投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

食事とがんの間に関係があると考えて、食生活を変えたことについて話している

あれは確か日曜新聞のある見出しに記載されていた最近の調査結果だったと思います.フランスで5万人を対象とした大規模調査によると,癌と診断された実に1/3の人たちは食事の影響によるものだということが明らかになりました.
様々な食べ物がどのように飼育され保存されているかという事実を知った時,信じられませんでした.私たちが普段口にしているほとんどの肉類は,薬物やホルモンなどを動物に与えることより,育ちを良くして商品として加工されているという事実には驚きました.さらに,完璧なまでに新鮮に見える野菜やフルーツについても,人工的に発育させており、私たちにとって有害となる化学物質が検出されているのです.
家禽(飼っている鳥)に関しても,私たちのニーズに合わせ,黄身が明るく新鮮に見えるように,様々な物質を餌として与えています.
オーガニック乳製品とういのもありますが、私は乳製品を控えておりその栄養分を補うためにサプリメントを服用しています。
そしていま,私がしなければならないことは,大量の水を飲むということ.
何故なら,水は様々な化学物質(毒物)を体内から排出することができるからです.

英国人の乳がんの語り

乳がんとホルモン補充療法になんらかの関係があると論じている

私の家族の中に乳ガンの者は誰もいませんでした。そしてそのことは私がしこりをあまり深刻には受け取らなかった理由のひとつでした。なぜなら、私の祖母・母の誰にもこの種の問題はなかったわけですから。そして、私には叔母が6人いますが、誰も乳ガンのようなものは持っていませんでした。ですから、とても健康で、正しく食事をとりよく運動したりなど、とても活動的で健康的な生活を送っていた女性がなぜこのような問題に遭遇するのかと思いました。実際、答えはとても明らかだと思います。私は、今の女性達は今までと違った独特の生活を送っていて、ホルモンに頼っていると思っています。おそらくそのことが乳ガンの割合が増えている理由なのだと思います。そのことがまだ証明されていないということを知っています。乳ガンになるのは1000人に7人くらいかと言われています。私の家系には乳ガン歴のある人はいないので、たぶん私の乳ガンはホルモン補充療法と関係があったのだと感じています。

英国人の乳がんの語り

家族の一員に乳がん経験者がいれば、乳がんを発症するリスクが高まると述べている

どうして自分たちが乳がんになるのか知りたいですよ。誰でも診断を受けたら、なぜ乳がんになったのだろうって、理由の全てを知りたくなると思ます。遺伝相談室の人に尋ねたことがあるんです、現実として、自分の娘や2人の姪たちが乳癌になる恐れはあるのか、姉も私も更年期後発症の乳がんで、若くて発症するタイプではないけど・・・と聞いてみたのです。でも、確か去年、遺伝相談室の人たちと話をする1年前のことですけど、彼らが言ってたことは、家族に乳癌に罹った者が3人いたら、その人は乳がんになるリスクが高いと見なすことになると言っていました。でも、今は予算削減のお蔭で、(3人という条件を)4人に増やさざるを得なくなったそうです。とても面白い話だと思いましたね(笑)。
それで娘達にしてやれることと言えば、定期健診を受けさせることだけです。そして多分私は、世界中のあらゆる人に、これから出会う全ての女性に、「乳房の自己触診をしてみたことがあるかしら。必ず検査してね。私は定期的に検査しているわ。それから、乳房スクリーニング検査の案内が来たら必ず行ってね。」と言うと思いますよ。

英国人の乳がんの語り

治療が終了した途端に放り出されたように感じた

他に私が実際思ったことは…一旦治療が終わってしまうと、自分が放り出されてしまったように感じたことね。相談したいときには見てくれる乳房ケアの専門看護師に紹介されたとしても、相手は忙しくて、他に沢山大事な仕事をかかえているんです。
まるで放り出されたように感じちゃうのね?。
「これでおしまい。治療は終わりました。終わったのよ。もう来なくてもいいですよ。4ヶ月後にまた診せにいらっしゃい。」なんて言われるのがちょっと怖いの。特にこんな風に言われた時ね…「ああ、その痛みね」とか「これって普通なの?」なんてね。
こういうことって、何か出来るはずだって思うの。国民医療サービス(NHS)が厳しい状況にあることは分かっているけど。必要なときには、頼める誰かをNHSが手配することは可能だと思うの。サポートグループってそのためのものじゃないかしら。

英国人の乳がんの語り

乳房温存手術を外来で受けたこの女性は、病院で受けた対応について批判している

私は手術を受けに行きました。手術は局所麻酔で行われるはずでした。友人と私の娘(Year 11th; 日本の学制で言えば中学の最終年に相当)が一緒ついてきました。私が中へ入っている間、彼女達は博物館へ出かけました。ところが、手術室へ運ばれるときになって、手術は全身麻酔で行うと告げられました。
私は断りましたが、その場合は再び手術の順番待ちをすることになると言われました。この国(訳注:英国)の順番待ちの長さを知っていますから、私は「よし、それではあなた方に命を預けよう」と思ったのです。私は手術を受け、4時に手術室を出ました。そして4時半に退院しました。鎮痛剤を処方されただけで、合併症が起きた場合にどうすればよいかの説明はありませんでした。私はベッドへ直行しましたが、夜10時にひどい痛みで目が覚めました。乳房は元の大きさの2倍に腫れ上がっていました。
娘が病院へ電話をすると、救急外来へ行くように指示されました。私達は出かけ、12時に到着し、朝の5時までそこに待たされました。ようやく診察に来た医師は、私の胸を見ようとさえしませんでした。彼女は私の話を聞き、同じ鎮痛剤を処方しました。私は鎮痛剤と手紙を持参していたのです。彼女は手紙を開封さえしませんでした。手紙はかかりつけの一般医に宛てたものでしたが、このような場合には彼女が開封するべきだったはずです。

英国人の乳がんの語り

病院のスタッフから得られたサポートや他の患者たちとの間に生まれた友情について話している

病棟はすばらしかったです。同じ問題を抱える人々のために特別に準備されている病棟でした。病棟の患者さんたちの多くは前癌病変をもっている人たちで、月曜の朝空腹でやってきて、手術を受け、翌日退院していきました。でも私たち少人数の(がん患者の)グループもあったんです。6人だったと思います。1人の女性は自分の殻に閉じこもってしまっていましたが、他の5人はとても親しい友人同士になって、ずっと連絡を取り合っています。病棟の人たちはみな本当にすばらしい方々でした。看護師やスタッフは親切で、支え励ましてくれ、また私たちが友人になりお互いに助け合えるように促してくれました。

英国人の乳がんの語り

帝王切開の3週間後に乳房温存手術を受けた

腫瘍摘出手術を受けたのは、息子を産んで2週間くらい経ってからです。6月26日に帝王切開を受けて、7月14日に手術だったので、実際はほぼ3週間後ですね。それから、今度は化学療法があるから体力を回復させましょう、といわれて、97年の10月からその化学療法をはじめました。
その間に、何とか息子に母乳をあげることもできました。その後、母乳を止めるブロモクリプチンという薬が投与されてしまったのですが、もちろんそれは、そのあとで乳房を手術できるように母乳を止めたのです。いずれにしても、帝王切開を受けていたので、さらに手術をうけるには、必要な処置でした。

英国人の乳がんの語り

乳房温存手術を受けた後に部分的な再建術を受けた

彼は、自分自身が執刀すると言い、ミニ・フラップ手術(広背筋の筋肉弁を用いて切除し
た乳房の欠損部を埋める手術)を行うには、2度にわたる手術が必要なことを説明してくれ
ました。私が最初に受ける手術について、自分の通常の手術担当日は火曜日と木曜日なの
だが、月曜日に特別な時間予約をする必要があると言いました。これは私を2度受け持つ
麻酔医に無理をかけないためということです。
私はこの時期ずっと病院にいました。チェックインしたのが日曜日で、月曜日が最初の手
術でした。リンパ節(転移)のことを知ったのが水曜日で、木曜日が2度目の手術でした。
手術のために部屋に入った時に医師は私に、それが長い手術になること、したがって、回復するにも時間がかかることを説明してくれました。さらに、それはふたつの手術を受けるようなものだと言うのです。2回目の手術が終わって、意識を回復してみると2本のドレーンを付けていました。

――(欠損部を埋めるための)筋肉や組織は一体どこから持ってきたのですか?

説明するのがちょっと難しいのだけど、肩の筋肉の一部を移植したのです。脇の下を通して持ってきたようです。
私は手術が終わってから、あとを覗いて見たのを覚えています。手術の一環として執刀医は私に古いブラジャーを持参して乳房がちゃんと支えられるように着けることを求めましたから。
まだ胸の谷間が残っているのを見た時のことを私はよく覚えています。それが何よりも嬉しかったのです。何も損なわれていない!肩が硬くなっていたので、理学療法士がやってきて運動療法を施してくれました。訓練を重ねることで、私は今上手に腕を動かすことができます。問題はまったくありません。

英国人の乳がんの語り

リンパ節の生検を受けて結果を待つことのほうが、手術そのものより不安だった

リンパ節の切除を受けて・・・ということは、つまり、実際の腫瘍も取ったんだけれど・・・全身麻酔だから、気分はすごく悪くなるけど、それ以外は特に問題ないの。
といっても実際のところ、リンパ節の切除っていうのは非常に・・・終わった後がひどく気分が悪くてかなりの痛みがあるの。でも私は、一度しか痛み止めを使わなかったと思うわ。
とにかく、生検を受けて3~4日入院してから帰宅したわ。次の月曜にまた病院に行くと、「リンパ節への転移はありませんでしたよ」と先生から言われたの。22個のリンパ節をとったけど、病理学の先生はそのすべてを調べることはできないんですって。
それから、先生の説明によると、誰でも知ってることかもしれないけど、リンパ節って言うのは三角形に並んでいるのね。それで、がんの転移のしかたはもうわかってて、一番下のリンパ節にがんがなければ、その上にあるリンパ節にはないんですって。リンパ節っていうのはそういうものなのね。
それで私は本当に安心したわ。血管にもリンパ節にも転移はなかった。そしてもちろん、それを言われたら、ホッとして急に涙があふれてきたの。

英国人の乳がんの語り

(西アフリカ出身の女性)自分の気持ちや感染症について病院スタッフに伝えることの困難さを語っている

病院ではたくさんのことを経験しました。私は自分が英語が分からないことを知っていますし、医師が来ても私とコミュニケーションをとることはできません。医師は私に話しかけることも、痛みがあるかどうかを聞くこともできないのです。病院スタッフの女性たちでさえ、私に「痛みはどうですか?」と聞くことができませんでした。
家の近所の人が私と同じように病気でその病院にいたのですが、病院スタッフは彼女には薬を与え、注射を打ちました。私はその場にいました。
朝、妹(姉)が来た時、病院スタッフは妹(姉)に話しかけました。私はとても驚いて言いました、「どうして?この女性と同じ病気なのよ。病院スタッフは彼女には薬をあげたのに、私には何もくれなかったわ。」そして私はこの病院で落ち込みました。口もききませんでした、だって喋れないのですからね。医師に何て言えばいいのでしょう?彼らは私に2、3日話をするだけで、何もくれませんでした。彼らはこう言ったのです、「家に帰るほかないですね、ここには場所がありませんから。」って。
この時、手術でできた胸の傷が再び開いていました。病院スタッフは時間を割いて傷口を縫合しようとはせず、家に帰るよう私に言いました。家に帰るとその傷はパックリ開いていたのです。私は泣きました。しかも傷は感染していました。病院に戻って胸のことを伝えた時、看護師たちは「感染はしていない」と言いました。だって、水が出てきていたのですよ。
私はただただ泣くばかりでした。それから主治医に会いに行きました。主治医はフランス出身なので、彼とはフランス語で話せるからです。診察を受けに行くと、彼は驚きました。
主治医は薬をくれました、抗生物質です。それに、主治医がいる病院の看護師はとても親切で、私を助けてくれました。主治医には私に薬を与えるように言い、私には毎日来て胸に薬をつけるように言ってくれたのです。