投稿者「dipex-j」のアーカイブ
ご親戚についてお伺いしたいのですが、何人かいらっしゃいますか?
おります。兄弟姉妹が5人おりまして、姉妹2人に兄弟3人です。親戚のなかで今回のようなことが起こったのは初めてでした。ですからあらためて申し上げますが、息子に起こったことを受け入れるということはとてもできませんでした。エイドリアンは親戚中から何をやっても上手くいく本当の野心家に見られていました。そんな彼が突然かき消されてしまい、それがいともたやすく起こり得たということは誰にとっても非常に苦しいものでした。あなた自身は医師からのサポートを受けましたか?睡眠などの助けは必要でしたか?
ええ、はい。同僚がどう反応するかというのは非常に興味深いと思いますね。何せ私自身も事故当時は、地元で30年ほど総合診療医として勤めていましたから、沢山の人を知っていてました。あなたのおっしゃる地元の診療医というのは、もちろん、私のまわりには多くの診療医がいるわけですが、そうですね、私にとってかかりつけの診療医というのはいなかったけれども、いやしかし、ひとりだけいて。ただ、その医師と私は面識もなく、私自身が医療ケアの受け手という立場では彼のことを知りませんでした。 けれども、私の職場のパートナーたちには非常に助けられました。私に休暇をくれ、それはもちろん私が勤めた大学の同僚全員も然り。その中の1人であった、突然に年若くして亡くなった人物が寛大に支えてくれましてね。息子が亡くなって数日経ってその彼が我々の様子を伺いにきてくれまして。私たちがちゃんとやっているかどうか気にかけてくれていたんですね。彼のしてくれたことは本当に、本当に素晴らしかった。当時、他の方々からは何らかの形で助けを受けられましたか?カウンセリングなどの勧めはありましたか?
まあ、もちろん私たちはたくさんの友人がいて、いろいろなことを彼らに頼ったと思います。彼らは私たちの周りに集り、支えてくれました。医療関係の同僚以外では、友人の助けや支えを頼りとしましたし、彼らの多くは支援の手を差し伸べてくれました。けれども、いわゆる正式な機関へ連絡をするような必要性はなかったと思います。事故の後、どこからの援助が一番役に立ちましたか?カウンセラーには…?あなたは入院されて身体的外傷・骨折等に関しては適切な治療を受けましたが、その一方で、心理的外傷、ストレス、それに死別したことへの思いに対する手助けは受けましたか?
私の家族や友人たちです。はい。
認知行動療法と呼ばれているものを試しに行きましたが、無駄骨だったとわかりました。そうだったのですか?
ええと、いえ、そうではなくて、私には友人たちや家族、素晴らしい息子と娘がいます、他の3人の子供たちは国外に住んでいます、特に娘は、もうそれはずっと、ほとんど毎日家にいてくれます。それは素晴らしいですね。
息子はサフォークで医者をやっているのですが、それでも来られそうな時は本当に来てくれて、長い間本当に助かりました。認知行動療法のセッション中、いったい何が起こったのですか?
まあ、向うはもう既にあなたが知っているような他愛ないことを言うだけです。他愛ないことを…?
あなたが既に知っているようなことです。若しくは他愛ないことを喋らされると。では何の助けにもならなかった?
ぜんぜん。助けになるとしたら1つだけ。夫を連れ戻してくれたなら、ということです。実際に救いとはならなかったと?
まったく。その治療によって、傷口がより広がってしまいましたか?
そんなことはなかったです。単に時間の無駄としか思えませんでした。腕のよい精神科医の時間の無駄でした。バリ爆発テロ被害者家族支援団体からのサポートはありましたか?(支援団体と)連絡をとっていないのですよね。
ええ、とってません。そうですか。
傲慢に聞こえるかもしれないけれど、(支援団体に助けを求めて)カウンセリングや助けを受けた結果をみてきましたから。第一、個人的な意見ですが、このような被害にどのように対処するかというのはその人間の性格によって違うからです。だから私は支援団体の力を借りず、対処しました。後悔はしてません。人によっては(支援団体等からの)サポートが必要な人も確かにいるでしょう。私には支えてくれる大家族があります。必要であれば表裏に渡って家族の誰かがサポートしてくれると知っていたからです。家族内でサポートしあったのですか?
その通りです。もちろんそのような家族がない人にとっては、一人ぼっちだったり、あまりにも怒りがコントロールできなかったり、そのような人にとっては支援団体によるサポートは役立つと思います。当時、他にサポートをしてもらっていた人はいますか?家族、パートナー、そして友人についてお聞きしましたが、専門家の助けを求められましたか?
いいえ、しませんでしたね。私はずっと弟ととても近い関係でした。13ヶ月しか年も離れていませんでしたしね。そして、私の両親の関係は、ちょっと普通とは違っていましてね(笑)。 その時期に、弟と私はお互いを支えあいました。だから、これほど親しいということもあると思います。 そして、私の友人、またパートナーもこのことを知っていました。もちろん両親もね。兄弟姉妹がいても、私と弟のように親しい関係にあるという人ばかりではないと思いますから、私にとって弟はどれだけ大きくて、大切な存在だったのか理解している友人に話した方が楽でしたね。眠れない夜もあったようですね。医者で睡眠薬などはもらいましたか?
いいえ、もらいませんでした。何度かは、ナイトールなど、薬局で買える薬を使用しました。それと、自己処方で白ワインを飲みましたね(笑)。 それで、十分だったんです。そして、友人に話して、話して、話して・・・。これは大切でした。そして、友人もそれをさせてくれましたしね。 そして、私も努力しました。陰気にならないようにね。でも、私にとって話し相手がいるというのはとても大切なことでした。それと、弟の話をしている時は、誰かが、特に私自身が取り乱すことがないように、気を使いましたね、そうしながら、沢山おしゃべりしましたね。良い思い出について回想したりね。あなたが仕事に戻った時、同僚たちはどのように接してきて、どんな反応でした?
ほとんどの人が私を避けていました。なんて言ったらいいか、どのように振舞ったら良いかわからなかったからでしょう。仕事に戻った日に、上司が言ってくれました。“言うまでもないことだけれど、家に帰りたくなったら帰っていいし、それに私達に何かできることがあったらいつでも言って下さい“と。でも最初の一週間は大概の人が私のことを避けていました。でも、私でも同じことをしたと思います。家族を特に子供を亡くした親に話しかけるなんてとても難しいことだから。一週間たって、私が悲しみで使い物にならないわけでもなく、普通に仕事をこなしてるのをみて、だんだん話しかけてくるようになりました。それでも、息子の死には触れずに。“元気?”とか、“昨日の夜何とかのテレビ見た?”だとか、たわいもないおしゃべりです。同僚たちに息子さんの事故について尋ねて欲しかったですか?
ええ、気にならなかったと思います。何人かは実際聞いてきましたし、彼らには私も話しました。裁判についてだとか、どうだったとか、裁判の結果に満足しているかとか。ただやはり大多数の人は私を避けていたと思います。私が廊下を歩いていると、違う廊下を選んだりトイレにいったりして(私のことを避けてました)。3-4週間はそんな様子でした。そうですね。分かります。
それに、そんな人たちは私の人生に何が起こっているかなんて知りたくもないのですからね。疎遠になるんですよ。そうやって友人もかなり失ったんです。そうでしたか。
ええ。特にある人とは、マークのことについて電話で話をして以来、一言も話していません。彼女とはもうお互いに何の連絡も取らなくなりました。悲しいです。どうしてそんな風になったと思われますか?
何て言うのか、一種の感染病みたいだと他の人は思うのだと思います。きっとどう対処していいのか分からないのかもしれませんね。それとか、私自身が違う人になってしまったと思うのかもしれないし。もちろんもう同じ自分ではないですけど。自信のようなものを持って再スタートして、社会も何もかもうまくいっている時に突然、平行した別の世界に出くわした感じです。そこでは正義もまかり通らなくって、いろいろな理由で自分の子供たちを亡くしているし、それに、皆職場で殺されているのです。大切なのは、毎日誰かが殺されているということを意識していることだと思うのです。それはたとえば、朝起きた時に、いま自分たちがしていることをどこかの誰かが今日は経験するんだろうと考えるみたいなことです。ですから、真の世界が現実には分かれているのです。こちらの世界では、誰もが頑張りながら新車を買うとか何とか話していて、同時に、こちら側の世界では、人間の生命や正義への基本的権利を求めるキャンペーンを行なっているのです。このような考えはどこから来たのでしょう?パットさんがいつもこのように感じるようになったのはなぜですか。
そうですね。きっと私たちの幼少期に両親や家族に迷惑がかかるから、怒りを表現してはいけない、と言われたところから始まったのでないかしら。怒りは日常の一部として受け入れられていません。怒りは邪魔者としか見られていないのです。人々が精神的に病み、精神病院に収容されていた時代はそう遠くありませんよね。社会的行動が取れない、とそういう判断をされてしまったからなのです。そして、その辺りの暗黙の了解が今でもあるのではないか、と思います。 いつかは私たちが、怒りを素直に表現し、人々がそのまま受け入れてくれる、そんな日がくるならば、それはすばらしい日となるでしょう。息子さんのことをご家庭で話されますか。
はい、結構頻繁に話しています。誰だって自然と話してしまうものだと思うし、そうしたくなるでしょう。そんなに簡単には忘れられないでしょう。その人がしたことなんかを話したりして。そう、今なら息子のことも話せるわ。ほら、あの子時々こんなことをしたわね、なんて。とても健全だと思います。でも、今でも辛いのは、会ったばかりの人に息子のことを話さなければいけない時です。それは、その人たちがどんな反応をするのか分からないし、私自身が結構関わっていることだって、気になるのです。いま私はある慈善団体の理事に復帰しようとしていて、まだ皆には話してはいませんが、間もなくそうしなければならないのです。というのも、よくは分かりませんが、気の進まない事柄については、自分では意識して話さないようにしてきたのですが、ただ話題にならなかっただけなので、しかるべき機会をみて話してみようと思うのです。話題にするのは、必ずしも容易なことではないけれど、でも、実務的なことがありますからね。それにあなたが私に聞いた最初の質問、何人子供がいると答えますか、みたいな質問なんて、とても難しいですよ。では、もしあなたが他の方々へつらい経験を語っていたとすれば、それは実際にあなたにとって有用であったと思われますか。
思いますとも。まったくその通りです。思い出すことができるというのは良いことです。相手にすれば確かに、痛ましい喪失を完全に無視して話すというのは痛みを伴うものです。やはり、人というのは辛い経験を話したいのだと気が付くべきです。多分ほとんどの人はそうでしょう。なかにはそうでない方もいる。それでも私はほとんどの人は話したがっている、辛い経験を機会あるごとに話したいのではないかと思うのです。