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インタビュー時:48歳(2010年10月)
関係:次女(実母を介護)
診断時:実母80歳、次女46歳

2008年に実母がアルツハイマー型認知症と診断され、2人暮らしで自宅介護をしている。母は週4回デイサービスを利用している。次女は企業の健康管理センターに勤務。診断を受けた当初、症状を悪化させたくない気持ちから、母に脳トレや機能低下防止の体操等を強いてしまったが、母の気持ちになって考えられるように変わろうとしているところである。嫁いだ姉がいる。

語りの内容

今は逆に、その最初のころよりも、認知症を受け入れてる。(最初のころは)受け入れてたって言ってましたけれども、まったく受け入れてなかったし、そういうふうになる母親もたぶん受け入れてなかったんですね。でも、今は認知症になった母親を、受け入れなきゃいけないっていうふうに変わってきてて。その、受け入れるっていうことがどういうことかっていうと……やっぱ、自分が変わることなんですよね、うん。
あの、母親の気持ちになって――自分がこうさせたいっていう思いが非常に、こうあるべき、母親像はこうあるべきっていうのがあるんですけど、そこではなくて――そうある母親を、わたしはサポートしなきゃいけないっていうふうに変わってきたかな。そういうふうに、「ドリルじゃないんじゃない?」って思うようになってきて、うん…あの、母親がどうしたいかをまず考えるようには、するようになってきてますが、まだまだ、こう…はい。まだ、まだ、まだ自分は変われないですけど。そうすると、やっぱり「言ったよね?」とか、「これやっといてって、言ったよね?」とか、そういう、こう、指摘とか…に変わってしまうところがあるかな、とは思いますが、なるべく自分が相手を受け入れるっていうスタンスに変えてきたいな…変えていってるつもりではいます。
そうですね、やっぱり、すごい激しいけんかをして、母親が自分で死にたいと。飛び降りたいと。例えば2階から身を投げようとしたりとか、包丁を持ち出したりとか、結構そういうときがあって…。でも、ほんとにそれは、わたし自身もつらかったし…もう死ぬということ、「自分がこんなにつらいんだ」――わたしもいけないんですけれども――その、できないこととかを、母親も嫌だし、こう、老いていく自分を、老いてったりとか、認知症を認めたりとかいう自分をやっぱり許せない。だから、長くは生きていたくない。美しいままで死にたいとか、っていう思いが、すごく強い時期があって。それはわたし自身もやっぱり、かなり、あの、母親を責めてたなっていう思いがあるので、その時ですかね。
やっぱり、あの、「死にたい」って言われるのは――「やめて」って何回もわたしは言うんですけど、でも、時々口にしてしまう――その原因は、やっぱりわたしの指摘だったりとか、注意だったりとかする部分が割と多いような気がするので、その辺からですかね。やっぱり…いつまでも元気でいてほしいし、まあ、元気な状態で長生きしてほしいし。で、母親はわたしは大好きだし、うん。まあ、そういうところから徐々に…進歩したんだか何だか分かんないですけど、自分で変わろう、自分がこう、変わらないと。もうほんとにその時は、自分がつぶれそうだったですね。
そうふうにしてしまう、あの、母親を見てるのもつらかったし、自分だけで抱えらんない。で、もうほんとに姉に泣きながら電話したり、こうだったみたいな感じで言ったりとかして、自分の、こう、心を平常化させるっていうんですかね。うん。だから、相手を批判とか、自分の価値観に合わせようって思うのが強すぎることで、自分をつぶしている、母親もつぶしている、っていうことに気がついたっていうか。
まあ、いい、あの、会社の仲間でいい仲間もいたんで、その仲間からも、うん、あの、わたしが変わらなければ駄目だよ、つぶれちゃうからっていうアドバイスも受け、そっからですかね、変わったのは、はい。変わるようにしてるのは。まだ全然変われてないですけど。

私は: です。

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