投稿者「sawada」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

感覚をイメージできない動きは、頭の中でもできない。動かすのに必要な要素をつなぎ合わせ、新しく「学習」して、以前とは別の足を「作り直し」たように思う

実際に動かせない動きというのは、絶対、頭の中でもできないんですよ。想像するだけだからできるんじゃないかって言われるんですけれども、絶対できないです。あの、例えば、まあ普通の元気な方が…、体操選手を見て、同じ動きを自分がしているところをこうイメージしてくださいって言われて、映像としてイメージするんじゃなくて、自分の体が動いてる感覚としてイメージするのはおそらく不可能ですよね。あの、自分が動いているのを映像としてイメージすることは可能かもしれないですけど、頭が下がって上に行って、それが数秒の間にくるくるとか絶対できないですね。で、あの、これ(右手をグッパーしながら)、あの、もう右足だとしてこれができて、あの、目を閉じてもこう、グッパーグッパーグッパーできるんですけれども、左足だと、あの、目を閉じて考えるだけでもできない。イメージすることもできない。じゃあ、実際に動かせるわけがない、みたいなところから始まっていく。だから、その動くためのシステムが整っていないものを無理やり力ずくで動かしても、それは絶対に悪化するだけで。…というのが、だから動かすため、その何かを行為をするために、必要な要素が細かーく分かれているんですよね、きっと。あの、こう触覚を感じ取ったり、距離感を感じ取ったり、温かさ、この力をかければ、向こうから押されている力が返ってくる感じ。細かーく、すっごい細かくたぶん分けられていると思うんですよ。それは一つ一つ、一つ一つ、こうつなぎ合わせるようにして、動かせるための準備が整ったところで、ようやく動きのある練習に入る。そうすると、動かすのに必要な要素はもう整っているので、「学習」ですよね。できるようになるというような感じで自分は受け止めてました…ですね。繰り返しだけでできるようになるんだったら…、それはリハじゃないと思います。単なる「練習」だと思います。

――……学習。

学習だと思っています、自分では。もう1回、作り直す。ここ、あんまり、――あ、そうか。理学療法士さんは知っていますけれども、私、あの、ケガをする前、要するに普通に、普通に左足だったとき、足の指でチョキってあるじゃないですか。こう、足の指でチョキね。あの、できなかったんですよね、左。それがあの、あのリハ後はできるようになってるんです。だから、本当に元に戻ったんではなく、元にできなかったのを元どおりに治したわけでなく、ゼロを1から、あの、作り直してきて。で、全く、またでき上がったみたいな(笑)感じです。だから前の足とは、きっと別のものができ上がっているんだろうなと思います。

慢性の痛みの語り

様々な医療機関を受診したが薬は効果がなく、痛みの専門病院で運動や認知行動療法を含む3ヶ月のプログラムを受けた。痛みはあるが年単位で杖なしで歩ける程度に回復した

それで(平成18年に)、えー、まあ、あるところに、えー、痛み専門の病院があるっていうことを聞きまして、そこへ無理くり診察を頼みまして。

――プログラムって、どんなことをなさったんですか。

そこでですわね、えー、全く治療はないんです。で、行きますと、まず、今日はちょっと体を動かしましょうかっていうことで、いわゆる理学療法士の方と、その、卓球を2、30分やる。それからちょっとその、重いリュックサックを背負って、病院が広いんですけども、病院の周りを20分ぐらい歩く。それから階段を上下する。それからあとこう、ちょっと心理テストみたいのを。えー、大体そういうことでした。……あの病院の、まあ、プログラム。

――どのぐらいの頻度で行かれるんです?

そうですね。週に2回ぐらいでした。

――でも、やっぱり効果は?

ないんです。…でも、その激痛の当時は杖ついて歩いてましたから。杖ついて。今は杖なくして歩けるようになりましたし。まあ、年単位でしか良くならないっていうことを先生はおっしゃっておられましたから。まあ普通に…、自分の足でちょっと出かけられて、自分、家族と自分のために体が動けて、それでまあ、いいのかなと、はい、思ってるんですけれども。まあ、でも、頭の、隅、隅で、なくなればいいんだなと思うんですね、いつもね。

慢性の痛みの語り

慢性の痛みには集学的医療が必要。慢性疼痛の社会的コストは大きい。色々な人が知恵を出すことで活躍の場が増やせるし、情報が得られることで患者も希望を持てる

それが集学的な医療、つまり痛み、慢性の痛みに関しては、ただの医学だけじゃだめだと。うん。社会的なサポートのほうがよっぽど、その社会に出られる状況であったりとか、あの、そこで得られる、こう何か喜びみたいなもの、何かをする喜びであったりとか、あの、そういったことのほうはもっといいんだということもわかってきてるし、その、うーん、そういうこう、いろんな立場、あの、社会学的な立場もあるだろうし、あの、まあ経済学的な立場もあるだろうし、それからあの、うん…、もう心理面ももちろんありますよね。で、認知の仕方。認知の仕方なんかも改善すれば、今までは情動だけだったけど、痛みはある程度コントロールっていうことも徐々にわかり始めてきている。あの、そういうふうなことの、いろんな人たちが集まって知恵を出し合えば、あの、まあ頸椎損傷後の慢性疼痛に限らず、あの、いろんな慢性疼痛、社会的なコストはものすごくかかっていますから。その社会的なコストを減らすことができるんじゃないかということもありますし。それで、まあ厚生省も研究班を、あの、継続しているし。うん。まあ文言だけかもしれませんが、一応、あの、政府の、まあ総活躍プランの中に慢性疼痛(を持ちながらの就労)というものを組み入れられてきているわけだから。あの、10年前、何もわからずにそのやってたときと比べると、今は遙かに多くの、あの、痛みに対応する手段を、同じように、僕ら、僕と同じように痛みを持っている頸椎損傷の人たちも(正しい情報を)持つことができるようになって、しかもそれを簡単にインターネットで入手することができるようになってきた。そういう時代に変わってきていますから、あの、希望を失う必要もないですし。

慢性の痛みの語り

整形や麻酔、リハの医師やスタッフ、学生など、院内のほとんどの職種が都合のつく限り参加する患者会で、ざっくばらんに話ができた。おかげで今、仕事に復帰できている

そこ(患者会)の中にはもちろん、あの、整形の医者もいて、麻酔科(や精神科)の先生もいて、リハ科の先生もいる。どうかしたら、あの、作業療法・理学療法的な部分とかいろんな、要は職、まあ病院という1つの箱の中の職種、ほとんどの職種がそこにも都合つく限り参加しているという部分があったんで。まあリハ科はリハ科でそういうふうに考えてくれてる、麻酔科は麻酔科でそういうふうに考えてくれてるっていう部分で、やっぱりちょっと変わったのかな。
だから、結局、今まで整形に関わってても、結局は一から十まで話を聞く先生にしかお会いしていない。患者の立場としての話を全部聞いてくれる先生だったんで、結局ほかの整形とか病院に行っても本当に1時間待ち1分診療が当たり前のような、「ふーん」って感じのお医者さんばっかりだったんで、あ、やっぱりここで良かったのかなっていう部分はあります。

――なんかいろんな科の先生がいることによって、まあ、あの、ばらばらにこう今までのことを説明していたのが、そこではいろんな職種の先生が来ることで。

本当にざっくばらんな形で話ができたんで、逆に、うん、よ、それはすごく良かったのかな。

たぶんその患者会がなければ、たぶん今の仕事には復帰してないと思います。当時の状況から考えたら、たぶん本当にその会に出会ってなければ、今ごろ寝たっきりで介護される側の生活をしてたのかなと思いますね。

慢性の痛みの語り

入院したとき、訪問リハの理学療法士がすぐ来てくれ、腰が痛くないベッドの角度やトイレについて一緒に考えてくれた上、休日返上で病院の担当看護師に伝えてくれた

あの、リハビリの先生…、の、あの、私が腰と手首を折って、また入院したでしょう。そのときにリハビリの先生がもう3日目に来てくださって、いろいろいやってくださったんですけど。そのときに本当にもう感動したのが、こう、ベッドを何十度かの角度にこう起こして、で、痛くない角度ってあるんです、腰が。もうともかく腰が痛くて痛くてもう起き上がれなくて。それでそこまで来たら今度は、体、頭を持ち上げて、どうこうして、それでこうやって。起きないとトイレへ行けないでしょう。で、トイレに。目の前にあったんですけど、トイレにするっていうことを先生と私でこう模索して。で、それができたときに先生が、日曜日だったんですけど、次が。あの、「僕が明日来てね、写真に撮って、それで全部看護師さん――看護師さんたちに見てもらわないとみんなわからないだろうから、それしてあげるよ」って言ってくださって。で、実演もしてくださったの。看護師さんを全部呼んでくださって、担当の。
それで、もう私、本当に何て優しいんだろうと思って。「何でそんなに優しいんですか」って言ったんですよ。40過ぎぐらいの男の人だったんですけど。「本当に優しいですね、あなたは」って言ったら、「いや、理学、こういうね、あれするリハビリのする人はみんな優しいんですよ」っておっしゃったけど、そうでない人もいるような気がして(笑)。

慢性の痛みの語り

慢性疼痛の患者は、わらをもすがる思いで色々な方法を探し、痛みを抱えた状態であちこち行かざるを得ない。自分に合う方法を教えてくれる場所があったらいいのに

――ある意味こう、ドクターショッピングっていうのは、自分の、このいい治療法がないかとか、もっとほかに方法はないかっていうのをやっぱり探すためには、必要なことでもあるのかなというふうに思うんですけど、その辺りはどうですかね?

でも、結構皆さん、本当に何だろう、わらをもすがる思いで、いろんなことを探して、やられてると思うんですけど。でも、本当はそれって何だろう、無駄って言ったらおかしいですけど、本当なんか体が不自由な上に、大変だと思うんですよね。元気な人が行くっていうようにはいかないと思いますし。だから、あの、制度っていうか、システムとして、私がケガをして、手術をして、リハビリの病院も病院が紹介してくれないっていうところからおかしいって思ったので。患者が本当に、とってもなんかそうですね、お母さんがケガをして、子どももいて、旦那さんはお仕事しなきゃいけない状態で病院まで探さなきゃいけないとか、それはちょっと理不尽というか。
そうしたら何だろうな、ケガをして、その後はこういうリハビリ病院に行ってとかいう、そういう流れっていうか、そういう何かあれば、みんな苦労せずに。あと、どこに――全国のどこにいても理解してくれるお医者さまがいるとか。なかなか、えーと、お医者さまがいても対応してくださるのはその理学療法士とかセラピストの方なので、痛みを勉強して対応できる方の養成。本当になんかお医者さまとかでも大学では、急性痛・慢性痛っていう2つの種類がありますよ的なことしか教科書に載ってないし、勉強されないらしいんですよね。だから、もうちょっとそういうこととかも変わっていって。
本当はこんな脊髄損傷なんかになる方が少なければ越したことはないですけれども、どうしてもそういう状況になったときに苦労せずに、皆さんが、あの、やっぱりできる体制ということができていったら、一番いいんじゃないかなと思います。そういう点ですごく、いろいろドクターショッピングじゃないですけど、あちこち、あちこちして。でも、やっぱりなかなか自分に合ったものには、たどり着けるかっていったら難しいと思うので。ここに行ったら自分に合う、「痛みセンター」みたいな、そういうところがあって、いろんなお医者さまだけじゃなくて、セラピストも心理療法士とか看護師さんとか、いろんな方がいて、自分に合ったことを教えてくれるっていう、そういう場所があれば一番ベストだなって思います。…うん。だから、私が苦労した分、みんなに苦労してほしくない。はい。

慢性の痛みの語り

入院中たまたま参加しはじめ、半信半疑で週1回、3カ月ほど参加した患者会。そこで学生から聞いた痛みのとらえ方の話が、考え方を変えるきっかけになった

入院してる――あ、行ったのは本当に何カ月間で、3カ月ぐらいの間で、えー、たまたま、「こういう会があるから行ってみたらどうだろう」っていうのを、あの、担当のナースに言われて、半信半疑、どこでやってんだみたいな感じで、部屋を、開催されてる部屋探して行って。…えー、その、それからそうですね、1週間に1回、まあ2カ月か3カ月ぐらい毎週のように行って、その後は本当に仕事との兼ね合いで、本当に何年かですよね、行ってたの。

――話し合いとか、どういう言葉が自分にとって、一番考え方を変えるきっかけになったお話しとかありますか。覚えている中で結構なんですが。

みんなでそのとき、その会うときまでの、その痛みはどうであったよっていう話の中で、たまたま、ちょっと何科の学生か忘れたんですけども、その学生が、「トラを見てトラ」、さっきから何回も出てるんですけど、トラを見てトラと思うんではなくて、そのウサギだったり、違う動物。だから、そのトラのカードが痛みだとしたら、それは痛みではなくて違う方向に(笑)考えていけたら、まあそこは、まあ痛みは50%だったとしても、違う方向から何カ所かから見ていけばたぶん、あの、痛み自体は減るんじゃないっていう、その学生さんの言ってたことから、ちょっと自分でもその考える方向を変えましたね。

――最初の3カ月ぐらいで、毎回のセッションの中で自分の考えがこう変化していくっていうことに、自分自身も気づいたりとかされていきました?

その間は気づいてなかったですね。ただ、そのトラのときに学生さんが、「これを見て普通はトラと答えるんだけども」うん…「トラとは思わずにほかの動物っていう考え方ができれば、おそらくこのトラが痛みの根本であって、それをそう捉えるんじゃなくて、ほかの方向に振っていければ考え方が変わるよ。変われば、痛みもおそらく軽減はしていくでしょう」ということで。ただ、ただ漠然とそのときは聞いてたんで、それから本当に何年かたってからですかね。自分のなんか、「ああ、あのときの学生、言ってたのはこういうことなんだ」っていう部分が自分で。そうですね。大体、平成14年くらいからですかね。整体の勉強始めて、うん、から、「それは、ああ、こういうことだったんだな」って気づくようにはなりました。

慢性の痛みの語り

認知行動療法など心理学の本を読み、健康法や民間療法も色々試したが結局成果は出ず、身体も動かず無理だと感じ、熱心にしなくなったら身体が楽になった

例えば心理学とかそういう本を読んだりとか、いろいろこう、何だろう、気持ちの面で、痛みのあんまりケアをしないで、ともかくこう、精神的なことの鍛練をしようっていう…感じですごくやっていて。だから痛みもあるし、実際、生活に結構支障は出ていたんですけど…なんか結局それは自分だけの中のものであって、病院に行けば異常なし。で、結構体が大きいというか、太ってたりとか、ガタイがいいことで結局、「太ってるから、痛いんだ」とか、「太ってるから歩き方おかしいんだ」とか、たまにこう、そういう親戚とか、そういう人たちに言われたり、病院とかでもやっぱり「太ってるから、腰が…」とか言われてしまうので、結局傷つくんだけど、もうそうやって言われてしまったら、しょうがないので。結局、痛いのは自分に問題、その病気とかの問題じゃなくて、自分自身が悪いんだと思っちゃったので。本読んで、良いと思う健康法を取り入れて、前向きになりましょうとか、認知行動療法とかそういう本とかを読んで、それでこうやってったんですけど。

ここ3年は、やっぱりあの、その心理療法とかいろいろやっぱり読んで実行したんですけど、無理だったんですね。ストレッチとかもできないぐらい、何ていうんですかね…痛いのは我慢できるんですよ。でも震えてきちゃったりとか、体がもうそれ以上動かないっていうか、突っ張っちゃってできないとか。

かえってなんか、実はやってたことがリハビリのつもりでやってたけど、要はもしかして病名が違ってて、何ていうんですか、ただ体に負荷をかけていた可能性とかがあるんじゃないかって今、感じがしてて、すごく。
だから、すごいもうなんか…、一生懸命こう、勉強してっていうか…取り組めば何とかなると思ってたのが…うーん、あまり結局何年かけても結果があまり出てなくて(苦笑)。

それからリハビリを熱心にしなくなったら、何か逆にこう、前向きでもないし自暴自棄ではあるんですけど、体自体はちょっと楽になってきちゃって、うん。なんか今まで律したりとか、自分をこう…いじめ抜いて、治るんだって方向で行ってましたけど、なんかちょっと違ったのかなとか思いながら、うん。今はそういうところにたどり着きました。

慢性の痛みの語り

EMDR※は脳に刻まれたトラウマ記憶が症状の根本にある前提で、指の動きに合わせて目を動かし、トラウマ記憶を想い出すと記憶の再処理がはかれる、と聞いている

EMDRって、えっと何の略…Eye Movement、何とかっていうの、の頭文字を取った、あの治療法で。そのトラウマだったりとか、そういったことが…こう、脳に刻まれて、残っていると、それで、いろんな形でこう症状が出てくる人がいる。それは例えば痛みだったりというケースもあるし、痛みじゃなくて、こう行動でいろいろ出たりとか、あの、そういったことも全てその根本には、トラウマとかPTSDがあるっていうことを前提にしてする治療なんですけれども。その嫌なことを思い出して、そのセラピストがこうやって(手を前に差し出し、左右水平に動かす)、指を動かすんですけれども、その指で追うとその目の動きが脳に作用して、あの、その昔のトラウマ、脳に刻まれてるトラウマの記憶の再処理をするっていう治療法なんですね。

で…その、私なんかもそうなんですけど、もう昔あったことっていうのは全て終わってることで、私ももう気持ち的にはもう整理がついてることでも、その脳レベルで、あの、やはり傷になって残ってしまっていると、やはり体に症状となって出るケースというのがあるので、その…嫌な記憶っていうのを、あの、その嫌だっていうままの中で脳処理されてしまっているものを、ちょっともう1回引っ張り出して、それを嫌なことでもなかったという。その気持ちだけではなくて、脳の中でのその処理の仕方をきちんと、あの、いい…いい形でというか、きちんと再処理をして、で、そうしていくとその体の痛みだったりとか、例えば問題行動だったりとか、そういうことも減っていくというような治療で。

慢性の痛みの語り

顎関節症の治療の一環として、うつ系のカウンセリングの紹介を受けたが、内にこもっていく、合わないタイプのカウンセリングだった

顎関節、まだ健常だったころに顎関節の治療の一環として、あの、うつ系の、まだうつがうつって言われる前の時代ですよね――に、あの、カウンセリングとかを含めた心療内科の紹介も受けて、そういう治療もありました。

――そのことを教えていただいてもいいですか。

うん。あの、噛みしめだったり、その仕事がきつかったりとかも含めて、あとあの、まあ日中プライベートのことでも、いろいろ多感な時期(笑)だったと思うんですけれども、あの、割とこう集中して色んなことを考えちゃう質だったと思うんですね。で、あの、夜中の歯ぎしりが…ある。それから心理的な痛みとかそういうものもあるかもしれないからということで、その当時通っていた、長くもう通っていた先生が、あの、心療内科とかカウンセラーを紹介してくれて。えっと、心理的な、その何ていうのか、食いしばり。(心理的なもの)から来るような食いしばりとか、そういうものを緩和していけば、というようなことで心療内科を紹介――カウンセラー紹介してもらったんですけれども。そのときはね、えーと、カウンセラーさんの内容というか、合わなくて。うん。なんかこう、合わないカウンセラーさんっているじゃないですか。で、余計こう何ていうのかな…自分の中に内にこもっていっちゃうような部分というのが当時あって。で、「もう無理」って思ったとき、今度はまた少しタイミングを遅らせて、心療内科の先生を紹介してくださって。