診断時:74歳
インタビュー時:81歳(2008年5月)

北関東地方在住。2001年に前立腺がんが全身に転移しており、余命半年と診断された。このとき、PSAが600。すぐにホルモン療法(注射)を開始。同時に身辺整理などを始めたが、徐々にPSAが下降し、ホルモン療法(注射)を続けながら、7年が経過し、現在に至る。妻と二人暮らし。息子が二人いる。元教員で、退職後は障害者施設の設立、地域で社会活動に取り組んできた。

プロフィール詳細

T.Aさんは、北関東地方在住で妻と二人暮らし。息子が二人いる。元教員で、退職後は障害者施設を設立したり、地域に根差したさまざまな社会活動に取り組んできた。20代で結核に罹患した経験がある。2001年74歳の時、いつもの散歩道なのに体の疲れを感じ、妻に勧められて市のミニドックを受けた。そこで異常を指摘され、総合病院に受診。前立腺がんで、全身に転移している進行がんとの診断を受け、余命半年と言われた。このとき、PSAが600。もう手術や放射線療法という選択肢はなく、すぐにホルモン療法(注射)を開始した。

医師から告知されたとき、毅然とふるまっていたつもりだが、内心は「いよいよ来たか」と死を意識してショックを受けた。そして、自分の生きてきた足跡を消すような気持ちで、身辺整理などを始めた。

しかし、治療が功を奏して、PSAは9ヵ月後に1.54まで下がり、その後、横ばい状態となった。自覚的にも、数か月経っても弱る気配がなかったため、身辺整理は途中で終わっている。

7年経って、PSAは少しずつ上昇傾向となり、2008年5月に4.47となった。医師から治療の可能性として抗がん剤もあると説明されたが、入院するのはいやだし、受ける気はない。違う種類のホルモン注射に変えて様子を見ることにした。

現在、骨転移の痛みがあるのは腰とひざで、その他、夜間5~6回の頻尿も見られている。痛みがあったり、体に不具合が生じると、悪くなったんじゃないか、どこかへ別のところに転移しているんじゃないかと、不安が胸をよぎることもある。

しかし、病気になってから読んだがんに関する多くの書籍に影響を受けて、病気は医師だけに任せるのではなく、「自分で病気を治す」という気持ちが大事だと考えるようになった。それからは、空気、水、食べ物、軽い運動、休養、ストレスをなくすことに取り組む毎日だ。水素水、玄米菜食、鼻うがい、体操、早寝早起き、深呼吸、字を書く、乾布摩擦、座禅など、いろいろと良いと思われることに取り組んでおり、いつかがんがなくなることを願っている。

妻も最近、がんとなり、二人で体に良い生活に心がけている。20代で長期療養を余儀なくされた結核の体験に加え、がんになったことで、生きていることへの感謝、すべてに感謝する気持ちが強くなった。

私は: です。

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