この「理工系領域で働く」というページでは、障害をもちながら理工系領域の研究者や技術者として働いている人たちの体験談を紹介しています。こちらにご紹介する方々のうち、「理工系インタビュー○○」と書かれている人たちのインタビューは、東京大学先端科学技術研究センターの「インクルーシブ・アカデミア・プロジェクト」との共同研究の一環として行われたものです。
なお、理工系領域の職種に就く前に、大学や大学院で学ぶ際に直面した困難やその克服の方法などについては、「理工系領域で学ぶ」というページをご覧ください。
就職活動で直面したハードル
理工系に限らず就職活動は障害学生にとって、それまでのある程度守られた教育環境から現実社会に出ていく際の最初の関門です。特に理工系の学生は研究室に拘束される時間が長いことから、就活に十分な時間が取れないという問題があります。さらに大学院に進んで研究職や開発職を目指す人も多いですが、採用数がそれほど多くないため、障害のない学生との競争を勝ち抜かなければなりません。インタビューでも、大学院では優秀な成績を修めながら、就活が思うようにいかなかったという人たちがいました。こちらの車椅子の男性は大学院1年の時に就活が始まった頃はなかなか面接までこぎつけることができずに焦りましたが、その後面接してくれた会社はどこも最終面接まで通ったそうです。
数学を専攻した全盲の男性も数多くの論文を執筆していたにもかかわらず、100ぐらいの大学に応募して、一度も面接してもらえなかったと話しています。
上記の男性より20年以上年下の弱視の男性も、自分が専門として学んできた土木の仕事に就きたかったのですが、土木関係の会社からは「配慮の前に排除」されたと話しています。結局男性は留学経験や大学時代の活動に注目してくれたIT関係の会社に就職しました。
障害者雇用枠について
障害学生の就職活動では、障害者雇用に特化した企業説明会や就職セミナーなどを通じて企業にアプローチする方法と、いわゆる一般採用の説明会やセミナーに障害のない学生たちに混じって参加する方法の2通りがあり得ます。理工系の学生だった人たちのインタビューでは、どちらのアプローチをとるべきか悩んだというお話が出てきました。特に大学院まで進んで、身に着けてきた専門知識や技術を、障害者枠で採用された場合にも生かすことができるのかどうか、ということが懸念の材料になっていたようです。
冒頭に紹介した車椅子の男性は「就職氷河期」と呼ばれる時代の終わりごろに就職活動をしていたのですが、障害者採用枠だと自分が望む研究職に就けないのではないかと心配して、一般採用枠を中心に活動していたことを話しています。
同様に車椅子で、同じ頃に就職活動をしていたこちらの男性は、一般採用枠のエントリーシートを3社に出してそのうちの1社に採用されましたが、周りには合否通知が来ているのに自分だけ来ないということで心配になって会社に連絡を取り、個別に面談して採用にこぎつけたということでした。障害者雇用枠で採用されることに抵抗があった当時の自分を振り返り、「若気の至り」だったと話しています。
次の車椅子の男性が就職活動を経験したのは、上のお二人より15~20年ほど後のことですが、やはり同様に障害者採用で入社した場合にほかの人と同じような仕事をさせてもらえるのか不安を感じて、一般枠で受けていたと言います。
一方、初めから障害者雇用の枠組みで会社にアプローチしても総合職として採用は可能だと思って、障害者向けの就職セミナーを回っていたという人もいます。例えば聴覚障害のある男性は、一般向けの就職説明会よりも、1対1で話が聞けそうな障害者向けの説明会に絞って情報を集め、希望した職種で採用されました(「就職活動」のページのインタビュー21を参照)。
第一志望の土木系の会社には断られてしまったという視覚障害の男性も、障害者枠でも総合職で採ってくれそうな会社を探して、障害者採用を専門に扱っている就活イベントを中心に回り、最終的にIT系の企業に就職しました。
学生時代は「若気の至り」で障害者枠での就活に抵抗を感じていたという男性は、「同一賃金・同一労働」をモットーに働いていましたが、後日会社の法定雇用率算出の対象になっていることを知り、転職先探しでは障害者雇用の企業説明会に行って「第一線で働かせてほしい」と訴えて、就職活動を行ったそうです。
職場での合理的配慮
理工系の職場ではどのような配慮が行われているのでしょうか。実験室の環境整備といったハードの面については「理工系領域で学ぶ」のページで紹介していますので、ここではそれ以外の配慮について紹介します。
筋力の低下により繰り返しの手作業が難しいという男性は、研究室で雇ってもらった学部生のアルバイトにそうしたルーティンワークを担ってもらい、その間に自分はデータの解析作業を進めるようにしていると話しています。
現在、多くの大学に障害学生対応の専門部署が設置されるようになっていますが、障害のある教職員・スタッフを対象とした専門部署を持つところはまだ多くありません。車椅子で働く次の男性の職場では年に1度、理工系に限らず同じ大学で働く教職員が一堂に会して話し合う場が設けられているそうです。
採用の段階で障害があることが分かっていても、初めからそのことに配慮した仕事が与えられるとは限らないことも、インタビューの中で語られていました。大手の建設会社に就職した難聴の男性は、「電話の対応はできない」と会社に伝えていたにもかかわらず、最初に配属された場所は電話対応が必要な部署だったと話しています。その後も自分が聞き間違えると、「言った、言わない」の問題になってしまうので、相手に対する確認を徹底するように気を付けているということです。
IT関連企業に就職した弱視の男性も、最初に配属されたのが現場で何百台ものパソコンをつないだり、設定したりする仕事で、精神的な負担が大きく、上司と相談の上、オフィス内で設計したり戦略を考えたりするような仕事に変えてもらったと話しています。
一方、職場に配慮を求め、それに対応して機器やアプリケーションが購入されていても、正しい使い方が理解されていないケースもあります。オーディトリー・ニューロパシー*という珍しい病気による難聴の女性は、職場である大学に合理的配慮を要望して、「UDトーク」という音声認識による字幕表示アプリケーションを法人プランで購入してもらいましたが、学内の会議等でそれが使われたことはない、と話しています。
*聴力検査等の単音は問題なく聞き取れるが、音自体が不明瞭に聞こえるため、言葉の聞き取りが悪くなる症状。音を脳に伝える電気信号の変換や伝達に問題があると考えられています。
UDトークは一般向けには無料で配布されており、それをスマホやタブレットに入れて字幕を表示することもできますが、個人がそれを持って会議に出ても、自動音声認識で話者の言葉が正しく認識されないこともあります。法人契約の場合は、会議を開催する側がそうした誤認識部分を手入力で修正する担当の人を置いて、修正後の字幕をプロジェクターや参加者のスマホに表示させるのが正しい使い方ですが、この女性の職場ではそのような使い方がされていなかったようです。
こうした支援を行うためには、大学側が責任を持って修正者を養成したり、授業を担当する教員や会議の主催者に使用方法や留意点等の説明をしたりしていく必要がありますが、日常的に職場で開かれる打ち合わせではそこまでの準備を整えることは難しいので、同僚や秘書的な立場の人にノートテイクをお願いしている人が少なくありませんでした。しかし、理工系の専門用語は、なかなか自動音声認識でも専門家ではないノートテイカーでも正しく聞き取って文字化するのが容易ではないということでした。
職場でこうした配慮を得ることについて、上記の男性は相手に対する感謝の気持ちに加えて、相手にとってもメリットがあるような提案をしてバランスを取ることが大事だと話しています。
同様に高等専門学校で教える男性は、学生に自身の目の代わりとなって顕微鏡を見てもらいながら研究を行っていますが(「理工系領域で学ぶ」の理工系インタビュー03を参照)、そのことで顕微鏡に対する学生自身の理解も深まっていると感じています。
中途障害・進行性疾患に向き合う
理工系領域で研究者としての道を歩んでいるさなかに、病気や事故で障害者となった人達の中にはいったんは転職を考えたという人がいます。在外研究中に多発性硬化症の診断を受けた男性は、一度は完全に研究者の道を諦めたそうです。
網膜色素変性症の診断を受けた男性もアメリカで6年間に及んだ研究が一段落したところで帰国して、大学院時代の教授の下で1年の任期付きの研究員の仕事をしながら、障害者雇用のエージェントに登録して民間企業を対象に就活を始めましたが、なかなか採用にこぎつけられませんでした。
何とか高等専門学校に職を得ることができた男性ですが、進行性の疾患のため4年後には右目の視力を完全に失いました。この時には顕微鏡学者である自分はいよいよ仕事を辞めなくてはならないのではないかと大きな精神的なショックを受けました。しかし、結果的には白杖をつくようになり、視覚障害者であることが教職員の間で共有されると、周囲からの支援が得やすくなり、あとは自分の工夫があれば働き続けられると思えるようになったと話しています。
一方、1990年代末に博士課程1年目に多発性硬化症の診断を受けた男性は、その時点では卒業後は製薬会社か化学会社に入って自分の病気の治療薬の研究をしたいと思っていましたが、その後症状が進行して博士課程の4年目くらいに車椅子になった時点で、博士号を取ったら研究は辞めようと気持ちになっていました。そして、コンピューターの基礎を学ぶ2年間の講習を受けて、IT技術者として大学に就職したと話しています。
当事者だからこそできる仕事がある
このように理工系領域で働く人たちは先天的な障害の人も中途障害の人も、様々な苦労や困難に直面していますが、逆に障害の当事者だからこそできる仕事を見つけ出した人もいます。
企業で技術者として働く人たちはバリアフリーやユニバーサルデザインに関連した仕事を選択する人が少なくありません。やはり当事者ならではの視点を生かし、むしろ障害を自身の強みに変えて仕事に生かしていこうとしていることを話しています。
一方、自分の病気や障害の原因や治療方法の研究に取り組んでいる研究者の方もいます。長年難聴がありながら、正しい診断がつかなかったことで、自分の障害と向き合ってこなかったという女性は、自身の専門領域である心理学の視点から難聴者の気持ちを研究することで自分自身の体験を改めて見つめ直そうとしています。
また、iPS細胞の研究に携わる筋ジストロフィーの男性は、競争の激しい研究の世界で研究者が論文を出すことに躍起になり、治療法の開発に望みをかける患者の思いからかけ離れてしまうことを懸念して、当事者である自分は患者に対してきちんと説明のできる研究者でありたいと話していました。
2022年3月公開
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