インタビュー時:53歳(2022年2月)
診断時:52歳
診断名:心筋梗塞、心不全
首都圏在住の男性。1人暮らし。発症時はスーパーに勤務。
2021年9月に職場で倒れて救急車で運ばれた。重症の心筋梗塞だった。血管を広げるステントを挿入するカテーテル手術と心臓リハビリテーションを受け、2カ月入院し体力の回復後に退院。
しかしその4日後、水分・塩分の摂りすぎや動きすぎなどにより、心不全を起こし3回ほど再入院した。退院してからここ1カ月は無理せず十分に気をつけて生活している。
スーパーの仕事は退職し、現在は生活保護を受給している。
プロフィール詳細
首都圏在住の男性。2021年9月に職場で強烈に胸が痛くなり倒れて救急車で運ばれた。病院に到着する頃には意識を失っていた。医師の説明では、かなり重症の心筋梗塞で心臓に栄養を運ぶ3本の血管(冠動脈)の根本の方が詰まっていて、病院にたどり着く前に亡くなってもおかしくない状態だったと聞いている。検査結果を見た看護師にも「これまで見たことのない数値」と言われたことが耳に残っている。治療は血管を広げるステントを挿入するカテーテル手術と心臓リハビリテーションを受け、体調の回復を待って11月後半に退院した。
1人暮らしで遠方にいる家族には救急車で運ばれた際に持っていた荷物の中のメモ帳を見て連絡がいき、病状が伝えられた。そして、その日のうちに妹と母親が新幹線で駆け付けてくれた。医師の説明から今すぐ命に別状はないとわかり帰っていったが、母親は心配のあまり「親より早く逝かないで」と言って、しばらくは泣いて過ごしていた。
2カ月の入院期間のうち、1カ月ほど集中治療室(ICU)に入っていた。ICUでは、ずっとベッドに寝たきりの状態が続いた。少しずつベッドの頭の角度をあげていく練習をしていき、1カ月近く経ってから立つ練習をし、短い距離を歩き、徐々に距離を延ばしていった。ベッドの頭の角度をあげていくときは、それほどの高さでもないのに、恐怖心や緊張感を感じた。ずっと酸素マスクをつけていて、食事も点滴と流動食で、ずっと寝たきりの状況で人間らしさがなく、生きていることがつらくなり、大泣きをしたことがあった。追い詰められているときは、ラジオの音が幻聴のように聞こえたこともあった。看護師さんに「一人じゃないですよ」「今はゆっくり休んで」「みんなついていますから安心してくださいね」と慰められて何とか乗り越えることができた。また、定期的にICUに訪問し、精神面のケアをしてくれる専門家がいて、それほど深い話をできなかったが、先生と相談して精神安定剤を処方してくれて、多少助けになったように思う。
一般病棟に移ってからもモニタリングしながら、徐々に歩く距離を伸ばして心臓リハビリテーションを行っていった。入院期間が長引いたのは、たくさんの種類の内服薬を自分に合った内容に調整するのが大変で時間がかかったと聞いている。薬の作用について説明を受けたが、大雑把にしかわからない。今も朝だけでも10種類以上飲んでいる。多すぎて効果があるのかわからないが、処方されたからは飲むしかないと思っている。
2カ月の入院を経て、退院したが、4日後に水分や塩分の摂りすぎに加え、熱いお風呂に入り、心不全を起こし、再入院した。2週間ほど入院して治療し、退院。3週間ほどは問題なく過ごしていたが、電車で移動し結構長く歩いて心臓に負荷がかかり駅で倒れて救急車で運ばれた。この時は4日ほど入院して回復したが、その後も水分を摂りすぎて夜中に呼吸が苦しくなり、救急車を呼び、再入院となった。最後の入院は4日ほどで、退院してからここ1カ月は水分と塩分を摂りすぎない、動き過ぎないよう気をつけている。
これだけ入退院を繰り返したので、4回目の入院のときは、正直長生きできないなと落ち込んでしまった。死んだ方がましだと考えてしまうこともあるので、仕事や何かやることを見つけなきゃと思っている。もともと仕事は、スーパーの荷下ろしと陳列をしていた。冷蔵庫の寒い中で作業していたので、外気温との差が影響したと思う。今はドクターストップがかかり、退職した。現在、生活費については生活保護を受給している。もともと障害認定(精神)を受けており、今後は障害者就労継続支援の作業場で周―2回から始めてみようかと考えている。
1人暮らしで遠方にいる家族には救急車で運ばれた際に持っていた荷物の中のメモ帳を見て連絡がいき、病状が伝えられた。そして、その日のうちに妹と母親が新幹線で駆け付けてくれた。医師の説明から今すぐ命に別状はないとわかり帰っていったが、母親は心配のあまり「親より早く逝かないで」と言って、しばらくは泣いて過ごしていた。
2カ月の入院期間のうち、1カ月ほど集中治療室(ICU)に入っていた。ICUでは、ずっとベッドに寝たきりの状態が続いた。少しずつベッドの頭の角度をあげていく練習をしていき、1カ月近く経ってから立つ練習をし、短い距離を歩き、徐々に距離を延ばしていった。ベッドの頭の角度をあげていくときは、それほどの高さでもないのに、恐怖心や緊張感を感じた。ずっと酸素マスクをつけていて、食事も点滴と流動食で、ずっと寝たきりの状況で人間らしさがなく、生きていることがつらくなり、大泣きをしたことがあった。追い詰められているときは、ラジオの音が幻聴のように聞こえたこともあった。看護師さんに「一人じゃないですよ」「今はゆっくり休んで」「みんなついていますから安心してくださいね」と慰められて何とか乗り越えることができた。また、定期的にICUに訪問し、精神面のケアをしてくれる専門家がいて、それほど深い話をできなかったが、先生と相談して精神安定剤を処方してくれて、多少助けになったように思う。
一般病棟に移ってからもモニタリングしながら、徐々に歩く距離を伸ばして心臓リハビリテーションを行っていった。入院期間が長引いたのは、たくさんの種類の内服薬を自分に合った内容に調整するのが大変で時間がかかったと聞いている。薬の作用について説明を受けたが、大雑把にしかわからない。今も朝だけでも10種類以上飲んでいる。多すぎて効果があるのかわからないが、処方されたからは飲むしかないと思っている。
2カ月の入院を経て、退院したが、4日後に水分や塩分の摂りすぎに加え、熱いお風呂に入り、心不全を起こし、再入院した。2週間ほど入院して治療し、退院。3週間ほどは問題なく過ごしていたが、電車で移動し結構長く歩いて心臓に負荷がかかり駅で倒れて救急車で運ばれた。この時は4日ほど入院して回復したが、その後も水分を摂りすぎて夜中に呼吸が苦しくなり、救急車を呼び、再入院となった。最後の入院は4日ほどで、退院してからここ1カ月は水分と塩分を摂りすぎない、動き過ぎないよう気をつけている。
これだけ入退院を繰り返したので、4回目の入院のときは、正直長生きできないなと落ち込んでしまった。死んだ方がましだと考えてしまうこともあるので、仕事や何かやることを見つけなきゃと思っている。もともと仕事は、スーパーの荷下ろしと陳列をしていた。冷蔵庫の寒い中で作業していたので、外気温との差が影響したと思う。今はドクターストップがかかり、退職した。現在、生活費については生活保護を受給している。もともと障害認定(精神)を受けており、今後は障害者就労継続支援の作業場で周―2回から始めてみようかと考えている。
インタビュー35体験談一覧
- 集中治療室では精神的に辛くて2回大泣きした。「みんなついていますからね」という看護師の言葉で乗り越えられた(音声のみ)
- 心筋梗塞で倒れたのは、冷蔵庫と外気との気温差で心臓に負担がかかったのではないか(音声のみ)
- 一般企業が心臓病の人を雇うことはないと思うので、障害者の支援センターで作業所を紹介してもらおうと思っている(音声のみ)
- 入院中に受けた心臓リハビリテーションで、自分の心臓に合った活動がわかってきた(音声のみ)
- 心筋梗塞で入院して仕事ができなくなったが、生活保護のケースワーカーがいろいろやってくれて、生活に問題はない(音声のみ)
- 朝だけで13種類くらい飲んでいる。種類が多すぎて薬の中身は把握できていない。一包化してもらい、何とか飲めている(音声のみ)

