投稿者「sawada」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

現在、EMDRによる治療を受けている途中。記憶を1つ処理した後に、痛みの感じ方が変わったので効果を感じる一方、副作用のような症状も出ている (音声のみ)

――実際に(EMDR※を)受ける前と受けた後では、あの、痛みのほうには随分変化があったんですか。

そうですね。あの、一番最初にその昨年の4月に受け始めたときっていうのは、自分でも、あの、これじゃないかってちょっと思い当たる、あの、トラウマというか、嫌な思い出があって。で、あの…、まあそのカウンセリングの一番最初にやはりいろんな、もう本当に生まれてからのいろんな出来事というのを話ししたんですけれども、その先生もやはり、その私が思い当たっていることが、まあ一番のわかりやすい出来事なんじゃないかっていうことで、まず最初にそのことについて、あの、EMDRをしたんですね。
で、それに関しては、すごく効果が出たというか。痛みの感じ方というかがちょっと変わったんですけれども。やはりその、脳に作用する治療なので、治療を始めて2、3カ月ぐらいで、あの…、何ていったらいいんだろう、見当識障害とか、あとは…えーと、ちょっと意識障害とか記憶障害みたいなのが出てきて。
あの、見当識っていうと例えば、こう、時間の経過というのがわからなくなったりとか。あとは、例えばどこかに旅行に行くとして、あの…こう準備したものがどのぐらいの大きさのカバンに入るのかっていう、その見当がつけられなくなってしまう。その、このカバン、この大きさのカバンにはこのぐらいの荷物が入るっていうようなことって、大体こう見たらわかると思うんですけれども、それがこう見てもわからなくなってしまうとか。
あとは車を運転してて、その目で見たものが脳にきちんと伝達されなくなってしまう。こう見ていても、この一部が全く見えてこないというか、頭に入ってこない。それはたぶん伝達でどこかがおかしくなってしまってて、あの…、目で見てるものがきちんと見える状態にないというか、何て説明したらいいのかちょっとわからないんですけれども。要は、伝達の部分がちょっとおかしくなってしまって。で…なので、その時期は車の運転もちょっとできなくなってしまったし。

たぶんそれはその途中経過で起こり得る、まあ想定の範囲内の出来事ではあったんですけど。ちょっと普通に治療している…人には、たぶんない感覚というか、ない…副作用というか、そういった出方だったと思うんですけれども。

※ EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)とは、トラウマ的、苦痛で嫌な人生経験が不完全に処理されたことによって、精神病理の多くが生じている(適応的情報処理モデル)という考え方に基づく心理療法。なおEMDRを含め治療法の選択にあたっては、専門的見立てに基づき、治療者との相談の上で判断がなされるのが一般的です。

慢性の痛みの語り

自分の思考を変えるきっかけとして臨床心理士を頼った。保険の効かない高額なものはとても無理だと思い、ネットでNPO法人の1回2,000円程度のものを見つけた

――その、いわゆる医学じゃないもの。例えば心理療法みたいなものとか。

うん、はい。

――人によっては宗教とかお札とか、そういうふうに行く方もいらっしゃるんですけど、そういうようなことに行こうと思ったことっていうのはありますか。

ありましたね。エヘヘヘ(笑)。私だって人間ですから、何かにすがりたい気持ちもあったけど…でもそれはもう何ていうんですか…その長い痛みに耐えてる期間が長かったので、そんなのにすがっても、解決策にも落ちにもなんないなっていうのがだんだんわかってきまして。結果の出せる、根拠のあるものだけにすがろうと思うようになりました。

精神的に病んでしまって、正直抗うつ剤とかも飲んだことあったんですけれども、抗うつ剤飲むことによって、確かに気分は楽に、楽になるんですけれども、思考力も低下する実感っていうのがありまして。物事の判断能力が衰えるというか、俊敏さがなくなるというか…どうしてもスローペースになってしまうんですよ、思考が。ああって、これじゃあ、ちょっとこう、気分は楽になっても仕事は無理だわって思って。なので、自分の考え方を変えるきっかけとして、PTSDの治療として心理療法士に頼りました。で、そういう……あっ、心理療法じゃない、臨床心理士なんですけども。保険適用じゃないので、1回6,000円とか、かかってしまうんですよね。「ひゃー」って思って、すごいこれ、お金かかるわ。毎週やったら、うーん、月4回の6,000円の2万4,000円とか(笑)、単純計算、考えてしまい、「いやー、それ毎月する?」ってなったときに…って考えたんですけど。私が行ったところはNPO法人だったんです。すごい安かったです。
なので、そういうところもあるっていうことをネット上で検索してもいいと思います。そうしたら抗うつ剤とかを使わなくて、自分の思考、考え、こう考え方を、変えるだけでも、すごい、うつのお薬とか使わない方法は、なーんでもあるし。うん。安い方法は幾らでもあるっていうことはわかりました。ちなみに、そのNPO法人のお値段は2,000円ちょいぐらいで、3分の1ぐらいの値段で済みました。はい。なので、すごい、そういうのをネット上でいろいろ調べてみて、いいと思います。情報化社会って言われてるので、海外の、私の治療の、海外の情報もそうでしたし、そのNPO法人の臨床心理士のことだってそうだし、ネット上でほぼ検索して調べたことなので。文明の利器を思う存分使って(笑)、いけるのも生きていくすべだと思ってます。

慢性の痛みの語り

痛み自体は変わらなくても、年々少しずつ「境地」が変化するので、それを知るのにセラピストがいると良いが、身近にいない。自分で記録し、変化を見つけるようにしている

痛みは変わらなくても、1年目、2年目、3年目、4年目になると、さっき言ったように境地が変わるので。それはすごくちょっとずつしか変わらないんですよね。…なかなかその変化がわかんないんですけど。本当は、これはセラピストがいると、もっとそれはあの、いるといいんですけど、その1年目、2年目って境地が変わったときになるべく言葉にするのがいいかなとか。…何かに残しておくと。私はいつも、最近は食べたものを記入したりとか、活動量計を付けたりしてるので、どのぐらい活動計を付けてるとか、何か記録を付けておくと後でふり返ったときに、その小さな変化があの、わかるんですけど。
そうなると…、前、気になってたのに、そういえば前は気に――今は気になんなくなったなっていうことが何かあると思います。痛みは変わんないんだけど。それは自分の境地のレベルが変わったからだと思います。だけど、ずっと一緒にいる人はあまりにもちょっとずつしかないから、あまり周りの人は変わらないんだけど、そこでセラピストの登場で、聞き取る人がいるし、その人はその何が変わったか質問してくれるとたぶん吐き出しやすいんですけど、吐き出せない場合は、さっき言ったように何か取り組む。取り組んだときに、そこにどっぷり取り込まれるというよりは、まあ取り組みながら自分を観察したり、あるいは取り組んだ後に何か日記を書くなり、ブログを書くなりして――するのも何か、なんか必ず何か変わっていると思うんですよね。

慢性の痛みの語り

NLPで痛みは楽になっていったが、今は線維筋痛症以外の病気もあって、気持ちや考え方だけではどうしようもないと感じることがある(テキストのみ)

言ってしまうと、かなりそのNLP(※)を勉強したことで、痛み自体がやっぱり楽になっていったんですね。で、活動自体もどんどん自分で、えー、できるようになって、まあ講演活動もそうですし、講座を開いたりということで皆さんにもお伝えしたりということでやってるんですが、その中でやっぱり、どんどん、どんどん自分の中で、まあ実際うまくいってたのに痛みが強くなったりとか、そういうこともあって、これが大事だなっていうのが、やっぱり次々こう見つけることができたんですね。で、これが大事だなっていうのが、コミュニケーションというところでは私の中で自分とのコミュニケーションがすごく大事だなっていうところにまずたどり着いて。で、自分とのコミュニケーションを取る中で、体の声を聴いたり、自分の心の声を聴いたりっていうことをするようになってから、なんかだいぶ痛みのほうも楽に…なりました。
で、とはいえ、やっぱりその…、病気的なところからすると、気持ち的なこととか、そのまあ考え方を変えるとか、そういったことだけではどうしようもないことがあるんだなっていうのを感じたのが、やっぱり……、どうしてもこの線維筋痛症だけではなくて、ほかにいろんな病気もそれから繰り返すっていうことがあってですね、手術をしたりっていうことも繰り返しましたし。

※NLPとは、Neuro Linguistic Programing(神経言語プログラミング)の略称で、心理学と言語学から体系化された人間心理とコミュニケーションに関する技法のひとつとされています 。

慢性の痛みの語り

古巣の病院で自分の臨床での苦労話を、せきを切ったように話した。担当医はただ頷いて聞いてくれた。前医と見立ては変わらないのに、以降は痛みが気にならなくなった

もう何事もなく、こう、一患者として診察が終わればいいなというふうに思って、こう小さくなってたんですけど、そんなことは叶わずですね、私もその車いすを使った――あの、乗ってたので、学生時代から目立ってたので、「ああ、あなたですか」という感じで(笑)、すぐにあの、人物が同定されてですね。「どうですか、最近は」みたいな話から始まって。何だかその、「あ、もう自分の弱いところも含めて、顔が割れてしまった」というのがきっかけになって、一気に何か、せきを切ったようにですね、あの急に私、話し始めちゃったんです、いろんなことを。
というのは、その、卒業してどういうふうに苦労してきたのかとか、その臨床をやりながら、あの、自分は障害を持ちながら医療的な、あの、診察をですね、やるときの苦労話とかですね。あるいは、そこでのその挫折の経験ですとか。とはいえ、いろいろな人に支えられて、何とかそれなりに私自身の臨床スタイルをつくり上げたこととか、そういうことを。つまり痛みとは一見して関係のない話ですね。私のナラティブというか。卒業してからずっと、あの、あまりこういう話って人とシェアしにくいというか。医療者の何ていうんでしょう、苦労話って、まあ医療者同士だったらできる部分もあるけれども、私は障害を持ってる医療者なので、ちょっと状況も特殊でなかなか話す機会がなかったような。さまざまな葛藤ですとか、傷つきですとか、そういう話を何だかせきを切ったようにしゃべってしまったんですよね。それをその担当医が黙って聞いてくれて、ひたすら、「ふん、ふん」って、あの、うなずいて聞いてくれてですね、これまでと同じように非常に丁寧に診察をしてくれて。
で、最後にあの、見立てを、そのアセスメントをおっしゃったんですけれども。それはその、今までの2軒のドクター、そのそれ以前にかかってたドクターと結果としては変わらなかったんですね。様子を見ましょうというふうな方針だったんですが、最後に一言その先生が、そのあの、「また何かあったらいつでも来てください」と。「うちの科を上げて、全力で応援するからね」っていうふうなことを一言、言ってくださったんですね。で、あの、すごくこう心が温かくなったというか、ちょっとあの、目頭が熱くなったというか。という経験をして、翌日からすごく痛みが取れたんですよね。

それ以来、何かこう、気にならなくなったというか。痛みはあるけど気にならないというふうな状態が始まって、もうすぐに首のカラーも取って、痛み止めもやめて、で、日常生活に戻っていったというふうなことがありました。で、今に至るというか。それ以来、今も痛みはあるんだけど、あの、何ていうんでしょうね。So whatというんでしょうか、そのまま暮らしているという感じが今まで続いてますね。

慢性の痛みの語り

痛みをきっかけに、研究の軸足を基礎医学から自分の体験を元にした当事者研究へと移した。痛みは「あなたの物語についていけない」と身体が教えてくれる、意味あるもの

実際あれ以来、私は当事者研究というものに軸足を移したんですよ。それまでは医学的な研究というんでしょうかね、いわゆる基礎研究とか、心臓を専門にしていたりとかですね、そういうものをずっと追っかけてきたんですけれども。あの、2009年ぐらいに『リハビリの夜』という本を書いたりする前後に、この当事者として自分が生きてきたことっていうのを、自分、発信することにライフワークの軸足を置こうというふうに、ちょっと腹をくくった時期だったんですね。それのきっかけが、たぶんあの慢性疼痛の痛みだったなというふうに、ちょっと今振り返ると思っていますね。
あなたの物語は、私の体、体からのメッセージというか、あなたが持っている物語は私にとってはもう息も切れ切れ、あの、ついていけないというふうに体が教えてくれているというか、そういう感じとして受け止めていますね。

基本に戻ったとも言えるんですけども、あの、よく私が専門にしてる当事者研究で大事にしている概念のうちの1つが症状には意味があるという、当たり前のスローガンがあって。何でそんなスローガンをわざわざ言わなきゃいけなかったかというと、精神医療の中で症状には意味がないっていう慣習が横行してきた。つまり症状は意味がないから取り除くべきだっていうふうな対症療法が、例外的に広まっていた。で、内科とか外科はそんな発想はあまりしないわけですね。症状というのは、あの、意味がある。その意味を教えてくれているサインなんだというのは医療の基本なんだけど、精神科というのはなぜ対症療法に陥りやすいかというと、精神症状というのは、体の中を探っても原因が見つからないことが多くて。その人が置かれている人間関係とか、社会の環境とか、そういうものの中に原因が宿っていたりするわけですね。体の外に原因が宿ることが非常に多くて。なので、その病院の中でなかなか原因が発見できないというふうな構造があったと思うんですよね。盲腸とかでしたら病院の中でも発見できるんですけど。

慢性疼痛も、あの、精神科の症状とよく似ている。そういう意味では対症療法で扱われやすいというか。それ以上の原因を探ることなく、とりあえず痛みを取る方法を考えましょうという流れになりやすいんですけれど、それでいいんだろうか。それで、うまくいくケースはもちろんあるんですが、うまくいかない場合にはちょっとアプローチを変えて、本来の医学的な症状には意味があるっていうアプローチをもう1回振り返る必要があると思います。

慢性の痛みの語り

自分が医師として診療にあたるときも、症状の「意味」を徹底し、診察が楽になったが、その一方で物語を変えるタイミング、その伝え方の難しさを感じている

最近やっぱり外来でそれを徹底しているとすごく楽になってくるというか、外来がスムーズに進む。まあ、あの、当然患者さんの満足度も高いですし。意味を、意味は欲しいですからね、その…私も痛かったときに、何でなんだって思いますので。物語が欲しいというか、そこに解釈が欲しいですよね。むしろ、その解釈がないことが不安を引き起こすので。とりあえず痛みを取ってほしいっていうふうな感じに切り詰められちゃうと、ちょっと何か泥沼にはまってしまうような感覚がありますね。なので、外来の変化を一言で言うと有意味性でしょうか。症状の有意味性の強調でしょうかね。もしくは徹底ですかね。

なんか本当に、例えば、あの、お受験戦争に巻き込まれて、それを痛みとしてパンと経験するっていうお子さんも結構たくさんいらっしゃるんですけど。そうなると例えば、ちょっとしたケガとかをきっかけに慢性疼痛になっていくというときに、思春期外来ですよね、13歳とか14歳とか。ここが結構本当に主戦場というか。あの、何でしょう。いい中学に行く、いい高校に行く、そうしたら自分の人生はいいものになるっていう物語をずっと生きてきた子はたくさんいるわけですよね。そういう中で体が実は水面下で悲鳴を上げていたとしたときに、その、それが慢性疼痛として、ある年齢でバンと出たときに、えー、そうですね、その、さっきの破局化ですよね。つまり痛みを早く取ってください。そうしたら、もう1回勉強に戻れる、お受験に戦争に戻れるっていうふうに思う。その思考様式が破局化ですよね。
ところが、そうではなくて、それは何か自分の人生の筋書きを修正するサインなのかもしれないということを13歳の子に伝えるというのは、至難の業ですね。大抵の場合、親もいますので、そこには。あの、ご両親も、早く取ってくれと。そうしたらもう1回受験できるかもしれないというふうに、家族ぐるみでそういう物語の中にいるときに、今日話したようなことを伝えていくのは、ものすごく大変ですね。
なんかタイミングがあるなというか。その物語を書き換えていくタイミングみたいなのってどっかで、さっきのあきらめじゃないですけれど、どっかで疲れていないと。あの、だから、13歳で無理で、例えば20代後半とか30代になったときに、今日の話みたいなものに触れると、「ああ、そうか、なるほど」。私も3人目の、外来の先生に出会ったのが32歳だったんですけど、ちょうどいい案配だったなと思います。20代で体が痛くなって、これからというときにあの、同じ話を聞いても、もしかしたら変わらなかったかもしれないですね。なんかもう、そろそろ潮時じゃないですけど、そろそろ自分の物語を変えないとどうしようもないってどこかで思ってないと、そういうタイミングでないとなかなか、難しいなと思う。

慢性の痛みの語り

運動療法と認知神経リハビリテーションを受けている。正常な感覚を持つ右足と左足の比較をして脳の誤作動を修正する。週に1~2回受け、効果を実感している(音声のみ)

リハビリは、あの、平行棒を使った運動療法と、あとは認知神経リハビリテーションといいまして、いわゆる脳トレーニングを行って。私は左足を傷めているので、その捻挫は治っているけれども、捻挫が治ったことを脳が認識していないので、その誤作動に修正をかけるためのリハビリを行っています。で、具体的には、足にスポンジを置いて、目をつぶった状態と開いてる状態で、あの、同じものを当てているか、違うものを当てているかを当てるとか。そういったことをあの、右と左で、正常な感覚を持っている右足との比較を行いながら、どこで自分の脳が誤作動を起こしているかを自分で認識して、鏡を見ながら、それで修正をかけていくっていうリハビリを週に1、2回行っています。

――その、えー、ブロックとかリハビリの治療の効果っていうのは、ご自身ではどう感じていらっしゃいますか。

リハビリに行かないと、足の力がだんだん抜けていくというときがあるんですよね。なんか例えば、仕事が忙しくて1週間空いてしまって10日ぶりぐらいに行ったときに、8日目ぐらいからちょっと足に力が入らないと思うときがあって。あの、そこがやっぱりリハビリに行ってる効果なのかなというのが。あとは、リハビリに行ってると、例えば転倒したり、調子が良くなくても、周りにプロの先生がいると思うと、安心してちょっと勇気を出して、いろんなこともできるというか。

――…じゃあ、もうそのコンスタントに。

はい。

――もう1回、リハビリは今、期間はどれぐらい行っていらっしゃるんですか?

週に1、2回です。

慢性の痛みの語り

認知神経リハは、ものを感じ取るためのリハビリだと思う。実際に動かす前に、頭の中で動かしてみるなどして脳のエラーを発見する

認知神経リハビリテーションは、私は物を感じ取るためのリハビリだと思っていて、自分の中では。で、えーと、痛み以外の情報が全く欠けているという状態だったので、自分は。輪郭もわからない。その、入力が…ない、感じ取れなくなっているのを、再び感じられるようにするリハビリなのかな。感じられないということが脳のエラーとして、あの、痛みになっているのかな、というふうに思うので。何ですかね、こう……ただ、頑張るんじゃなくて。

例えば、えーと、じゃあ、ここからここまでの距離と同じだと思うものを、この中から選んでくださいみたいな感じで。まずここ、目でこう捉えるところ。で、ここまで手を伸ばすことより前のところから始まります。まあ線が何本か引いてあるとして、ここからここまでの距離と同じなのは、きっとこの距離だろうなと思って、「これです」って言うとすると…、「じゃあ、実際にやってみてどうですか」というとエラーがわかったりするんですよね。

慢性の痛みの語り

介護保険で運動主体のデイケアを週2回利用。痛みの一日が始まると思うと、固まって動きたくない…とも思うが、動くと痛みは軽くなり、動けることが喜びになっていく

リハビリをあの、介護保険のデイサービスので、レクリエーション主体のデイケアみたいなじゃなくて運動主体のデイケアをやっているところを探して通って、今、週2回なんですけどね。半日、一生懸命、運動をして。でも、専門家が定期的に診てくれるっていうのは、変な癖がやっぱり脳関係だとついていっちゃって負担かかってと思うから、定期的に、あの、ちょっとおかしいとか不安に思うところにアドバイスくれるとか、あと、ちゃんと体を動かせてるっていう、やっぱり喜び。で、あの、やっぱり循環が良くなると、体の痛み、軽くなるような気がするんですよ。すぐやっぱりぶり返すし、朝起きるときに、これから痛みの1日が始まるんだって思うと、もうこのまま固まって動きたくないな…って思ったり(笑)するぐらいなんだけれども。動かしたほうが少し、何ていうのかな、やっぱり痛いし、痺れるけれども、軽くはなったりするんですよね。