投稿者「taguchi」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

県外の病院に通うための交通費や宿泊費の負担も大きい。自分の状況を見てその都度対応してくれるのはそこの病院しかないので必要なお金だと思っている

―― 経済状態にあの、大変だっていうことは今のところは?

そうですね、医療費に関しては。ただあの…、博多まで行きますので、交通費とかはかかってますね。はい、そうですね。

―― 交通費入れると、大体、月に?

うんと、その博多まではあの、2カ月に一遍なので、その際はホテルと、えーと、交通費で5万ぐらいはかかってると思います。はい。

―― なんか見えないところで、あの、やはりお金は、かかるっていうことですね。

そうですね。…でも、今のところそうですね、いつも通っているリハビリ科のお医者さまとかは、あのもう全てやったもんねっていう感じで、お薬に関しても今、みんな一番効果が出てるのはリリカだと思うんですけど、それもやりましたし。もう今ほかに新しい手立てがないので。あの、私の今の状況を見て、あの、その都度対応してくださるのは、そのペインクリニックのお医者さまとあの、(フィジカル)コンディショニングしてくれる理学療法士の先生なので、うん、それに関してはちょっと今、費用かかっても本当に必要なお金だなって思ってます。はい。

慢性の痛みの語り

事故後の保険会社の人とのやりとりで精神的に追い詰められた。痛み止めや鍼灸などにかかるお金は慰謝料では足りない

2012年の5月に、まあだいぶ良くなってきたところにまた、自転車に乗っていたら(笑)車にぶつかって、2回目の交通事故に遭ってしまって。で、その、うーん…、まあその事故もやっぱり骨折とかはなかったんですが、2回目の事故ということで今度は病院でも、「どこが1回目の事故からのもので、どこが2回目からの痛みかわからないから」っていう言われ方をしたり、保険会社さんから、私が、「本当は痛くないのに、保険料(笑)、なんか目当てにそうやって、痛い、痛いって言ってるんじゃないか」っていうことを言われたりもして、やっぱりそれで精神的に結構追い詰められたりしたんですけど。

保険会社さんが、自分が保険会社のお客さんではないので、要するに相手方の保険会社なので、私は別に保険会社にとってお客さんじゃないから、その対応が本当になんか、冷たいっていうのと。結構まあ私が、そのとき30、31だったので、まあちょっとその、電話のやりとりだけだったんですけど、結構なめられてるっていうか、そういう感じがすごくして。うーん。なんかちょっとその、怖い感じの担当者だったので、まず電話をかけるだけでもすごくドキドキするし。そうですね。なんかそういうのも結構精神的に影響がありました。なんか自分が悪くない、その事故自体も自分は悪くないと思っていたし、まあ警察からもそう言われてたし。で、そのやりとりを、保険会社とやりとりをしなきゃいけないのも、別に自分が悪いことをしてるわけでもないのに、うん、なんか、「いや、本当は私が悪いのかな」みたいな、ちょっと自分で自分を追い詰めてしまうようなこともありました。

―― 今もその痛みに関しての治療費っていうのは、保険会社、向こうの保険会社から出て、こちらからは特に支払うということはなくなってたりするんですか。

いえ、もう示談が済んでいるので、ある程度のまあ治療費というか、慰謝料をもらって終了していて、あとはもう全部自分で払っているので。正直、その痛み止めもだんだん、なんか、種類が変わってきたりして、こう、痛み止めのお金も増えてきたりとかして。で、整形外科とかペインクリニックで補えないところを鍼灸院とかに行ったりすると、結構まあ、その痛みに対して支払っている、医療費は大きいなとは思っていて、その保障で、もらったのでは賄えてないと思いますし。うん。……なので、体の痛みだけじゃなく、経済的な痛みも(笑)もあるなと思います。

慢性の痛みの語り

東洋医学や精神科での自費診療で膨大にお金がかかり、生まれ育った家を売却するまでにいたり、一時期、親族との関係も悪化した

東洋医学は、鍼灸で、漢方と鍼灸とを通ったんですけれども、1回5,000円ぐらい、1週間に3回、10年間ぐらい通いました。なので、とても膨大にお金がかかりました。と同時にですね、精神科のほうの当時、保険の利かない先生にかかっていて、その先生も、なんと1回2万円だったんです。なので、本当に家が傾いてしまうぐらい。もう父も亡くなってからだったので、本当に最終的に私の母は家を売却しなければならなくなり、家族、親族、生まれ育った家なので、とても申し訳ないことをしたなと思っています。で、そのことで、一時期、親族から責められたこともあったんですが、でも母も、あの、私の治療費や、私を思って、まあ少しでも良くなればと思って、もう財産投げ打ってでも娘の病気が良くなればという思いだったということを知って、本当にありがたいと思いましたし。一度は、あの、親族のほうにね、母が一緒になってしまったことがあって、なんか「親族」対「私」みたいに、敵対関係みたいになった時期がちょっとだけあったんですけど、でも母のことだけはやっぱり最後まで信じて良かったなと今も思っています。

慢性の痛みの語り

自己負担は3割だが実際にはもっと多くの医療費がかかっている。高額な医療費をかけてまで自分に生きる価値があるのかと思った

今のお薬だと、月に1万5,000円ぐらいかかるので、年間18万ぐらいかかってるんですね。で、変な話、こんなにかかるっていうの、別に私の負担の話ではなくて、3割でこの金額っていうのは相当なお薬代を、私、使っているわけですよ。治療費って。そこまでして――これ本当に思ったんですけど――私なんかそこまでして、生きる価値があるんだろう(か)って本当に思ったんですよ。そのぐらいかかってます。だけれども、(保険で支払われている分も含めた)全体ではもっと、たくさんかかってるので。そんなことを考えたり。

それから、プラスいろいろな整体とか、いろいろ考えるとやっぱり月に3、4万はかかってると思いますね。だけども、これはもう、病気になって、その病気と共存していくためには仕方がないなって。なので、整体とか、漢方とかいろいろなものをやめたら、また、あの痛みが返ってくるかなと思うと、やっぱりそれはもう仕方ないですよね。はい。なので、もうそれはあきらめています。

慢性の痛みの語り

火災報知器が火事を知らせて鳴るのが正常な痛みだが、慢性痛の場合はそれが故障しちゃって鳴り続けている状態。そのことがわかると被害が小さく済む

慢性痛というのは、怪我は治っても痛いということなので、全部が全部とは言えませんけど、警告信号ではないので。もともと痛みというのは警告信号なので、例えば物に例えると、火災報知器が火事を知らせて鳴るのが正常な痛みなんですが、慢性痛の場合はそれが故障しちゃって鳴り続けている状態です。そのことがわかると被害が、少なくて済むんですけど。そのことを気がつかずに、例えばですね、消防車を呼んでしまう。水を掛けてしまう。そうすると被害が大きくなってしまうんですけど、それをやっている患者さん、結構多い。大騒ぎして、余計病気になっちゃう人がいるので、それは勉強して、「ああ、今これは痛いけど、何か起こっているわけじゃない。それ、それ以外の恐ろしいことが起こっているわけじゃない。ただ痛いだけ」とわかったときには…、あの、悪影響が随分減りますので。えー、それ、勉強するっていうのはとても大事なことかと思います。

慢性の痛みの語り

頚髄損傷後の痛みのメカニズムについては最近かなりわかってきた。慢性痛が起こるメカニズムの一つは脳の可塑性。痛み脳が出来上がってしまう

あまりこう、取り返しのつかないような治療に関しては、まあやめたほうが良いということを警告したいなという気持ちはあるんですけども。うん。ただ、一方で、まあ何も希望はないっていうことになってしまいますと、まあ生きてるの、つらくなっちゃいますから。痛みを抱えながら動けないんで…、もうつらくなっちゃいますんで。それからあの…、まず一番大きいのは痛みそのものっていう。頸椎損傷後に痛みが起こるっていうことのメカニズムが相当はっきりわかってきているので、まあもちろんまだまだですけども。これは気のせいでないっていうことのレベルでは、もう医学的にもわかってきているので、それは、あの、堂々と痛みと言えると。ただ、痛みはどこまでいっても主観ですから、どのぐらいの痛いかというような話になると、それはもうどう痛いかとか、それはもう主観でしかないわけですけど、その痛みが自発的に起こってしまう。つまり通常の痛みというと、どこかを怪我したり、どこかに何か問題があって炎症が起きたり、そしていわゆる、あの、侵害(受容)性の痛みっていうものが起きるというのが普通の痛みですよね。それに対しての、そうでない痛み。あの、今は、まあ神経障害性疼痛とか中枢(機能障害)性疼痛というようなものに分類されてるような慢性痛が、起こるメカニズムっていうのが、まあ大きく3つの方向でわかってきていますね。1つはその…脳の可塑性。まあ中枢の神経というのはもう1回できたら、もうそれ以後は20数歳まではある程度変化あるんですが、それ以後はもう変化しないって言われてきてたんですけども、実は脳のニューロンというのは意外とこう変化をしているということは、あの、はっきりわかってきたと。脳の可塑性がわかってきたっていうことが1つ。それによって、あの、痛みができ上がってしまう。痛み脳ができ上がってしまうとでも表現したらいいのかわかりませんが、そういうことは1つ。

慢性の痛みの語り

知らず知らずのうちにストレスが溜まり、ある朝、手が石のように硬く痛くなった。検査で異常なく、線維筋痛症の疑いと言われたが、生活が落ち着いても痛みはあるのはなぜか

痛みに最初に気がついたのが、2013年の1月ごろだったと思うんですけども、それまではその前、2、3年はかなり体調も良くて、その前インドに住んでたんですけれども、そのころヨガを始めて非常に体調も良かったし、バランスが取れていたんですけれども。日本に戻ってきて、まあいろいろ引っ越しも大変だったり、あと個人的にいろいろな問題を抱えていたので、自分でも知らず知らずのうちにストレスがたまってたんだと思うんですけれども、ある日ふと気がついたら両方の手が朝起きたら、あの、石のようにこわばって。硬いし、痛いし、「あれ、おかしいな」と思ったんですね。で、ちょうど体調がいい時期が続いていたので、こんな特別な病気でもないだろうし、まあ疲れがたまったかなぐらいに思ってたんですけれども、それがずっと続くような状態で。

ちょうど冬だったので、まあ手の痛みとか、こう痺れとか、あの、こわばりのようなものは、まあ寒さもあるのかなと思ってたんですけれども、まあひどいときは手だけじゃなくて、こう、じわ、ぞわぞわぞわと広がるような形で肘の辺りまで、ひどいときはもっと上のほうまで、こう、両方の手に必ず来るんですね。で、肘、あと膝あたりも似たような痛みが出ることがあって、一番ひどいのはいつも手で。ほかの箇所はあったりなかったりなんですけども、手だけはとにかく毎朝起きると必ず石のようになっているという、そういうふうにして始まりました。

(医師に線維筋痛症の疑いがあると言われた)その時点では、これだけストレスがあって、まあ心もこれだけ疲れてたら、体が疲れて当然だろうなというのは自分自身でもあったんです。でも、だから逆に、まあ1年、1年半して、まあその生活のストレスがなくなるわけではないし、いろいろ大変な時期は続いたけれども、一番ひどいときに比べれば少しは落ち着いてきたかな、少しはリラックスできる…ときも出てきたかなと思ったのに、それでも逆にその痛みとかこわばりが全く良くならないのは、じゃあ、なぜなんだろうって、それは思いましたね。だから、そういうストレスがたまったり、あの、心のほうも疲れていたから体も疲れていて、それは確実にその、この手の痛みはそれとも関係してるだろうなとは思うけれども、逆に、じゃあ、ちょっと、ちょっと自分の生活が落ち着いてきても、まだ痛みが(笑)全然良くならないというのは、ただ気持ちの問題だけではないのかもしれないなって、それは思います。

慢性の痛みの語り

線維筋痛症という病気は脳の機能障害そのものだと思う。自分は失敗したが、体に痛みが出たとき、早く治すこと、そしてストレスに気づいて対処することが大事

―― 線維筋痛症という病気自体は、ご自身はどのように理解されていらっしゃいますか。

うーん。あのね、脳の機能障害そのものやと思うんですね。あの、だから、脳っていうのはすごくそれだけ精密なところなんですね。だからこそ早い処置。あの、体に痛みが出たときに、その痛みが何なのか。で、検査したら、「あ、ここがちょっと、あの、数値が上がっていますね」とか言われたときは、そこを早く治す。で、そうでないときはストレスであったり、その身の回りで何か変化があったんじゃないかっていうことを早く気がついてほしいですね。で、それに対して、ぐずぐず、ぐずくずしているんじゃなくて、自分の好きなこととか、そういうことに、ぱっと目を向けてくださいっていうことを申し上げたい。私、それがちょっとできなくて…、あの、大失敗をしてしまったものですから。

慢性の痛みの語り

職場でストレスを感じていた頃、突き指をした。しっかり治さなかったので、痛みが脳の記憶に残ってしまい、肩から指先にかけて掴まれるような痛みが続いている

40歳ぐらいのときにちょっと職場で人間関係のストレスがありまして、ちょっといじめを受けたりとかしたんですね。そのときにちょうど眠れなくなって、で、お医者さんへ行きました。そのときに、「あ、これは不安障害ですね」ということで、「じゃあ、睡眠導入剤を飲んで、しっかり眠ってください」と言われたんですが、それでも眠れなかったんですね。そのときにちょうど家の中で突き指をしたんです。それをしっかり治さなかったということがまず原因にあって、その痛みがちょうど、こう、脳の記憶の奥底に残ってしまったということを、今、私、すごく反省しているんですね。

それから肩凝りが始まって、マッサージ屋さんだとか接骨院だとか、いろんなところへ行って揉みほぐしてもらったんですが、痛みが取れなくて。これは何かの病気じゃないかと思って、それから病院の梯子が始まるんですね。血液検査ですとかレントゲンとかMRIとか、いろいろな検査を受けたんですが、全く異常がないんです。で、ここの病院が最後だなと思ってあきらめかけて、その病院へ行ったところ、「あんた、今、悩み事あるんと違うか」って言われたんですね。それがピッタリだったんですね。悩み事をすごく抱えてて、それを発散してなかったんですね。ストレスをため込んで。「ちょうど肩の真ん中辺が痛いやろう」って言わはって、「そのとおりです」、「うん、悩み事が消えたらね、うん、痛みも治まると思うよ」って言わはって、「そうですか」って、まあそのときは帰っていって。それから、いろんなお薬、漢方薬ですとか試したんですが、全く効果がないんですね。痛み止めも試したんですが、全く効果がない。じゃあ、これはどうすべきかと、どんどん悩んで深みにはまって、で、線維筋痛症という診断を受けました。

―― 痛みが、こう出始めたときというのは、痛みはどんなような痛みだったんでしょうか。

そうですね。誰かが私の肩を思いっきり掴んでいるのではないだろうかというような、そんなふうな今まで経験したことのない痛みでした。

もう24時間と言ってもいいぐらい、絶えず痛みがどこかにあって。私の場合はというか、患者さん、それは一人一人によってどこが一番痛いかというのは違うと思うんですが、私の場合は特に肩が痛くて、あと腕が痛くて、さらにはこの指先、がすごくもう痛くてね。だから、ちょっと身の回りのことが、ちょっとできにくくて、それで今ちょっと落ち込んでます(笑)。

これもストレスを感じたときに、こう痛みがすごく増えてくるんですね。で、治まっているときは治まってはくれてはいるんですが、何でしょうね、こう、指の関節を、第1関節、第2関節あるとすれば、それを思いっきり掴まれてる、挟まれてるような、そんな鋭い痛みがあります。

例えばですが、明日ここに行かなくてはいけない。そこがすごく嫌な場所だった。明日この人に会わなくちゃいけない。その人があんまり好きじゃない人。そういうことを考えると痛みがもう増えて増えて、もうどうしようもなくなるんです。なので、この病気は、私が思うんですが、脳の機能障害。誤作動を起こしていると思うんですね。何かストレスを感じると痛みが増えるというか、肩凝りがひどくなるというか、そういう感じですね。

慢性の痛みの語り

頚髄損傷後、最初は知覚のない下肢に時折ビビッと電気が走るように痛んだ。しばらくして常時痛くなり、割れているガラスの上をザクザク歩いているような痛みになった

通常ですね、頸髄損傷後の疼痛、慢性疼痛というのは、まあ数週間から数カ月後に発症するっていうことも大体わかってきていることで。で、まあ80%ぐらい、その、その時期に発症するんですが、僕の場合は比較的珍しいケースで、最初は、えっと、時々こう、ビビッて走る。あの、何の理由もないのに、知覚はない下肢の部分。知覚が残っている部分はおよそ鎖骨より上の部分だけなんですけども、知覚のない下肢の部分はビビッと何か電気が走るように痛むのが時々起こってたんですね。で、そのまあ、放っておいておいたんですが、ああ、その後おそらく4年目ぐらいだったと思うんですけども、徐々に、ある種の場面では痛みが強くなっていくというふうなことがあって。

それから、まあ、もう少したってからは、もう常時痛い。常時痛いっていう状態が続いて。あの、表現で言うと、こう、割れた、粉々になって割れてるガラスの上をザクザク歩いているような感じであったりとか、こうなんか神経の中に直接、鉄の棒を突っ込まれたような感じであったりとか、そういうなんか非常に変わったタイプの、あまり経験したことのないタイプの痛みが常時続く。それが、ひどくて……。