インタビュー時:48歳(2010年10月)
関係:次女(実母を介護)
診断時:実母80歳、介護者46歳
2008年に実母がアルツハイマー型認知症と診断され、2人暮らしで自宅介護をしている。母は週4回デイサービスを利用している。介護者は企業の健康管理センターに勤務。診断を受けた当初、症状を悪化させたくない気持ちから、母に脳トレや機能低下防止の体操等を強いてしまったが、母の気持ちになって考えられるように変わろうとしているところである。嫁いだ姉がいる。

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プロフィール詳細

企業の健康管理センターに勤務している首都圏在住のM.G.さんは、父の逝去後、実家で認知症の母と暮らしている。2008年12月頃、洗濯物を取り違えたり、視点が定まらずにぼーっと座っている等、母親の異変に気づくようになった。母も電車で友達のところに行けなくなったりして、何かおかしいと言い始めていたので、MRI検査を受けることにした。アルツハイマー型認知症の初期と診断され、すぐアリセプトを飲み始めた。

M.G.さんは母親が認知症になったということには抵抗がなく、むしろ早く病院へ行って悪化させたくない、病気に打ち克ちたいという気持ちが強かった。母親に、脳トレに練習ドリル、機能を落とさないためのストレッチやリズム体操等、まるで子どもに宿題をさせるのと同じように、「今日、やったの?」「ここまで終わったの?」と、強いてしまっていた。だが、これらは母の抵抗に遭いまったく進まなかった。きれい好きだった母がほとんど掃除をしなくなったり、料理を作らなくなったり、出かけることをしなくなったり、得意のお金の計算も自ら進んでやらなくなったり、できない・やらないことが急速に増えていった。

1年半ほど経った頃に、母が死にたいと2階から身を投げようとしたり包丁を持ち出したりすることが続いた。自分で抱えきれずに泣きながら嫁いだ姉に電話したこともあった。母にはいつまでも元気で長生きして欲しいと強く願っている。「死にたい」と言われる悲しさ、怖さのなかで、このままでは自分も母親もつぶれるというギリギリの状況に追い込まれた。仕事仲間からのアドバイスもあって、いつでも前向きに生きてほしいという自分の価値観に合わせようとすることで、かえって母親を追い詰めていることに気づき、自分が変わるしかないと思うようになった。

母にしてみれば、できていたことや得意なことまでも出来なくなっていく、老いていくということが耐え難いと感じる日々に、娘から「これもできないよね、やっといてって言ったのにやってないよね」と追い打ちをかけられ、死にたい気持ちになったのだと思う。
M.G.さんは、この頃少し自分の接し方が変わってきたのを感じている。短期記憶が失われていくことへの理解も進み、できなくなっていることにばかりに目が向いていたが、できないことが当たり前で、できたらハッピーだと思えるようになってきた。自分が穏やかだと、母親も穏やかである。

支援としては、家族会などで誰かに話すことで自分が癒されたいという思いはなく、問題が起こったときにその対処や再発をふせぐための方法を知りたいと思う。病状に対して薬の処方がされるように、体の機能レベルに合った運動や作業などの生活処方のようなものを期待している。もっとオーダーメードの認知症プログラムがあれば、悪化を少しでも遅らせることができるのではないかと思う。

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