている。大げさに人のためなんて言わないが、何とかして自分と同じような病気にならないように、また病気になったとしても共に長生きできるような活動を続けていきたい。
*¹カテーテルアブレーション:経皮的カテーテル心筋焼灼術のこと。手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、心臓の筋肉の中にある異常な電気回路を焼灼または冷凍凝固して、不整脈を抑える治療。
インタビュー15体験談一覧
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