シンシア
事故当時:56歳
インタビュー時:64歳
大学管理者(現在は引退)、離婚し、1子あり(事故で死亡)。26歳の娘が自転車に乗っていて、大型トラックに轢かれて死亡。審問の評決は "不慮の死"とされ、運転手は無罪となった。この事故でシンシアは打ちのめされたが、今は交通事故防止のキャンペーンを行っている。
語りの内容
その年のクリスマスは情報を待つばかり、次の年は娘がいない最初のクリスマス、地獄よ。いまはクリスマスごととは一切関係をもちたくないわ。完全に無視よ。知りたくもないわ。友人たちは気を利かせて、“楽しい冬至を ”と書いたカードを送ってくるの。クリスマスのクの字もカードには書かれていないわ。
ほんとに。
気を使ってくれてるのよ。検死尋問はその一月の終わりだったわ。無惨で無惨でたまらなかったわ。
そして特別な日、あなたはクリスマスは最悪だといっていたわね。
クリスマスなんてものはもう知らないわ、かかわりたくもないわ。
他の記念日、誕生日なんかも、やはりつらいかしら?
つらいわ。でもその日は大学の記念樹を見に行くの。記念樹は良く育っているのよ。白樺の木でとても大きくなったわ。ウサギが時々現れるのよ。昔娘ちいっしょにウサギを飼っていたので、なんか奇遇だけれども、そこは娘の居場所というきがするの。だから誕生日にはそこへ行くことにしているの。そして命日には何か娘とつながるようなことをするの。記念樹にいくこともあるわ。他になにかすることもあるのよ。たとえば、RoadPeaceのサポーターの一人がプロのミュージシャンで、時々私たちのためにコンサートをひらいてくれるの、募金のために。そして今年は、まったく偶然なんだったけれど、娘の命日だったの。私とは全然関係ないのよ、彼は娘の死んだ日もしらないんだから。でも今年はそれがが命日だったので、それにでかけたの。
すばらしいわ。
ええ、娘のことを思うとね。
インタビュー02
- シンシアは、2人の警察官から娘が亡くなったことを告げられた。あまりのショック状態で、警察官の言葉を信じることができなかった。
- 当初は、シンシアは自殺を考えたり、怒りを覚えたりしていた。上手くいかなかったのはすべて自分の責任だと思い、何が何だかわけもわからなくなっていた。しかし、次第に自分の怒りの感情を別のところへ向けていった。
- なぜ娘の遺体への面会が許可されなかったのか、検死審問の後になって、シンシアはその理由を理解することができた。しかし、できることなら死亡直後に理由説明をしてもらいたかったと考える。
- シンシアが抱く怒りと娘や他の人々のために法の公正さを求め闘うという決意は、彼女自身を完全に変えることとなった。シンシアは自分は違う人間になったと言う。
- シンシアは、娘が亡くなって以来、クリスマスには何もしたくないそうです。命日の6月には、毎回なにか特別なことしています。
- シンシアの娘は交通事故で亡くなった。外傷死で家族を失った遺族は、質問をしたり、情報を要求したり、アドバイスを必要とすることもあり得ると、彼女は語っている。