投稿者「sawada」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

目を閉じて左足の輪郭が描けるか?と聞かれ、膝から下が消え、そこにはただ痛みだけがあることに衝撃を受けた

あの、「目を閉じて、左足の輪郭が描けますか」の、あのときです。…あれ、衝撃でしたね。痛いとは思ってたんですけど、それ以外あんまり。痛い、動かないは思ってたんですけど。

――目を閉じたら。

閉じたら、左足がそれこそ消える。自分の、これ説明するの難しいんですけど、自分の指先がどこにあるのか全然わからない。膝下がもう、消えてる。…「えっ?」って。ただ痛みだけがなんかその辺にある。あれはびっくりしました。

――目を開けてたときには、あんまりそういうふうには思ってなかった?

目は、そうなんです。気づかないんです。

――ああ、そこが痛いみたいに。

そう、そう、そう。あの、目開けてるとき、足、普通にあるので、そこが痛いと思っているんですけど。普通、目を閉じて、足がどこにあるかなんて考えないですよね(笑)。で、目を閉じると、まあその、まあ痛みとしてはあるので、左足が痛いというふうにはずっと思っているんですけども、「目を閉じて足の輪郭が描けますか」と聞かれたときのびっくりは今でも覚えてます。

――じゃ、それがないから、当然立ったり。

そう、そう、そう、そう。それなんですよ。当然立つことも、動かすことも、支えることも、まあできない。こう、見ればあるんですよ。だけど、ね。だから見て、何とかこうやってみようとするんですけど、目を閉じてということは、要するにそこから情報ですよね、視覚以外の情報が全く返ってきていない状態ですよね、目を閉じて、ないということは。目を閉じて、ないものは、ないものを使って歩けるわけがない。あるとすれば…、という感じですね。

慢性の痛みの語り

リハビリを卒業したのが5年前。日常生活には支障がなくなったが、もう養護教諭の仕事は出来ないと医師に言われ、出来ないことを改めて自覚し、かなり落ち込んだ

もう、だからリハビリを卒業してからのほうが長くなりましたかね。本が出たのが4年前で、その1年前にリハビリが終わってるので、そこまでのところです。で、リハビリ卒業時点では、めでたし、めでたしじゃないですか(笑)。だけど、実は自分の中ではあんまりそうではなくて。えーと…まあ確かに日常生活、何の問題も(なく)過ごせるようになったことはとてもうれしくて感謝もしていて、なんですけれども、そうですね。

あ、本の最後にちょっと出てくるかな。あの、ちょうど臨時で先生(養護教諭)を探しているからやってみませんかという声をかけていただいたことがあるんですけれども、それはもう麻酔科の主治医に言うと、「いや、だめです」って、「できません」って。そこで、な…泣きましたね(笑)。自分としては治った気になっているんだけれども、「あ、そうだったのか」みたいな。で、「実際に、だって想像してごらん」って。「お子さん、何かあったときに、駆け寄って何かできる?」みたいな。そう言われると、だめですね。「あと具合が悪くなった子をおんぶできる?」って、できないですね。そこで、かなりこう落ち込んだんですけども。

慢性の痛みの語り

リハの先生が来てくれるのが楽しみ。歩行訓練やマッサージの時に「何でも話を聞くよ」「もっと自分を褒めてあげて」と慰めるようなこと言ってくれるのが一番の救い

本当に私、恵まれてると思ったんです。本当にね、あの、リハビリに来ていただくのが楽しみで、それで私は何かこう気持ちが救われてるのかなと思うときあります。

そういう先生たちが週2回来てくださるってことは心の支えになりますもんね。全部こう、ぶちまけられるし、「じゃあ、ほかの者には言えないことも、僕ならいいよ。何でも聞いてあげるよ」って言ってくださるので、2人とも。だから、「じゃあ、今日ちょっと愚痴らせて」って言って、ちょっとこう、ね、泣き言を言ったりすることもありますし。でも、本当にね、あの、精神的な面のケアもやってくださるので、本当に助かります。

一番救われるのは、だから今、あの、理学療法士の先生に、あの、マッサージやっていただいて、歩き方の練習をやっていただいて、そのときにちょっとこう慰められるようなことを言われるんですよね。それが一番の救いですね、今は。

――どういったことを具体的に?

この間もね、私ね、「ああ、そうか」と思ったんですけどね。「しかし、あなたはね、もっと自分を褒めてあげなさい。普通はあなたの年でね、これだけのケガしてね、いろいろしてる人だったら普通はもう寝たきりですよ。それをね、家事をやってね(笑)、一応全部やっているんだからそれだけでもすごいことなんですよ。だから、もっと自分褒めてあげなさい」って言われて、「ああ、そっか。私はもっと褒めてもらっていいんだ」と。

慢性の痛みの語り

理学療法士は、終わりのない不都合さを抱える自分に、こつこつ動かして身体が維持できるように付き合ってくれる存在。維持できることが理学療法の効果

――今は週に2回で、あの、理学療法士の方から、あの、えー、みてもらっているということなんですけど、その理学療法士さんたちはどんな感じですか。

あの…こういう体ってね、あの、何ていうのかな…終わりがないんですよね、この痛みにもね。その痺れにもね、今の状態だとね。私が受けている治療だとね。でも、あの、お年寄りと同じで、その一生続く不自由さ、不都合さ。不自由さというより不都合さですよね、体の動かないところの。それを、こつこつ、こつこつ、ちょっとずつでも動かしていれば、全く動き止まっちゃうわけじゃないから頑張ろうっていう、あの、必ずその、何ていうか、維持する、維持できてる、あの、落とさないっていう効果として、こつこつ、こつこつにつき合ってくれるんですよ。それが効果。維持できてるっていうこと自体が効果。それ以上動かなくなっていくということもね、ない――ないっていうのも変ですけれども。

慢性の痛みの語り

シェーグレン症候群のリハビリとして月に1度、足の血行を良くするケアを受けている。ほぐされると足が温かくなるが、効果が続くのはその日1日ぐらい

――治療は内服以外に何かリハビリをやったりとか。

そうですね。4週間に一遍、あの、受診するんですけれども、予約して。行ったときにリハビリをしていただいていますよね。足がすごい冷たいんですよね、私はね。リハビリしていただくと、腰から下のリハビリなんですけれども、あの、血行を良くする…ようなリハビリなんでしょうかね。足先も、ほかほか、ほかほかしてきて、「ああ、先生、リハビリはやっぱり効きます」っていう感じで、もっとしていただきたいんですけれども、通うのがなかなか大変なので、あの、受診したときに、ついでにって言ったらあれなんですけど、していただいてるっていう感じですね。入院すると毎日リハビリがあります。

――リハビリはどんなリハビリをやられるんですか。

そうですね。下半身、あの、ベッドに横になって、下半身を左右1つ、片方ずつ、あの、揉みほぐすというか、そんな感じですね。そして足先までずっと下りてきて、足の指をこう上下に揺らすっていうか、そうすると血液がドーッと流れるような感じがして、冷たかった足がほかほかと温かくなってくるっていうので、ああ、リハビリはいいなと思っていますけれど。

――効果っていうのはどのぐらい持つんですか。

そうですねえ。やっぱり1日ぐらいでしょうかね。…また、すぐ次の日になると足が冷たくなるんですね。

慢性の痛みの語り

動かすのはつらいが、動かさないことへの恐怖、プレッシャーがあり、やり過ぎて余計に壊してしまうことも。リハ仲間は「やり過ぎないで」と声をかけてくれる

動かしてないと――あ、みんなこれ、リハビリ来ている人、言うんですけれども、動かさないことへの恐怖感、プレッシャー。うん。動かすのはつらいんです。痛いし。でも、動かさないと、もっと痛くなるっていうプレッシャー。で、みんなね、やりすぎちゃってね、うん、あの、余計壊しちゃう人って結構いるんですって。やりすぎるな。そう。この方言で言うと「やりすぎるなしよ」(笑)、「無理するなしよ」って。無理しないでねって、やりすぎないでねって、みんなね、言ってくれるんです。私の年齢だと、そこへ通っているリハビリでは一番若いほうなので、あの、若気の至りで頑張りすぎちゃっているようにも見えるらしいんですよね。みんな頑張りすぎて1回壊している経験を持っていたりする人も――みんなじゃないよね、でもそういう人たちもいるので。で、頑張りすぎた結果、あの、転んで骨折ったとか、またもっともっと大変な思いしてやり直してきたりとかって、そういう経験を持っている人もいるので。痛いよな、痺れるよな。天気によっては、今日はみんな動かんって言っていますみたいな日とかね(笑)。そういうような中でやっぱり動かさなきゃ、動かしたいって。

慢性の痛みの語り

痛みを引き起こすのは、自分の考え方がいけないのでは?神経質なところや底のほうにある強情なところがいけないのでは?と思うまでに切羽詰まっていた(テキストのみ)

それから考え方。こう痛みを引き起こしてしまう自分に、もしかしたら、その生活をしていく中で抱えているストレスや、気づかないけれども、物の考え方で頭痛に、えー、影響してしまうようなものがあるんだろうかとか。でも、私、明るいほうだし、人のことをあんまりこういうふうにこういうふうに考えないしとか、なんか本当にその生き方まで、あの、考えるようなときもありましたね、痛みを。私は何でこんなに痛い、痛いんだろう。寝て起きたのに、もう痛いとか。何が悪いんだろう。寝てるときの姿勢かなとか。本当にありとあらゆることが不安になって。考え方で、もし治せるなら、本当に、じゃあ、考え方を変えたらいいのかなとか。本当に、あの、でもこれといって今改めなきゃいけないこともなさそうだし、じゃあ、もうあの…、痛くなったら何とかそのときに対処するという感じで、あまりこう、くよくよ悩まないようにすることがもうできることでの精いっぱいな感じで。そうですね。
まあ、あとあの、何でしょうね、少し自分でこう、神経質なところとか、こうじゃなきゃいけないとか…、うーん…、そういった考えとか、それからこう、自分のこう、底のほうにある強情さとか…、そういうもの全てをこう少しずつ、こう何か、できるものならこう和らげていってみようかなとか。そうすることで、もし、あの、痛みが軽減できるのであればいいなとか。そこら辺のことまで考えるようになってましたね。それで治るのであればそうしたいみたいな。切羽詰まっていますのでね、痛みが本当に嫌で。

慢性の痛みの語り

最近では慢性の痛みというと、まず心や成育歴、受けとめ方の問題と言われる。痛みが消えないのは自分のせいと言われているよう。慢性痛全てに当てはめるのは止めてほしい

「破局的思考(※)」って聞いたことありますか。あれ、めっちゃ腹が立つんですけど、私(笑)。何で腹が立つか、だって私と同じ病気の患者さんに限っては、あの、痛みがあるから家にこもろうとかいう人をあんまり知らなくて、実は。私に大きな影響を与えてくれた先輩の患者さんがいるんですけれども、その方もすごい痛みを抱えながら、どんどん、どんどん人の前に出ていって、もうね、笑うのもつらかろうに、こう…、多くのことを伝えてくれて。私もどっちかというと、まあ痛いけど、うん行っちゃえとか、痛いけど(笑)、いろんなことをやりたくて、やっては激痛、「ううっ」てなるタイプなんですけども。あの理論をみんなに当てはめられると、すっごい腹が立ちますね。何でですかね。
で、その…心の面とか生育歴とか、えーと、あといろいろ言われますよね。なんか社会的な要因とかもそう、そう、そう。いろいろ書いてあるの、最近、慢性の痛みというとまずそれが出てくるじゃないですか。受け止め方とか(笑)。そう。大事にしすぎるからだとか(笑)。そうすると、「もうじゃあ、何、この痛みがずっと消えないのは、何、私が悪いの?」って言いたくもなってきて、それが土壌にあって「きっと治らなくてごめんなさい」っていう思考に、もしかしたら陥ってしまったのかな?と思った時期があります。それはたぶん今でも消えていなくて。

私が一番危惧しているのは、その…、『腰痛は怒りである』とか(笑)。……いやあの、ね、あの、心理社会的な面も見なくてはいけないということはわかるんですけれども、それで流されてしまうと、なんか、その患者、病気、病態、治療ということを考えたときに、果たしてそれでいいのかなという思いは、とてもあって。今、世の中がその痛みの何年?とか言ってやっているけれども、果たして痛みということで一括りにしてもいいのかな、というのはとても感じています…ですね。

――痛みで一括りにしないとなると、今度、細分化の方法に向かったほうがいいと?

細分化というか、うーん、何だろう。……その画像に写らない機能的なものですよね。そういうものに対する評価…のほうに、もう少し目を向けてくれないのかなという気持ちはありますね。痛み、目に見えないじゃないですか。…その器質的な異常は、まあ見つからないにしても、うーん、何らかのシステムのエラーだとは思うんですけれども。

痛いから動かさない、痛いからこれができない、痛みさえなければこれができるのにみたいなの…で、最初からもう…踏み出せないというか、動か――心の面でも体の面でも動き出せないっていうのは、まあ確かにあるかもしれないんですけれども、それで慢性痛をすべて語られるのはとても気持ちが悪いです。嫌ですね。

※破局的思考:痛みによる恐怖や不安が病的なほど過剰に続く心理状態のこと。痛みのため何もできないと感じる「無力感」、痛みのことが繰り返し去来する「反芻」、痛みがさらにひどくなり、深刻な事態を起こすのではと考える「拡大視」の3要素から定義されています。

慢性の痛みの語り

NLP※を学び、試行錯誤して専用のカリキュラムを作り、人にも伝えるなかで体調コントロールが出来るようになり、寝たきりだったところから社会復帰した(テキストのみ)

よくいわれているのが、「脳の取扱説明書」というような形で表現されたりするんですけれど。で、私が当時その勉強したときに、「あ、このNLPっていうのは医療に使えるな」っていうのを、まあ自分でいろいろワークの体験とかする中で感じて、それで自分自身の体調のコントロールっていうのもできるようになったんです。

――えっと、それは、今もその体調管理には、ご自身に使っていらっしゃったりするんでしょうか。

そうですね。えっと、今はですね、体調のコントロールというか、それまでは本当にもう寝たり起きたり、寝たきりだったりっていう状態だったんですけど、そのNLPを勉強したことで、あの、社会復帰したんですね、自分で講座を開いたりとか、まあ講演をしたりっていうことをする中で、やっぱりその体調も波があってですね。

まあメディカルNLPというふうに、まあ自分の中でこう…、医療、まあ医療に特化したっていう形で自分の中でこう、カリキュラムをこう作ったり…、組み立てていったんですけれど。実際自分でもその、まあNLPも使いながらですが、波がやっぱりどうしても痛みにはあったりしてですね。で、まあ実際、人にこう伝えたいと思って、まあ伝える中で、自分自身もこういろいろと、ああじゃない、こうじゃないっていうのを試行錯誤しながら今に至っているんですけれど。