投稿者「dipex-j」のアーカイブ

前立腺がんの語り

自分なりに担当医を選んで受診したのに、実際に生検を受けるときになって、医師が替ってしまい非常に驚き、病院に対する不信を感じた

それで、実際に生検を受けるときに、あのー、9月の25日の日ですか。ちょうど日曜日なんですけれども、月曜日に生検を受けるっていうことで、日曜日に入院をしたんです。で、入院をしたその日に、あの…まあ、先生をこちらなりに、一応、まあ、専門医は、この病院のこの先生が専門医だなというふうに思ったもんですから、それで最初の診察はその先生が外来に出られる日を選んで診察を受けたんですけれども、実際に、その、「私が主治医ですよ」っていうふうに、私が入院をした、生検をするために入院をした日の夜、私のところへあいさつに見えた先生が、あの、この先生がやってくださるだろうなと思ってた先生じゃなかったわけですね。で、あの、生検の予約も、それから、生検の、うーん、注意事項もいただいた先生がサインを、あの、最初に診察をしていただいた先生がサインをしていただいてるんですけれども。だから、てっきりその先生がやってくださるもんだとばっか思ってたのが、えー、入院をしてその日の夜に、あの「私が一応、担当をします」っていうふうにお見えになった先生と違ってたもんだから、大変驚きましてね。非常に驚いたですね、それは。
それでまあ、どういうことなんだろうかなと思って、まあ、あの、もう、「僕はもう検査をやめて、うちに帰るよ」っていうようなことを、まあちょっと言いましてね。はい。でも、それもなだめられ、説得されて、で、まあ不承不承、承知したんですが。
それの関係があるのかないのか、その日の夜、あの、脳出血しましてね。大体、私って血圧が、あの、非常に低いんですよ。90……。あの、高いほうで90、低いほうですと30台ぐらいの非常に低い、まあ、低血圧なんですけどね。それがその日、130、140近かったもんだから、え?いいんかな?と思ってたら、どういうわけか夜中にこう、むかむかっとして、めまいがして。で、次の日の朝、すぐにその話をして、で、今度、脳外科の先生が見えましてね。すぐCT撮ろうっていうことで、もうCTを撮ったんですよ。したら、脳出血してるっていうことで、この生検のために入院してたのが、今度、脳出血の治療っていうふうに変わりましてね。10日間ぐらいですか、絶対安静でしてまして。それで、まあ、ある程度落ち着いてから、あのー、まあ、生検、大丈夫だろうっていうことで、まあ、生検は受けました。
で、まあ、そういった経過もありましてね。ちょっとこう、いいのかなあ?という気持ちがね、こう、その病院に対する、まあ、不信みたいなものが出てきましたね。

前立腺がんの語り

手術が上手いだけでなく、質問にもちゃんと応えてくれる人を医者だと思っている。患者や家族がほっとできるコミュニケーションが必要だ

だから、何ちゅうかな、これ、わたしなりに考えるのは、医師…医者っちゅうのは、手術がうまいだけじゃなくて、うまいのがもちろんいいんですけれど、やっぱり、患者と家族に対してのそのフォロー、説明。それがやっぱりうまくいかんと、患者がやっぱり安心しなきゃやっぱり。
やっぱり、ある程度ちゃんと説明して、こう何というか、わたしも、いろいろ勉強するから質問する、(それに医師が)応えてくれる。「こうだこうだ」家族も自分をもって、入院から…手術から入院から。今まで、そういう人たち。今、合っているから、合っているというか、今の(病院の)人たちが良いから、そしたら、あれですけど。やっぱり、そういうのが、医者、お医者さんだなと内心思いますね。患者との、このコミュニケーション。家族とのコミュニケーション。そう、うちの家内もしょっちゅう行ってね、いろいろ傍にもいて、わあわあやるんですよ。だけど、わたしも、こういう人間だから、ぱくぱく質問したり、向こうも、教えてくれたりしているのがね。そしたら、やっぱり、患者としても、がん患者としても、心がほっ・・・とするんですよね、やっぱりこう、「ああそうか」とこう、「うーっ」とくよくよしないであれするんですよね。ええ、それが、わたしの今の考えなんですよね。病院とかそういうのは、やっぱり、一つでなくて自分で「あっ」と思ったら違う病院行って、こうあれ(転院)したほうがいいよということをね、みんなに、まあ、自分なりにね、言ってるんですけど。

前立腺がんの語り

自分に一番合う治療法を、専門的に優しく教えてくれたことが、最終的にこの医師に全てを預けようと決断する要素になったと思う

それから、もう一つ、私の友人の先生から言われましたのは、「やっぱり、その外科医との相性というのも非常に大切や」と。まあその、「なんぼ腕がよくても、やっぱりずっと長いこと付き合う上において、外科医との相性があるからな」と、えー、いうことを言われましたので。
まあその、一番最初の先生は私の友人から紹介いただいた先生だったもんですから、その人をやめて、で、えー、その先生に変えるということには、まあその、何ですか。日本的なそういう習慣からはちょっと離れますので、私自身も若干の、不安はあったんですけど。まあ、あのー、その点は快く納得していただけましたし、まあ、第一番の、要因は、その先生に、えー、自分のすべてをこうお任せすると、預けると、まあ、そういう気持ちになれた。まあ、それはその先生の表情と、先生から、まあ一番決め手になったのは、「やっぱり○さんの場合は腹腔鏡が一番でしょうね」ということを、まあ、優しく、あるいは専門的に言ってくださったことが、やっぱりもう最終決断をする一つの要素になりましたですね。

前立腺がんの語り

「根治の可能性が半分ある」と言われ、結果はどうなるか分からないが、ここでお世話になろう、頑張ってやろうという気になった

で、そのときにですね、まあ、私、まあ、一番いろいろ話お聞きして、ああ、こんなに違ってもいいのかなというぐあいに思ったのがですね、セカンド・オピニオンでは、あなたの、まあ、5年生存率2割だというようなことを言われて、そこの京都のほうの病院では、いろいろな説明聞いて、最後に、まあ、これ、治癒の可能性ですね、根治の可能性がまだ半分ぐらい残ってますよと、だから、しょげないでやりなさいと。半分治ると言われたらですね、私はまあ、多分もう私、5年で2割いうたら、早けりゃ2~3年後には死んでるんじゃないかと自分では思うてましたものでね。うーん、非常にあの、それだけでもう、まあ、有頂天というほどじゃないでしょうけれども、ああ、こんなに違うことがあるんかなというぐあいに感じましたですね。で、まあ、説明のときも、両方やっぱり先生が、泌尿器科の先生以外に放射線の先生も全部出てきていただいて、で、照射方法の説明も全部詳しくいただいて、まあそういうことで、結局、まあ、そこでお世話になろうというふうに。で、まあ、説明していただいた先生も皆さん非常に丁寧にお話しいただいたこともあったし。まあ、そういうことなら、結果、まあ、いいか悪いかいうのは、これはやってみないと仕方ないことなんですけれどもね。まあ、どちらにしても、患者の立場としては、もう自分がどこで世話になるかいうのは、まあほとんど賭けに近いようなことなんでしょうけど、まあ、そこで頑張ってやろうという気になって、その後そこでお世話になったと。

前立腺がんの語り

専門の医師がいること、持病も診てもらえること、ウォシュレット設備があることなど、入院時に快適に過ごせるような総合病院を探した(音声のみ)

で、まあ、どういうことで病院を選んだのかなぁっていうこと、今でも、あのー、ちょっと思い出せないんですけれども、あの、まあ、大きい病院っていうのか、あのー、専門の先生のおみえになるような病院はいいだろうということだとか、それからなるだけ同じような病気の患者さんをたくさん診てみえるような病院がいいんじゃなかろうかなとか、それからもしかして私をいろいろと、また、あのー、後で申し上げますけれども、あの、いわゆる持病っていうものがいろいろとあるもんですから、だから、その病院で、ついでにっていっちゃなんですけども、あの、悪いところを診てもらえるような、いわゆる、まあ、総合病院的なものがいいだろうだとか。それから、あの、まあ、もしかして実際に、まあ、黒になって、それで入院だとか治療だっていうことになってくると、ある程度、長期の入院も覚悟しなきゃいけないだろうっていうことで、やはりある程度、その、快適性ですね、病院の。そういったものも、まあ、考えました。
で、実は私、若いころに痔の手術をしてたもんですから、排便に非常に難儀するんですよ。だもんだから、あのー、トイレについては、こうウォシュレットで、まあ、しかも、その、ドライ機能が付いたそういうものが欲しいなっていう、まあ、そういったようなこともやりました。それから、あのー、まあ、インターネットを非常にこう、あのー、常時使ってるもんですから、できたら接続環境があるような病院がないかなといったようなことですね。
だから、何が主要なのか、もっとこう、シリアスな状態が最初から分かってれば、あのー、もっとこう、そういう方面で探したかも分かんないですけれども、まだそういう通知を受けたときには、あのー、非常に元気で、もうぴんぴんしてたもんですからね、だから、そういったこうふざけたような面も、ある程度、考慮しながら、病院を選んで、で、病院にまあ行ったと、まあ、そういったことなんですよ。

前立腺がんの語り

腹腔鏡手術は新しい治療法なので、手術件数の多い医師にお世話になりたいと思い、名前だけ紹介してもらって半ば飛び込みで受診した

最終的に、えー、選択しましたのは、えー、腹腔鏡で、総合病院で、えー、受けようと。まあ、あのー、そのときにはですね、うーん、あまり腹腔鏡での手術っていうのは、日本ではまだ、その、初歩段階であるということで、私も周りの友人ではあまり、そういう選択をした方はいなかったですね。
で、まあその前に、日本でロボットの手術を、受けたいなと。…ということも検討したんですが、日本では東京と九州、2ヶ所しか、ないようですし、まあ、あの東京の場合でも、手術件数がそんなに多くないようなことも、インターネット等で、分かりましたので、「これは機械がよくっても、ちょっと避けたほうがいいよな」と。で、まあ、腹腔鏡の手術ということで。
まあ、腹腔鏡は、先ほど申しましたように非常に新しい治療法でありますので、やっぱり、そのー、手術件数の多いドクターに、えー、お世話になりたいということで、先ほど申しました放射線の、先生から、名前だけを、紹介していただきました先生のところへ、まあ、半ば飛び込み的に、訪問を、診断を受けに行きました。

前立腺がんの語り

インターネットで調べてみて、病院ごとに手術実施件数が開示されていることが分かったので、素人考えだが数を多くこなしている病院を選んだ

それでね、その、ちょうど2年ぐらい前ですかね、その頃、あの、大きい病院のね、全国の、あの、情報を開示するようなことになりましたよね。それ、インターネット調べて分かったんですよ。それはもう、診療科別に、月別に1年間にどれだけの手術をしたかというのが、全部分かるんですよ。で、県内でも7ヶ所か8ヶ所、全部あったですね。だから、手術、小線源、あの、カプセル埋めるあれなんかは、医大しかできない。あと、広島と岡山でしかできない、いうふうなこともありますし。
それで、病院もやっぱり調べてみましたよ。調べてみると、まあ、素人ですからね、手術の、年間の手術をして、前立腺がんの手術をした件数が出てますからね。素人考えで、外科手術というのは、数をたくさんしたほうが、やはり、あの、うまくいくだろうという判断ですよね。それで、少ないとこ落としていったんです。それで、違うまた東のほうのね、病院に。ま、そのときにもう一つはね、あの、ま、若いお医者さん勉強もせないけん、してもらわないけんのですが、あんまり、ねえ(笑)、試験台にされても困るので(笑)、よってたかって、勉強のために、まあ、必要なんでしょうけどね。それも嫌だなと思って、選んだんですね、決めました。

前立腺がんの語り

告知の質が問題のように思う。自分は担当医からきちんと言ってもらえたが、そうでない人もいると聞く。患者の立場に立って対応して欲しい

告知の質が問題だというふうに思われてなりません。幸い私の場合については、先ほどお話ししましたように、担当医のほうから「私が最後まであなたと付き合う。あなたを支えるスタッフがいる。そして、どんなことでも言ってもらいたい。遠慮なく言ってもらいたい。そういうのが患者の特権ですから。もしセカンド・オピニオンの希望があるなら、それも協力しますし、転院する場合があるなら、そういう希望があるとしたならば、それでも協力いたします」というお話をきちっといただけましたけれども、全くそうでない、電話で「あなたはがんですよ」ということを告げられたり、聞くところによりますと、「もう余命三カ月(かつき)だよ」という話を直接本人に、しかも本人一人のときに言われたなんていう話も聞いたことがあります。告知の意味はそういうことではないはずなので、いくら忙しくても、どんな場面にあったとしても、やはり告知される側の立場に立った、医療側の対応ということが絶対必要だと思います。まあこれだけは、つらい思いをした患者として、ぜひお医者さんたちにお願いをしたいなというふうに思っております。

前立腺がんの語り

病名はともかく、余命の告知は果たして行う必要があるのか疑問。必要のない余命告知は患者の寿命を縮めると思う

必要もない余命告知というのか、お医者さんのリスクヘッジなんでしょうけども、そういうことをね、おっしゃるってこと自体が果たしていいのかなと、僕自身は非常にそこに問題を感じますね。現実にやはり、余命3ヶ月とか、半年とかって言われる方々も、そういう患者さんもたくさん私、存じ上げていますけども。やはり元気にもう4年も5年も生きてらっしゃる方、たくさんいらっしゃるわけですし。医者の一つの、リスクヘッジか何か分かりませんけども、そういうところでね、簡単に余命告知をすると。まあ、病名告知はね、これはしようがないでしょうけども、余命告知まで果たしてする必要があるのかというのが、今日に至るまで私の大きな疑問の一つですね。ええ。
余命告知っていうのはね、そう積極的にするものではないと思いますね。患者さん自身の意思がそこにあるんならばね、それはそれでいいと思いますけども。僕は余命告知という、ずっといろんな患者さん見てきましたけども、余命告知ということで宣告されて、自分自身の寿命を短くなさる方も結構たくさんいらっしゃいますよね。そういう方見ていますとね、余命告知を受けた患者さんが救われる治療を今の医療は提供しているのかという問題を非常に大きく感じますね。ええ。

前立腺がんの語り

がんと診断されたとき、5年生存率70%と言われたので何故そんなことを言われなきゃならないのか?と返し、その病院と縁を切った

がんという宣告を受けたときにはですね、うろたえたというか、「何で私が」というのと同時に、そのときに大学病院の先生が、余命ということをね、告知するときにですね、余命という言葉を言いましてですね、じゃ、このままでいったら、あなたは、まあ5年後に生きている確率は、多分70パーセントぐらいの話をしていましたが、(そう)いうふうなことを言われましたけども、何であなたにそんなこと言われなきゃなんないのかというのは思いましたですね。別にそれは決まったものでもないし、しかも70パーセント生きているとかですね、「そういうことを何であなたに私は言われるんですか?」ということを言ったこともあるし、そのとき、その思いがあって、私はそのときに、その主治医…大学の主治医、助教授でしたけどもね、「主治医は私だから、先生、もういい加減にしてくれ」と。「自分で判断する」と言ったのを今でも覚えてますね。それ以後、その病院とは縁切りましたけどもね。