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インタビュー時年齢:42歳(2020年9月)
障害の内容:肢体不自由(下肢障害)・手動車椅子を使用
学校と専攻:大学・芸術学部写真学科(1996年度入学)

関東地方在住の男性。生まれつきの骨形成不全症で、幼いころから車椅子で生活してきた。小中高と一般校に通い、大学では芸術学部で写真技術を学んだ。卒業後印刷会社に就職し、13年間働いた後、ユニバーサルデザインに関心を持ち、今の会社に転職。現在は、障害者向けの製品の研究開発に従事している。同一労働・同一賃金をモットーに、必要なところは周囲の協力を得ながら、仕事に打ち込んでいる。

語りの内容

社会人になって、ま、いろんなものが分かってくるようになってですね。大学時代とはまたちょっと打って変わってですね、就職活動を行う時にはですね、障害者雇用をやっている会社の企業説明会というものが、福岡のほうで開催がありましたので、それのほうに参加をしてですね。で、私が行きたい会社がそこにありましたので、あのー、ずばりで、行って。このような業務がしたいといった形で就職活動を行っていきました。

――先ほど若気の至りだった時代と(笑)、そこから社会を学んでというか、そういうふうにやって。その時のその、何だか心境の変化というか、障害者雇用枠で入ることについて、その説明会に行こうと思われたっていう、そのちょっときっかけというか、分かれば教えていただきたいです。

そうですね、やはりその転職をする前にですね、職安などに相談に行ってですね。どのような転職の仕方があるのかという形で、相談をさせてもらった時にはですね、自分の記録が残ってるんですね。どこの会社に勤めているっていうことがですね。で、どのような雇用状況であるっていうことも、記録に残ってたんですね。それを見た時にですね、あ、やっぱり自分がその、何ていうのかな、障害者枠っていう枠から超えることはないんだなというところを感じたのも事実ですね。それがいいか悪いかっていうのは、もう本人次第の僕は話だと思ってるんですけども。若い時はそれがちょっと受け入れなかった部分はあるんですけども。今となればもうその枠なんだなっていったところで、特に抵抗もなくですね。そしたらこの枠の中で、できることをやっていこうといったところで考えております。

――その最初の、印刷の会社に就職された時の枠、それは障害者雇用という枠だったんですか。一般で受けようとしたとおっしゃいましたよね。

特にですね、まだ当時の僕が2000年代の時にはですね、障害者雇用っていう形で、会社は求人を行ってはなかったみたいなんですよ。一般雇用で、一般の普通の大学生を相手にやってて、その中にたまたま僕がいたといったところですね。たまたま車椅子がいたっていう状況で。で、ま、いざ雇い入れるにあたっては恐らく障害者雇用枠で、雇い入れたんだとは思います。特にそこに、説明はなかったですけどもね。

――その枠から出られないんだなっておっしゃったということは、例えばその、昇進とか、そのお給料の額とか、そういうところでやっぱり健常者の人たちと違うふうに、一般雇用枠の方と違えられてるというふうに感じられたということなんですね。

あ、いえいえいえ。そういうのはもう全く逆になかったんですよ。お給料も普通の方と一緒に頂いてたし。ま、特に出世っていうのはなかったんですけども。普通どおり皆さんと、まあ、お給料面も、昇給面も(違いが)なかったからですね。何か自分にそういった枠の中にいるんだっていうような意識は逆になかったんですね。だから、ま、逆に職安なんか行って、自分の名前で調べてみると、その枠なんだっていうところだけでしたね。

私は: です。

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