インタビュー時:29歳(2019年10月)
診断時:28歳
診断名:拡張型心筋症もしくは頻脈誘発性心筋症
首都圏に妻と2人暮らし。営業職。
2018年初めに脈が速いことに気づいたが、他に症状がなく放置。
2018年10月に近所のクリニックで薬をもらったが改善せず、咳や背中の痛み、明け方苦しくて目が覚めるなどの症状が出て、大きい病院を紹介され、重症の心不全が発覚し入院となった。
入院後、一時はショック状態となり死を意識したが、カテーテルアブレーション手術を受けることができ、脈が落ち着き退院元の職場に復帰した。
プロフィール詳細
首都圏在住。営業職。2018年の初め、脈が140回/分くらいになり、変だなと思ったが、それ以外に症状がなかったので放置していた。会社の研修で、3カ月留学したが、その間も脈が速いだけで普通に生活していた。2018年10月頃、さすがに脈が落ち着かないので近所のクリニックに行った。薬を処方してもらったが、脈は変わらず、140~160回/分の状態だった。11月に入って、咳や背中の痛み、明け方に特に苦しくて横になっていられないなど初めて脈以外の症状が出始めた。クリニックの紹介で大きい病院の循環器内科に行ったところ、重症の心不全で、即入院となった。心臓のポンプ機能が3分の1しか動いていないと言われ、闘病が始まった。
重症な心不全と言われたときは、正直何を言ってるんだろうとまったく頭に入ってこなかった。何が起きているかあんまりわからなかった。1-2日経つと、相当ひどい状態だということは理解し受け入れるには受け入れたが、先が全然見えない状態でこれからどうなっていくのか怖かった。付き添っていた妻も呆然としていた。
入院した病院では、いろいろな病気の可能性を考えて検査が行われた。医師から、もしかしたら最終的に心臓移植が必要な病気かもしれないと言われてかなり驚いた。また移植までの間、補助人工心臓が必要になるかもしれないので、別の高度医療を提供する病院に転院することになった。
検査の結果、脈拍が早すぎて心臓が弱くなっている可能性があり、頻脈を発生させているところを調べるためにカテーテル検査を行った。しかし、検査で負荷がかかり、自覚的にはもうだめだと思うほど体調が悪化した。血圧が測れないくらい下がってしまい、意識も混濁し、いわゆるショック状態となってしまった。頻脈を発生させている複数の場所を焼き切るカテーテルアブレーション*¹手術をする予定だったが、手術時間は7〜8時間かかるため、体への負担を考え、開胸手術を勧められた。不安だったが手術を受けないと助からない状態だったので、覚悟を決め、手術日程も決まった頃、ちょうど飲み始めた別の薬で脈拍が80~90回/分に落ち着き、心機能が回復した。その後、カテーテルアブレーション手術を受けられることになり、脈拍は80後半~90回/分で安定。手術1ヵ月後には退院ができた。
入院当初はどうなるかわからず怖かったが、無事に退院でき、家族をはじめ支えてくれた周りの人たちに感謝している。入院中、医療者はよく説明をしてくれた。自分も体のこと、病気のこと、治療のことを知っておきたいという気持ちで、わからないことはとにかく質問した。治療について自分で情報を整理したうえで受け入れることができていたと思う。
退院後は、薬をしっかり飲んで、塩分制限と水分制限を守り、無理をしないで生活するようにしている。退院してから、基本的に自分で減塩の食事を作っている。SNSで減塩生活をしている人たちとつながって楽しみながら情報交換している。また水分は1日1.5リットルまでで、夏は少し厳しかったができるだけ飲みすぎないようにしている。水や塩分を取りすぎるとすぐ体重増加するが、次の日に気をつけると戻るので、概ねうまくいっていると思う。体重以外に血圧も毎朝測定しているが、大変というより、やらないと落ち着かず、無意識にやっている。再び、あんな辛い思いはしたくはないというのが1番大きい。
職場復帰の際は、復職プログラムに則って段階的に勤務時間を延ばし、体調と相談しながら無理なく復職できた。職場内や新しく出会う仕事関係の人にもできるだけ病気の事は伝えるようにしている。営業職なのでお客さんと食事に行くこともあり、自分の病気のことで「この店で大丈夫ですか」と気を使わせてしまうのはちょっと辛い。
死ぬかもしれないというようなところまで経験して、死にたくないと強く思った。これからは自分のやりたいことを遠慮せずにやったほうがいざと言うときに後悔しなくて済むと思った。今は以前と比べて辛いことも乗り越えられるだろうという気がしている。病気の経験を経て精神的に強くなったんだと思う。
重症な心不全と言われたときは、正直何を言ってるんだろうとまったく頭に入ってこなかった。何が起きているかあんまりわからなかった。1-2日経つと、相当ひどい状態だということは理解し受け入れるには受け入れたが、先が全然見えない状態でこれからどうなっていくのか怖かった。付き添っていた妻も呆然としていた。
入院した病院では、いろいろな病気の可能性を考えて検査が行われた。医師から、もしかしたら最終的に心臓移植が必要な病気かもしれないと言われてかなり驚いた。また移植までの間、補助人工心臓が必要になるかもしれないので、別の高度医療を提供する病院に転院することになった。
検査の結果、脈拍が早すぎて心臓が弱くなっている可能性があり、頻脈を発生させているところを調べるためにカテーテル検査を行った。しかし、検査で負荷がかかり、自覚的にはもうだめだと思うほど体調が悪化した。血圧が測れないくらい下がってしまい、意識も混濁し、いわゆるショック状態となってしまった。頻脈を発生させている複数の場所を焼き切るカテーテルアブレーション*¹手術をする予定だったが、手術時間は7〜8時間かかるため、体への負担を考え、開胸手術を勧められた。不安だったが手術を受けないと助からない状態だったので、覚悟を決め、手術日程も決まった頃、ちょうど飲み始めた別の薬で脈拍が80~90回/分に落ち着き、心機能が回復した。その後、カテーテルアブレーション手術を受けられることになり、脈拍は80後半~90回/分で安定。手術1ヵ月後には退院ができた。
入院当初はどうなるかわからず怖かったが、無事に退院でき、家族をはじめ支えてくれた周りの人たちに感謝している。入院中、医療者はよく説明をしてくれた。自分も体のこと、病気のこと、治療のことを知っておきたいという気持ちで、わからないことはとにかく質問した。治療について自分で情報を整理したうえで受け入れることができていたと思う。
退院後は、薬をしっかり飲んで、塩分制限と水分制限を守り、無理をしないで生活するようにしている。退院してから、基本的に自分で減塩の食事を作っている。SNSで減塩生活をしている人たちとつながって楽しみながら情報交換している。また水分は1日1.5リットルまでで、夏は少し厳しかったができるだけ飲みすぎないようにしている。水や塩分を取りすぎるとすぐ体重増加するが、次の日に気をつけると戻るので、概ねうまくいっていると思う。体重以外に血圧も毎朝測定しているが、大変というより、やらないと落ち着かず、無意識にやっている。再び、あんな辛い思いはしたくはないというのが1番大きい。
職場復帰の際は、復職プログラムに則って段階的に勤務時間を延ばし、体調と相談しながら無理なく復職できた。職場内や新しく出会う仕事関係の人にもできるだけ病気の事は伝えるようにしている。営業職なのでお客さんと食事に行くこともあり、自分の病気のことで「この店で大丈夫ですか」と気を使わせてしまうのはちょっと辛い。
死ぬかもしれないというようなところまで経験して、死にたくないと強く思った。これからは自分のやりたいことを遠慮せずにやったほうがいざと言うときに後悔しなくて済むと思った。今は以前と比べて辛いことも乗り越えられるだろうという気がしている。病気の経験を経て精神的に強くなったんだと思う。
*¹カテーテルアブレーション:経皮的カテーテル心筋焼灼術のこと。手首や足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を血管内に挿入し、心臓の筋肉の中にある異常な電気回路を焼灼または冷凍凝固して、不整脈を抑える治療。
インタビュー08体験談一覧
- 精神的に負荷がかかると、心臓にも影響があると思う。交感神経が活発になって脈が速くなったりする
- 心臓の病気になるとリラックスする時間が必要。好きな音楽に合わせて心臓が反応する。激しめの音楽で元気が出る
- 退院後、しばらく休職し元の仕事に戻って2カ月になる。復帰プログラムが用意されていて、徐々に仕事時間を延ばした
- 飛行機は酸素濃度が薄くなり心臓に負担をかけるので、担当のエリアを狭めてもらい、拡張型心筋症でも同じ仕事に復帰した
- 心臓に負担をかけないため、塩分1日6~7g、水分一日1.5ℓという生活をしている。摂りすぎると体調や体重に響く
- 健保組合に限度額適用認定証 を申請し、高額療養費制度を利用した。本来払うべき医療費は200万以上なのが12~13万で済んだ
- 特発性拡張型心筋症は指定難病なので医療費の助成があったし、給与もある程度支給されたので負担なく治療を続けられた

