やはりそのときに、自分の中で、自分が逃げるか…困難から逃げるか、困難に立ち向かうかという葛藤をしていたように思います。で、経過観察といいますのは、その事象を先に延ばすことだけであって、心の中のモヤモヤは、ずーっと引きずりながら、生活していかねばならないと。で、そのことは私自身も心の中で、そのモヤモヤをずーっと引きずりながら、仕事にも、あるいは余暇にも、人生にも…対処していけるかということが疑問に思いましたので、やはり手術をして取っておくのが、まあ、最適の方法ではないかなということを自分自身の中で考えました。
投稿者「dipex-j」のアーカイブ
実は私には、がん細胞が残っているということは非常に嫌で、まあ、病気と仲よく暮らそう、(自分の)患者さんには、腎臓の病気の人によくそういうことを申し上げるんですけども、自分のがんのときに、がん細胞と仲良く暮らすというのは「江戸っ子の俺に性にゃあ合わねえや」と。まあ私は割合にそういう点で偏った人間で、好きじゃないという人とは付き合いたくないと、了見の狭いわけでもないのですが、がん細胞とは付き合いたくないから、とにかくがん細胞は嫌。だから全部取ってほしい。で、「80歳以上の人の生存率は、手術と他の療法との差がないのは、それは昔の統計であって、今は100歳まで生きる人がたくさんおられるんだから、100歳まで生きた人にがんを切らなかった人と切った人との差がなければ、それは私も承服するけど、ただ単に10年生存率が変わらないというんであれば、それはよくわかりませんから、とにかく私は切ってください」と。「それでは、初めての経験だけども、まあ先輩を立てて切りましょう」ということで、取り除いてくださったんです。
先生から言われたときに、手術する前に言われたときには、完全にこの前立腺を全部、摘出してしまう。そして何か…精嚢というんですかね? そういうところも一緒に全部切除、切って取ってしまうって。で、前立腺、あの尿道と膀胱をつないだ手術になりますということを言われましてね。それで一応、まあ手術した後には、尿漏れとか、それからまあ、何ていうんですか、失禁っていうんですかね。そういうことが起きる可能性というか、そういうのがたくさん…そういうことがあるということを言われましたんですけどね。まあ、とにかくがんを、自分が前立腺のところに抱えたままで治療するよりも、摘出したほうが自分でも、これから先ずっと生きていくにはいいのかなと思って。で、先生にその旨をお話しして、先生も、じゃあ手術するようにいたしましょうということなんで、(そう)なりましたんですけど。
そのときに医者が言うにはですね、あなたの場合は対処法…選択肢は4つあります。このまま何もしない方法が1つ、それから手術で取ってしまうことが1つ、放射線をやるのが1つ、それからホルモン療法をする…この4つありますと。どれをやってもね、あなたの場合は妥当だから、選んでくださいと言われて、正直言って困っちゃったんですね。
あの頃は辛かったですねえ。結局自分で決められないし、どれが一番最適な治療法なのかね、自分にとってわからないじゃないですか。
前立腺がんの場合はですね、これが一番いいという治療法はないんですね。どれもが一長一短ある治療法のみが、現在あるということですから、ご自身の病期、あるいは年齢や健康状態、後遺症、これからどんな生き方をしたいんだということなどを十分考えてですね、選択をしていただきたいなと思います。まああの、悔いを残さない治療ということを、まず考えていっていただければなと。
お医者さんのほうから言われたのは、「ブラキセラピーの選択をするのも結構だけれども、それは欧米のデータしか、まだない。日本における実績(データ)が一つもないんですよ。欧米で良かったから、日本でも同じように全摘手術とデータが一致してくるかというと、必ずしもそうではない」というような、お話もありましたし、ブラキセラピーの場合、失敗したとき手術はできないんですね。もう前立腺が、いってみりゃボロボロになってしまっておりますから、手術はできません。そうすると、あと残されたのは、ホルモン治療だけが残されるというようなことも承知していましたけども。これはもう自分で選んだ治療法なんだから、これで負けた場合についてはもう仕方ないなと。自己責任なんだと、あきらめもつくな。ただし、自分が行いたくない治療で、後ほど重い後遺症に悩むとするならば、やはり一生悔やむだろうなというふうに考えましたので、割とその辺は割り切りました。先ほど話しましたように、完全な、一番いい治療法なんていうものはないわけですから、どれかを自分で選択していく。自分に合った選択をする。確信を持って選択をするということだと思います。
困ったんですよ。その主治医で、まあ一生懸命やっていただいているのは分かっているから、見つけていただいたしね、感謝の気持ちはあるんだけど、困ったなと。それでも、患者から言えないんですね。なかなかその替わ、主治医を替えたいということを申し上げることがなかなか言いにくくて。仕方がなしにどうしたかというと、えっと、その大学病院の、えっと、患者相談室というのがあって、もう意を決してそこに行きまして、ちょっとご相談したら、えっと、やっぱりでも、最終的にそこで動いてはくれなかったです。うん。間に入るようなことはやっぱし、相談室はしてくれないんですね。そこまでできないみたいで。
で、どうしたかっていうと、えーと何回か入院中にお世話になったその下の先生がいるんですね。その先生はね、とにかく話をよく聞く先生、聞いていただく先生だったんです。いつもにこにこしていてね。えっと、会うとお元気ですか、大丈夫ですかって、にこっと、まずね、笑顔から始まる先生だったんですよ。なので、ちょっとお若い先生なんですけども、その先生にある日ね、お願いに行きました。実は先輩の先生だと思うんですけど。自分としては、お話ししづらいと。ぜひ、先生に主治医をお願いしたいと言ったらね、先生ね、やっぱりね、あの、なかなかね、大変な役回りが回ってきたなと思ったんでしょうけど、でもね、最終的に「分かりました。じゃあ、私のほうから先輩のほうにお話ししましょう」ということで、その先生が受けてくださって、えっと替わっていただきました。
で、すごくフィーリングがやっぱり合いますし、お話を聞いていただけるし、そういったことはね、えっと、必要なことだというふうに思います。やっぱりえっと、自分の治療法、お話を聞いてくださる先生を選ぶということがとても大切なことだというふうに思います。
ところが、このブラキセラピーというのは、実は、あの、K病院ではやっていない治療法で、北海道ではB病院(がん専門病院)ただ1ヶ所しかやっていないという治療ですから、結果的に、このK病院でお世話になった先生たちの治療を拒否するということになるわけなんですけれども。まあ、あの、先生のほうからは、事前に、告知の折にですね、「私たちがしっかり支えていく」というお話と同時に、「あなたの希望する形でもって治療は進めたいと思っている」というお話と同時に、「もし転院の希望があれば、遠慮なく言ってもらいたい」という話もありましたので、まあ、あの、言っていいだろうなということで、あの、お願いをいたしました。
お医者さんのほうは、もうただちに私の意思が固いと見れば、いろいろ作業を進めていただきまして、まあ、「○(地名)へまた出てくるのは大変でしょうから、まあ、今日中に全部、用意しましょう」ということを言っていただきまして、何の屈託もなく、あの、転院の準備をしてくださいました。
転院の準備をしながら、「この次に行くあなたの病院は、立派なスタッフがいるんで、安心して推薦できますよ」と。それと、「あなたの希望している治療も、恐らく私の見立てではそちらで受けることができますから頑張ってください」。本当に、あの、親切な形でですね、送り出していただいた。ですから、あまりこう、病院に対してこう、心配したり、遠慮したりするのではなくて、もうきちっと話し合うことによって、道は開かれるというような感じ方を強く受けました。
その若い先生は「何の要因によって、(病院を)替えられましたか」ということを聞かれました。「ああ、よかったです。もう言いにくいことですけど、聞かれましたんで申し上げます」と。で、その一つの要因は、先ほど申し上げましたように、手術日をぽっと変えられた。お医者様にとっては、まあ、軽いことかもしれませんけども、患者にとっては、ずっとそれでいろいろ準備とか、心構えもあるわけですから、全然その、忙しいその著名な先生に連絡をいただきたいとは思いませんが、やはり病院から何らかの連絡があってしかるべきだ。二つ目は、3日から27日、なぜそういうふうになるんでしょうか。で、まあ、三つ、3点目としましては、先生…そこの先生にいろいろお世話になりましたが、で、いろんな手術の方法をお聞きしましたが、私の病状と合わせた診察というものは1回もいただけませんでした。すなわち、「今、この病状でしたら、選択肢としては、これがまあ、比較的適当じゃございませんですか」という言葉を私は期待しておりましたが、そうではなしに、「たくさんの治療法と選択肢があります」と。「それを選択するのは患者様ご自身です」。それはそうかもしれませんが、患者がそんなことを選択したとしても、それが今までの経験値、あるいはこれからしようとされてることと一致してるのかどうかということが分からないじゃないですか。まあ「このような3点から、僕は、あの、(近畿地方の病院に)、えー、替えさせていただきました。いろいろお世話になりましたが」というような、あー、話をさしていただいた次第です。
とりあえず、まあ念のためいうことで血液検査、血液検査もね、あの、2回目でしたね、やっていただいたのは。2回目で念のためにしよういうことで血液検査もやっていただいたわけですけれども、それで血液検査の結果が判明しましたのはね、1週間後ほどしまして、私のほうから気になってですね、そのときたまたま足が痛かったので、同じ病院の整形外科を受診して、まあ、同じ病院にいるんだからということで泌尿器科にこちらで自主的に回って結果を聞きに行ったわけなんです。
で、そうしましたら、先生は、データをずっとその場でパソコンで見られてですね、初めて気が付かれたわけなんですよね。それでそのデータというのを、私の場合は147という数値だったんです。で、一般のこういう検査の場合は、大体4~10がグレーゾーンと言われてますんで、まあ10超えたらまあほとんど、一応まあ検査の対象ということになるんですけれども、147といいましたら、結構とんでもない数字だったんですけれども、それでもですね、初めの泌尿器科の先生は、ご自分で血液検査しておきながら、そのフォローなしでほったらかしだったわけですよね。で、こちらから聞きに行って初めて気が付かれたと。で、気が付かれたんだけれども、その場で自分もちょっと、その、照れくさいというのもあるんかですね、えー、詳しい説明何もないわけですわ。で、147だから、あと、ほかの検査もいろいろしてみるというようなことで、その場でもまだはっきり、あなたは前立腺がんだというのは宣言していただけなかったと。まあ、こちらが後帰って、自分で調べ出して自然に分かったということですよね。自然に自分で先に分かってから後で先生の話を聞くというそういう順序になってしまったわけです。だから、まあ、一番最初受けた泌尿器科というのは、やはりちょっと、そういう初めの手順が非常に不自然というかどうも不納得だったもので、ずっとちょっとその先生にお世話になるというのは自分では不安だなと思い続けていたんですよね。
で、先生が代わっていくうちに、「あとこの薬3年ですよ」と、みたいなことをね、あの、期間限定みたいなことを言われたから、ちょっと慌てたなという感じだったんですね。
ええ、そんなこと言う先生は嫌やなという気がしたんですね。で、こんなこと言わんでもええことちゃうかなというのは自分にもあったんですよ。それで効かなくなったら勝手に薬変えたらええ話で、前もって3年も先のことをね、あのー、それは3年うっとおしいですやん、あとなんぼしかないでみたいな思うのもね、うっとおしいですから、そやから、もうそこの病院は嫌やなと、その先生は嫌やなと思ったんですね。