投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

補正用パッドを選んだときのこと、またその品質に驚いたことについて話している

ともかく、補正用パッドに話を戻しましょう。
ここの癌ケア専門の看護師さんは優秀な方でした。何か問題が起きた時にはいつでも電話することができるというのは本当に素晴らしいことですよ。補正用パッドについても、この同じ看護師さんが対応してくれました。
その当日に病院へ行くと、看護師さんはパッドの箱で一杯になった部屋にいました。サイズも形もいろいろあって、何もかもが揃っていました。私は看護師さんに「つけてみることができるといいんだけど」って言ってみたの。
すると看護師さんは「もちろんかまいませんよ」といってくれました。私は信じられないほど感嘆しました。明らかに、それらは出来上がってから1年以内の新品でした。ですから迷うまでもありませんでした。私は「ほら見て、私は絶対にどれかをいただくわ」と言いました。
サイズや何もかもがピッタリ合うものを見つけようと、全ての種類を試しました。そして私は、これらの補正用パッドがどれほど本物らしいかに完全に圧倒されました。つまり、それらは正に本物の乳房のように感じられるのです。本当にビックリしました。そして実際に、驚くほどピッタリと体にくっつくのです。もし誰かが補正パッドを使用するなら、私は間違いなく貼り付け式を推薦します。

英国人の乳がんの語り

なぜ入院生活を楽しいと思えたか説明している

私の他にその日の夕方に手術を終えた女性がもう一人いて、とても親しくなりました。二人でよく病院中をぶらぶらしに行きました。こんなこととんでもないと承知の上ですが、私は本当に病院での時間を楽しんだのですよ。この女性と私は、お友達になって楽しく過ごしました。私たちはとことん楽しみました。よく真夜中にクリームケーキを食べたりしたものです。そしてある夜には、チップスとビーフバーガーの販売機がある1階に下りて行って、食べました。あまり美味しくはありませんでしたけど、私たちにとってはちょっとした冒険だったんだと思います。私は病院で元気そのものでした。

英国人の乳がんの語り

乳房切除術を行った多くの女性たちが感じる喪失感について述べている

そう、私がなによりも最初に思っている事は、わたしの夫が本当に素晴しかったということ。これは言っておかなければいけないわ。でも、外観が醜くなったことを自分の目で見たときは、だれでもそう感じるというわけではないかもしれないけど、その瞬間は落ち込んで、失ったことを嘆き悲しむわ。だって、身体の一部が失われるんですものね。
新聞・雑誌、テレビ画面、どこを見てもボディイメージがあふれているのに、自分のボディイメージが突如奪われることを考えてみるといいわ。トップレスでビーチになんて行きたくもない、そんな感じね・・・。でも今は、それをするチャンスさえ失くしたの。決意する権利さえもどこかへ行ってしまったわ。

英国人の乳がんの語り

手術後の合併症の経験について話している

えーと、その後で何が起こっのだったかしら? あら、何だか忘れちゃったわ。
木曜日に退院した後、先生に診てもらいに行った時のことだわ。先生は液体を抜き取って、それから血腫ができていたとも言ったわ、一種の大きな血の塊ね。つまり、それは液体じゃなくて、実は固体なのね。先生は「最良の処置は入院して除去手術を受けることです」と言い、それからこう続けました「今日の午後入院してください」
それで私は再入院したのです。脇部屋にベッドを見つけてくれましたので、一晩中そのベッドにいました。そしてまた全く同じ手順で、手術室に入りました。
どちら側だったのですか?
そう、それはとってもはっきりとわかりました、というのは青黒いあざのようになっていましたから。何はともあれ大丈夫でした。すぐに手術になり、先生は「以前と同じ所を切開しましょう」と言いました。それを聞いて私はちょっと引き気味になりましたけど、手術してくれて、すべて無事に終わり、ちょっとしたケチがついただけで済みました。

英国人の乳がんの語り

手術が終わったときには、次の日から体操を始められると思った

それから上の階の病棟へ戻りました。すると外科医たちが私を待っていました。彼らは、私に準備はいいかどうかを尋ねて、これからどういうことをするのか説明しようとしたんです。だから、私は言ったんですよ。「先生方は、自分のやるべきことをしてください。私は私のやるべきことをやりますから」って。医者はがんを取り去るわけだから、取ってくれればそれでいいんです。あなたたちがこれからどんなことをするのか、前もって知っておきたいなんて、思わないんですからってね。
先生に「本当にいいんですか?」と聞かれて、私は「はい、本当にいいんです。知りたくないですよ。目が覚めたら、もうがんはなくなっているということがわかればいいんですから」と答えました。それから先生方は私を下の階へ連れて行きました。そこで麻酔薬の注射とガス麻酔をしてねむってしまって。そして目が覚めたときには回復室(リカバリールーム)にいました。
そこでは、子供たちが側で私が目を覚ますのを待っていてくれました。そして子供たちが私を病棟へ連れて来てくれたのです。
痛みはまったく感じませんでしたが、翌日になると痛みがあって、体操を始めました。乳がんの手術をした従姉妹がいて、体操が載っているリーフレットを送ってくれたんです。それで、ほんとに手術の翌朝から体操を始めました。理学療法士の女性が入って来た時には、私はもう起き上がって腕を上げたり下げたりしていました。彼女は「まあ、すばらしいですね」と言いましたよ。あれはおかしかったですね。
孫たちがお見舞いに来てくれて、息子の嫁たちも、家族のみんなですよ。家族みんなが来てくれました。

英国人の乳がんの語り

術後の処置について話している

手術の後は、あまり痛みはありませんでしたが、ふらつきがありました。
最初はトイレに行くために起き上がる時です。そしてもちろん、寝返りを打たなければならない時です。
それから次に意識するのは、2本のドレーン(註:手術部位にたまってくるリンパ液などを排出するための管)が脇腹から出ていることです。
1本目のドレーンは2本目をつける前に抜かれるんですけどね。手術の翌日に医師達は最初のドレーンを引き抜きました。それは乳房のあった部分に沿って走っていました。 私はその場所を見てみようと思いました。
 もちろんぞっとしました。ドレーンが身体の中から出てずんずんと長く傷口に沿って走っているし、ドレーンには浸出液を排出するように小さな穴が沢山開いているし、で。
そんなものは見てはいけないという教訓を得ましたけど、凄く奇妙な感じでした。でも、見て落ち着きもしました。
 それにボトル類です。ボトルは小さなバッグに入っています。ちょうど雪だるまが持っているような小さな手さげ袋の中に2つのボトルが入っていて、トイレに行かなければならない時などに携帯することができます。

英国人の乳がんの語り

手術に備えて体調を整えた

そこで、私は乳房切除術を受けました。今年の1月で術後1年になりました。手術は成功でした。手術を待っている間に、可能な限り体調を整えようと決意しました。何でもよく食べて身体を動かし、手術を受ける時にも、それ以外にどんな治療を受けることになっても、できるだけ良い状態で臨もうとしたのです。できるだけ体調を整えられれば、手術や治療の負担が少ないかもしれないと考えました。実際、その通りだったと思います。
私は既にスポーツジムへ通っていましたが、定期的に行くように心がけました。週に3回が目標でした。また、果物や野菜をたくさん摂るようにし、脂肪の摂取量を減らそうとしました。総合ビタミン剤やミネラルの服用も始めました。
さらに、私は以前から月経前症候群の症状があったため月見草油を服用していましたが、これはそのまま続けました。また、日頃から自分自身に気を配るように心がけました。

英国人の乳がんの語り

手術前に感じたことを話している

それまで、ことの重大さに気づいていなかったと思うの。病連に迎えが来て、車椅子に乗せられて、麻酔室へと連れて行かれたの。その時、これから何が起きようとしているのかピンときたわ。
「この次、目が覚めたときにはもう、片方しか胸がないのね。」そう思ったの。そしたら涙が出てきてしまって。執刀医を含め、みんな周りにいたのに。だけど彼らの対応は、とても素晴らしかったわ。私は、「これから何が起こるかがようやく分かってきたみたい」って言ったの。そしたら先生は、「大丈夫。何も心配はいらないよ。」って言って安心させてくれたの。彼らは素早く私をねむらせてくれたわ。痛みは全くなかったし、何をされているのか分からなかったくらい。彼らは本当に素晴らしかったわ。そうね。それが本当に実感がわいた時ね。

英国人の乳がんの語り

なぜ2度目の乳房切除を選択したかについて説明している

実は私のほうから「もう一方の乳房も切除術を受けることはできないのでしょうか?」と3年前にたずねたのです。乳房に心配を抱えて過ごすのは気の晴れないことだったからです。私は、自分で自信がなかったのです。再発におびえていました。そのことで失望したくなかったのです。
この時は前ガン状態だったので、小さな部分切除を受けました。その部分はいわゆる異型細胞だったのです。けれども、その切除部分の中央に、いわゆるDCIS、が見つかりました。非浸潤性乳管ガンというもので、スクリーニングで多くの人が発見されています。DCISはかなり早期のガンです。そのため、このとき、乳房切除術を行うことに医師達は同意しました。それで、ちょうど1年前に2度目の乳房切除術を受けました。乳房切除術を受けるのは多くの人たちにとって怖いことだと知っていますが、私が決めたことですし、お陰さまで、手術を受ける前よりも安心を感じています。

英国人の乳がんの語り

18 年前に乳房切除術を受けたが、これが唯一の治療方法だったことを説明している

担当の先生はこれからどんな治療をするのかについて本当によく説明してくれました。私が受けることになる乳房切除術がどんなものかについてです。私は、来週休暇を取っているので手術はその後にしてもらえないだろうか、と尋ねました。先生は、「とんでもない、明日入院していただきます」と言いました。そして実際その翌日に入院し、さらに次の日手術を受けたのです。
 しこりを見つけてから切除するまで、2週間と経っていませんでした。よかったと思います。でもその時はガンがリンパ腺に転移してしまっていないか心配でした。なぜか、もしリンパ腺がやられたら、私はもう終わりだとずっと思っていたのです。そして4日後、検査で転移はないとわかりました。
 本当は、ずっとそれまで死刑宣告を受けたような気持ちでした。でも、リンパ腺に転移していないと知って、ずっと気が楽になりました。
 結果的には、そんなに心配しなくてもよかったのです。手術は49歳の時で今から18年前のことですが、あれ以来治療を受けていません。
 私は術後10日間入院しました。最近ではもっと早く退院するのでしょうけれど。
 退院後、当時私は教員で夏休みが間近だったこともあって、3ヶ月近くも仕事の心配なしで休めました。
 そして九月に仕事に戻ったのです。後遺症もなく、とても調子はよかったです。