診断時:60歳
インタビュー時:68歳(2012年10月)

首都圏在住。そば店を経営しており、地域の検診と組合の検診のふたつを受けてきた。結果は陽性の時もあれば陰性の時もあった。若い頃から痔を持っていたので、陽性の時は痔のせいだと思ってきた。ある時、市販の薬を使っても出血がとまらず、内視鏡検査を受けたところ非常に大きながんがみつかった。出血以外自覚症状は全くなかったので驚いたが、幸い転移はなかった。術後5年たって「卒業」のお墨付きをもらったが、心配なのでずっと診てもらいたいと思っている。

プロフィール詳細

名取さん(仮名)は若い頃から痔があったので、肛門からの出血には慣れていた。便潜血検査は地域の検診と組合の検診のふたつを受けており、地域の検診は2回採便、組合の方は1回採便という方式だった。地域検診の検便はオプションなので時々抜かすことはあったが、基本的には毎年受けており、結果は陽性の時もあれば陰性の時もあった。痔からの出血で結果が左右されていると思っていたので、精密検査は受けなかった。

ところが、8年前に市販の薬をひと箱使っても出血が止まらないことがあった。同業者の寄り合いで仲間に話したところ、「痔かもしれないけど、がんかもしれない」と言われ病院を紹介された。そこで内視鏡検査をしたところ、大きながんが発見され途中でカメラが通らなくなった。自分も映像を見ていたが、鉛筆1本分くらいの隙間しかなく、肉の塊に囲まれていた。担当医師の出身校である大学病院を紹介され、すぐに行って大腸がんだと診断された。手術までの1週間はとても辛かった。映像で見た肉の塊はいかにも悪性という感じだったし非常に大きかった。60歳になったら死んでも良いと言ってきたが、覚悟を決めることはできなかった。

かなり進行しているとみられた大きながんは、手術で取り除くことができ幸いに転移はなかった。転移がないとわかった段階でステージは2になった。こういったケースは非常に稀なのか、医師に摘出したがんを標本として提供してほしいと頼まれ承諾した。今でも大学病院にアルコール漬けになって置かれているだろう。7年モノと言われたがんだが、思い返してみれば7年前の検診で陽性になっており、医師に内視鏡検査を勧められたにも関わらず受検しなかった。後でがんのことを話したらとても怒られたが、その時も出血は痔のためだと思っていた。

けれども、病院に行かなかった理由がすべて痔だという思い込みのせいかといえば、病院に行って大きな病気を発見されるのが怖かったということもあると思う。4人きょうだいだが、自分も含めて全員がんになっている。幸い全員いまでも元気だが、血のつながったいとこは大腸がんで自分よりも早く亡くなってしまった。転移があったということだった。自分が転移しなかったのは、妻が作ってくれた醤油漬けのにんにくを毎日食べていたせいかもしれない。本当に運が良かったと思っている。

ただ、がんになって小さい時に罹ったポリオが再発した(ポリオ後後遺症:ポスト・ポリオ・シンドロームPPS)。もちろん再発しない人もいるのだが、自分は今の時点で左半身がマヒしてきたし、これからも進行するだろう。がんの再発よりもそちらの方が心配だ。

がんについては、手術から5年たって医師から「卒業」のお墨付きをもらったが、放り出されたようで不安である。定期検診で内視鏡検査をした際に小さなポリープが見つかり切除したことも何度かあったので、自分で予約して毎年内視鏡検査を受けるようにしている。友達にも、少しでもおかしいと思ったら内視鏡検査を受けるように勧めている。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧