投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

頭を剃ったことについて説明し、髪がないのも素敵に見えるものだと述べている

私は、髪が抜けてしまうまえにかつらを買ってきました。いざ抜けはじめるとかなり早くて、私は夫に髪をうんと短く剃りあげてもらうことにして、全部剃ってしまいました。多くの人は、必要に迫られてかつらをつけるのではないようです。だんだんと髪がないことに慣れてきますし、髪はけっこう早く生えてくるもので、実際私も治療がまだ終わらないうちにまた伸びてきました。ですから、周りの人がどう反応するかわからないから、と周りの目を気にしてかつらをつけるのではないでしょうか?、私は、髪を剃った女性をときどき目にして、というか、かなり見てきて、皆、髪がなくてもとても美しいと思いました。

英国人の乳がんの語り

頭部冷却と脱毛について述べている

私は、禿げ頭になりたくなかったので(抗ガン剤の点滴の時に)脱毛を防ぐとされている」冷却帽子もかぶることにしたの。それをかぶせられると、とても痛くて死にそうだった。最初の10分は痛いけど、頭の温度で慣れてくるの。それで、2時間の化学療法中に、確か2度取り替えたわ。この帽子をかぶっていたのに、髪の毛は抜けていって、耳のまわり1インチほどの2ヶ所は脱毛したわ。耳に押されて冷却帽子がカバーできなかった部分ね。それで、あちこち脱毛して、そこは残った髪を引っ張って隠したわ。生え際は後退してゆき、眉毛もまつげもなくなって、容貌はすっかり変わってしまったの。それから、体重が増加して、本当に落ち込んだわ。吐き気と一緒に女性らしさも流れ出てしまったように感じた。

英国人の乳がんの語り

化学療法によって髪の毛が抜けたことについて話している

ええ、いつ髪の毛が抜け始めるか心配だった。でも、いつも私に化学療法をしてくれる看護師が以前面談に来たときに言ったの、髪の毛は抜けていくだろうって。治療が始まったら髪の毛がそんなに早く抜け始めることなんて知らなかったの。最初の治療を受けた日に、髪をとかし始めたら、ものすごい量の髪の毛が櫛についたの。「大変だわ!」と言ったわ、(笑い)。その時から毎日続いたの、どんどん抜けたわ。そうしたら甥が、甥はかみそりで自分の息子の髪を剃っているんだけど、ある日私に「さあ、僕におばさんの髪をきちんと整えさせてくれないか」と言ったのよ。甥は一本一本ていねいに剃ってくれたわ。それで髪の毛はすっかりなくなったわ。そしてそれから、ありがたいことに、今では髪の毛が生え戻り始めたのよ、髪の毛が生え戻って始めたのを見てみんな喜んでくれたわ。

英国人の乳がんの語り

化学療法中の味覚の変化について話している

最悪だったのは、誰もが指摘する病院食のまずさで、ほんとうに恐ろしくまずいですが、化学療法に入ると美味しかろうがまずかろうがなにも食べる気になれなくなることです。
そのせいで私の食生活は全く下降一途になりました。
それから、医師達が警告してくれたように、食べ物を食べるときに口の中に鉄のような味がし始めました。それはどうしても消えませんでした。まるでステンレスのスプーンをなめているような味がしました。口の中はいつでも乾いていて、飲み物を飲もうと思っても味やにおいのせいで気分が悪くなってしまうのです。
吐き気止めの薬は効いたのですが、それもにおいをかぐとダメでした。それに加えて、病院食は金属で出来たトレーで運ばれてくるので、それが私の気分をいっそう悪くさせた上に、食べ物の蓋をあけるとにおいが一斉に放たれるのです。しばらくしてからやっと食べられたのは柑橘系の果物だけでした。

英国人の乳がんの語り

化学療法中の体重増加と疲労感について話している

その間は何も食べたくはないと思ったけど、とてもお腹が空いるとわかったの。この吐き気と闘っていることと関係があるかどうかはわからないけれど、いつもお腹がすいていた。そして、吐き気止めのためのステロイドで、体重が増えて、自分が嫌になったわ。それから、だんだん憂鬱になって、ふけていって、太っていった。ただただ横になっていたいだけ。たぶん、化学療法がすすむにつれて、疲れがつのっていったからでしょう。文字通り、ほとんど何も出来なかった。ちょっと郵便局に行って戻るだけでも、疲れて横にならないといられなかったわ。

英国人の乳がんの語り

化学療法中の吐き気について説明している

でも、化学療法を受けていたときはいつも気分が悪くなって、今でもあの治療のことを考えるだけで気分が悪くなるの、今でもよ。化学療法を受けていたときは、部屋に入っただけで、吐きそうになってました。そして、ほんとに、あの看護師さんは優秀だったわ――点滴注射を入れ始めるとすぐに(吐物を受けるための)膿盆を私の脇にもってきてくれるの。私が気分が悪くなりそうになると、いつでも分かっていたわ。

英国人の乳がんの語り

化学療法中の疲労感について話している

 でも私はいったんこの状況、つまり、自分はこれからしばらくの間病気になるんだということを受け入れたんだと思います。それでもう他のことをやろうとかあれこれ考えようとするのをやめて、ただ病気と向き合うことにしました。それで、もう本当に、本当に最悪な時期があって、とても気分が悪く、疲れ果てて、また普通の状態に戻るなんて考えられませんでした。朝ベッドから跳ね起きて、丸一日を過ごすことができるようになるなんて、とても想像もできませんでした。
 買い物に行くとか、友達の家に寄るとか、一日に一つのことをやったら、もうそれでおしまいという感じでした。それでその後は、早い時間にベッドに入らなくてはならなかったし、そういった一つか二つのことをやるために午前中いっぱいは眠らなくてはなりませんでした。私がいつも走り回っているような人間だったことが信じられなかったし、自分は年を取った誰かに体を乗っ取られようとしているんじゃないかとか何とかさえ感じたんです。「いったい私の体に何が起こっているの?」って思いました。

英国人の乳がんの語り

うまく化学療法を乗り切ることができた

全体としては、治療はうまくいったと思います。1999年の12月に手術を受け、2000年の1月5日に化学療法をスタートしました。あまりつらい思いもせず、うまく乗り切ることができました。吐くこともありませんでしたし、髪の毛も抜けませんでしたから。
気をつけていたことはあります。化学療法は、たいてい朝の9時から午後3時か4時までかかり、ほぼ一日中病院で過ごすことになります。ですから、治療から戻ったら家で体によい栄養価の高いものを食べるよう心がけていました。1日に3食きちんと食べました。こわれた細胞がきちんと修復されるように、と考えていたのです。それで化学療法をうまく乗り切ることが出来ました。

英国人の乳がんの語り

数週間にわたって継続的に行われた化学療法の経験を説明している

私はその日、不安でたまりませんでした。どのような治療なのかわからなかったからです。痛みがあるのか、気分が悪くなったりするのか、どんな反応を示すのか、とにかくわからなかったのです。とても精神的に辛い時期でした。ヒックマン・カテーテルや薬剤パックやポンプを見ると常に思い出すからです。鏡をみればなおさらでした。それで、最初はしばらく低用量を続けました。逃げられないという気がしました。いつもすぐそばにあるのですから。ポンプからはどうやっても逃げられません。シャワーを浴びる時も、ラップで包んでそばに置かなければなりませんでした。夜、ベッドに入っても枕の下に入れておかなければなりませんでしたし、時々忘れてしまいベッドから起き上がった時に「うわっ、まだ繋がれているんだったわ」と思いました。慣れるまでが相当辛かったのですが、実際なんとか慣れた後は大丈夫でした。

英国人の乳がんの語り

患者支援の充実した病院環境について述べている

私は初めて宣告を受けたあの日、仰天しすくんでしまいました。これからどうなるのか分からなかったから。きっとあなた方も実際経験してみないと分からないと思います。医療チームは素晴らしかったわ。彼らは私に出来そうなことを沢山説明し、冷却キャップのようなものをくれてそれが脱毛に役立つかをみてくれました。
ということで私は治療を受けました。妹が一緒についてきてくれました。治療処置が始まりました。とても親密な雰囲気で看護師達は素晴らしかった。私は終わりまで笑顔でとおすよう決心していました。クロスワードを持ち込みました。自分と同じ病状の人も沢山いることが分かりました。私よりずっと重い人も、軽い人も大勢いました。私たちはそれをプラスの経験に変えたのです。