インタビュー内容テキスト

化学療法の経験そのものはひどいものでした。誰にだってそうでしょう。本当に驚きでした。ひどいものになるであろうということは予測していましたが、ここまで酷く気分の悪いものかは理解していませんでした。吐き気は中でも最悪でした。吐き気を緩和するため最初に処方された薬は、全くと言っていいほど効きませんでした。その時助けになったのはとても単純で簡単なことでした。休暇から持ち帰った生姜の飴だったのです。飴に含まれる生姜が吐き気を緩和してくれたのです。より強い吐き気止めの薬を処方されるまで、これは本当に助けになりました。

しかし、その強い吐き気止めはほぼ最後の段階の化学療法のときに処方されたのです。その吐き気止めには眠気の副作用がありました。その時、ちょうど夏季オリンピックの時期でしたので、母はこう言いました。「もしオリンピックで睡眠が競技になったら、あなたはイギリスのために金メダルを取れるかもね。」私はものすごく眠りました。それは私にとって生きることの一部だったのです。まるでティーンエイジャーのようでした。あまり行儀のよいことではなかったかもしれません。これが私の経験し感じたことでした。

がんに加えて、私は関節にも問題を抱えていました。私がはじめてしこりに気付いた時、ちょうどロンドンで受診の予約を取っていたのですが、それは人工股関節への置換手術を受けるためのものでした。膝の調子も良くありませんでした。その時、私はすでに一方の股関節を人工股関節に換えていました。こんなわけで、関節の調子は良くありませんでした。これが問題をさらに複雑にしていたのです。
私は帽子を買いに行ったり、何かそのようなわずかな楽しみを持ちたいと思っていましたが、そんな気力は全く湧きませんでした。実現することもありませんでした。

友人は、「あなたの帽子の買い物に付き合ってあげるわよ。」と言ってくれましたが、完全に気力はありませんでした。それどころか、自分で何とかできる最大限のことは、お風呂で自分の体をきれいにすることだけでした。シャワーを浴びるだけでも、疲労困憊しました。

その時、ご主人は一緒にいらしたのですか?何か食べられましたか?吐かないでいられましたか?食欲はありませんでしたか?

私は。。。

味覚は?

味覚は実際、とても複雑でした。たとえば、夫が、「何が食べたい?何がほしい?買い物に行くから買ってきてほしいものがある?」と聞いて、私の食べたいものを買ってきてくれるのですが、彼が買い物から帰ってきた時にはもうそれを食べたくなってしまっているのです。ですから、私たちの通常の家事のやりくりに反して、夫はたくさんの食べ物を捨てなければなりませんでした。それは全く予期できないことでした。夫が買い物に行って何か食べ物を家に持ち込んでくると、私は「ウエッ」となるのです。水さえも変な味で、水も飲めない状態にまでなっていました。そんなこんなで、食べ物は大きな問題で、何が食べたいかは予測不能でした。

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