投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

治療が終了した途端に放り出されたように感じた

他に私が実際思ったことは…一旦治療が終わってしまうと、自分が放り出されてしまったように感じたことね。相談したいときには見てくれる乳房ケアの専門看護師に紹介されたとしても、相手は忙しくて、他に沢山大事な仕事をかかえているんです。
まるで放り出されたように感じちゃうのね?。
「これでおしまい。治療は終わりました。終わったのよ。もう来なくてもいいですよ。4ヶ月後にまた診せにいらっしゃい。」なんて言われるのがちょっと怖いの。特にこんな風に言われた時ね…「ああ、その痛みね」とか「これって普通なの?」なんてね。
こういうことって、何か出来るはずだって思うの。国民医療サービス(NHS)が厳しい状況にあることは分かっているけど。必要なときには、頼める誰かをNHSが手配することは可能だと思うの。サポートグループってそのためのものじゃないかしら。

英国人の乳がんの語り

外来患者として乳房温存術を受けた一人の女性は、病院で経験した対応を批判している

私は手術を受けに行きました。手術は局所麻酔で行われるはずでした。友人と私の娘(Year 11th; 日本の学制で言えば中学の最終年に相当)が一緒ついてきました。私が中へ入っている間、彼女達は博物館へ出かけました。ところが、手術室へ運ばれるときになって、手術は全身麻酔で行うと告げられました。
私は断りましたが、その場合は再び手術の順番待ちをすることになると言われました。この国(訳注:英国)の順番待ちの長さを知っていますから、私は「よし、それではあなた方に命を預けよう」と思ったのです。私は手術を受け、4時に手術室を出ました。そして4時半に退院しました。鎮痛剤を処方されただけで、合併症が起きた場合にどうすればよいかの説明はありませんでした。私はベッドへ直行しましたが、夜10時にひどい痛みで目が覚めました。乳房は元の大きさの2倍に腫れ上がっていました。
娘が病院へ電話をすると、救急外来へ行くように指示されました。私達は出かけ、12時に到着し、朝の5時までそこに待たされました。ようやく診察に来た医師は、私の胸を見ようとさえしませんでした。彼女は私の話を聞き、同じ鎮痛剤を処方しました。私は鎮痛剤と手紙を持参していたのです。彼女は手紙を開封さえしませんでした。手紙はかかりつけの一般医に宛てたものでしたが、このような場合には彼女が開封するべきだったはずです。

英国人の乳がんの語り

病院のスタッフから得られたサポートや他の患者たちとの間に生まれた友情について話している

病棟はすばらしかったです。同じ問題を抱える人々のために特別に準備されている病棟でした。病棟の患者さんたちの多くは前癌病変をもっている人たちで、月曜の朝空腹でやってきて、手術を受け、翌日退院していきました。でも私たち少人数の(がん患者の)グループもあったんです。6人だったと思います。1人の女性は自分の殻に閉じこもってしまっていましたが、他の5人はとても親しい友人同士になって、ずっと連絡を取り合っています。病棟の人たちはみな本当にすばらしい方々でした。看護師やスタッフは親切で、支え励ましてくれ、また私たちが友人になりお互いに助け合えるように促してくれました。

英国人の乳がんの語り

帝王切開の3週間後に乳房温存術を受けた

腫瘍摘出手術を受けたのは、息子を産んで2週間くらい経ってからです。6月26日に帝王切開を受けて、7月14日に手術だったので、実際はほぼ3週間後ですね。それから、今度は化学療法があるから体力を回復させましょう、といわれて、97年の10月からその化学療法をはじめました。
その間に、何とか息子に母乳をあげることもできました。その後、母乳を止めるブロモクリプチンという薬が投与されてしまったのですが、もちろんそれは、そのあとで乳房を手術できるように母乳を止めたのです。いずれにしても、帝王切開を受けていたので、さらに手術をうけるには、必要な処置でした。

英国人の乳がんの語り

乳房温存術を受けた後に部分的な再建術を受けた

彼は、自分自身が執刀すると言い、ミニ・フラップ手術(広背筋の筋肉弁を用いて切除し
た乳房の欠損部を埋める手術)を行うには、2度にわたる手術が必要なことを説明してくれ
ました。私が最初に受ける手術について、自分の通常の手術担当日は火曜日と木曜日なの
だが、月曜日に特別な時間予約をする必要があると言いました。これは私を2度受け持つ
麻酔医に無理をかけないためということです。
私はこの時期ずっと病院にいました。チェックインしたのが日曜日で、月曜日が最初の手
術でした。リンパ節(転移)のことを知ったのが水曜日で、木曜日が2度目の手術でした。
手術のために部屋に入った時に医師は私に、それが長い手術になること、したがって、回復するにも時間がかかることを説明してくれました。さらに、それはふたつの手術を受けるようなものだと言うのです。2回目の手術が終わって、意識を回復してみると2本のドレーンを付けていました。

――(欠損部を埋めるための)筋肉や組織は一体どこから持ってきたのですか?

説明するのがちょっと難しいのだけど、肩の筋肉の一部を移植したのです。脇の下を通して持ってきたようです。
私は手術が終わってから、あとを覗いて見たのを覚えています。手術の一環として執刀医は私に古いブラジャーを持参して乳房がちゃんと支えられるように着けることを求めましたから。
まだ胸の谷間が残っているのを見た時のことを私はよく覚えています。それが何よりも嬉しかったのです。何も損なわれていない!肩が硬くなっていたので、理学療法士がやってきて運動療法を施してくれました。訓練を重ねることで、私は今上手に腕を動かすことができます。問題はまったくありません。

英国人の乳がんの語り

リンパ節の生検を受けて転移しているかどうかの結果を待つことのほうが、乳房温存術そのものより不安だった

リンパ節の切除を受けて・・・ということは、つまり、実際の腫瘍も取ったんだけれど・・・全身麻酔だから、気分はすごく悪くなるけど、それ以外は特に問題ないの。
といっても実際のところ、リンパ節の切除っていうのは非常に・・・終わった後がひどく気分が悪くてかなりの痛みがあるの。でも私は、一度しか痛み止めを使わなかったと思うわ。
とにかく、生検を受けて3~4日入院してから帰宅したわ。次の月曜にまた病院に行くと、「リンパ節への転移はありませんでしたよ」と先生から言われたの。22個のリンパ節をとったけど、病理学の先生はそのすべてを調べることはできないんですって。
それから、先生の説明によると、誰でも知ってることかもしれないけど、リンパ節って言うのは三角形に並んでいるのね。それで、がんの転移のしかたはもうわかってて、一番下のリンパ節にがんがなければ、その上にあるリンパ節にはないんですって。リンパ節っていうのはそういうものなのね。
それで私は本当に安心したわ。血管にもリンパ節にも転移はなかった。そしてもちろん、それを言われたら、ホッとして急に涙があふれてきたの。

英国人の乳がんの語り

西アフリカ出身の女性は、自分の気持ちや感染症について病院スタッフに伝えることの困難さを語っている

病院ではたくさんのことを経験しました。私は自分が英語が分からないことを知っていますし、医師が来ても私とコミュニケーションをとることはできません。医師は私に話しかけることも、痛みがあるかどうかを聞くこともできないのです。病院スタッフの女性たちでさえ、私に「痛みはどうですか?」と聞くことができませんでした。
家の近所の人が私と同じように病気でその病院にいたのですが、病院スタッフは彼女には薬を与え、注射を打ちました。私はその場にいました。
朝、妹(姉)が来た時、病院スタッフは妹(姉)に話しかけました。私はとても驚いて言いました、「どうして?この女性と同じ病気なのよ。病院スタッフは彼女には薬をあげたのに、私には何もくれなかったわ。」そして私はこの病院で落ち込みました。口もききませんでした、だって喋れないのですからね。医師に何て言えばいいのでしょう?彼らは私に2、3日話をするだけで、何もくれませんでした。彼らはこう言ったのです、「家に帰るほかないですね、ここには場所がありませんから。」って。
この時、手術でできた胸の傷が再び開いていました。病院スタッフは時間を割いて傷口を縫合しようとはせず、家に帰るよう私に言いました。家に帰るとその傷はパックリ開いていたのです。私は泣きました。しかも傷は感染していました。病院に戻って胸のことを伝えた時、看護師たちは「感染はしていない」と言いました。だって、水が出てきていたのですよ。
私はただただ泣くばかりでした。それから主治医に会いに行きました。主治医はフランス出身なので、彼とはフランス語で話せるからです。診察を受けに行くと、彼は驚きました。
主治医は薬をくれました、抗生物質です。それに、主治医がいる病院の看護師はとても親切で、私を助けてくれました。主治医には私に薬を与えるように言い、私には毎日来て胸に薬をつけるように言ってくれたのです。

英国人の乳がんの語り

乳房温存術についての体験を説明している

入院して、もちろん一般の術前検査はすべて受けてから、手術室に連れて行かれます。先生達はまず鎮静剤を投与してから手術室へ連れて行き、手術を行います。外科医がやってきて、何が起こるか、何をしようとしているのか、どうして乳房切除術はなくこの方法をとるのか説明してくれます。温存術を行うので、乳房は一部残ります。形は変わってしまいますが、希望するなら再建できると言うの。でも、望みませんでした。私にはあまり重要なことではありませんでした。どうせ若くないし。
その後手術が始まったら、当然ですが手術室から出てくるまで何もわかりません。手術の後は痛みがひどかったですね。

――ドレーンのようなものはついていましたか?

ええ、ドレーンはつながっていましたよ。外されるまで歩き回るときも終始つけたままです。そう、袋でしたね、つけていたのは。

――縫い目はどうですか、ありました?

いいえ、縫い目はありませんでした。ドレーンだけでした。いや、違いますね、嘘です。当然縫い目はありますよね、手術を受けたところに縫い目がありますよ。先生方がリンパ腺を除去して、腋の下にも縫い目が残りました。でも、先生はすごく優秀な先生でしたよ。ほとんど縫い目がわかりませんもの。

英国人の乳がんの語り

手術に備えて体調を整えたこと、そうやって自分も何かをしていると思うことが救いになったことについて話している

はい,総合病院において,患者はビタミンCや様々な栄養分が配合された点滴治療を受けることができます.また,患者一人一人のニーズにあった特別配合された治療を受けることもできます.そこにいる医師たちは,GP (一般診療医)ですが,患者に対する栄養面や治療においてはスペシャリストです.
このことについて議論する専門家が多くいますが,あまり取りざたされなくなってきているのが現状です。
私は2,3回この治療を受けました.点滴につながった注射針が私の腕に挿入されます。この状態で同じ治療を受けている他の患者と一緒に座っている2,3時間はとても長く感じられます.そして大量の水を飲みます。そうすると治療後には見違えるほど元気になっているのです.
治療後数週間は調子よく過ごすことができました。治療が効いていると信じていましたし、そう感じていました。それは,ただの精神的なものかも知れませんが,確かに自分が信じている治療を実行することで病気とも闘っていました。
栄養剤の点滴治療は,身体に危害を及ぼすものではありませんし、感染症の予防など手術へとむけて身体の準備をしていく役割があったと思います。
現状はこのような感じでした。

英国人の乳がんの語り

手術前と直後の自分の気持ちについて語っている

私はこれまで一度も入院したことがなかったので、すごく不思議な体験でした。病院では、何て呼ばれたいかって聞かれたから、「そうねXXとかにして」って答えたら、それをドアにかけてくれたの。看護婦さんたちはとても素敵で親切で、私のところに来ては話しかけてくれました。お医者さんも来てくれて、これからの予定を説明してくれました。
それから、手術の日の朝に睡眠剤か鎮静剤のようなものをもらって、それからストレッチャーの上に寝かされて、なにかを注射されたの。
それから次に起こったことは、これまで手術を受けたことも、入院したこともなかったからちょっと心配だったのだけれど、でも、すべてがとても快適で、これからどうなるかを説明してくれている間に、うとうとしてあとはもう何も・・・。そして、次に聞こえてきたのは“これから病棟に戻るわよ、いいですね?”だったの。驚いちゃいました・・
つまり、手術を受けるひとは分かると思うんだけど、ほんのちょっと意識がなくなって、次に聞こえてくるのはもう終わったという声で、ほんとに驚いたわ。信じられないくらいでした。それでもう自分の部屋で覚醒して、すっかり元気なのよ。正気にもどって、衝撃を受けるかと思ったのだけど、自分以外は全てOKなの。