―― その(障害者)認定を受けるきっかけとか、いつごろあの、どういうふうにされたのか。
それはね、あの、ケアマネージャーさんと連絡、まず取るんですね。私、脳内出血やって、退院した後はまだ脳が少しぼやんとしてて、複雑なこと考えるのが面倒くさかった。1人だったし、もう書類見るのも嫌で、もう一切何もしなかったんです。もう、だからケアマネージャーさんということすら知らなくて、いらしたんですけど。でも、(公的な支援は)全然ノータッチで、勝手に1人でリハビリにほかのところへ行ってたんですね。リハビリっていうより、まあ普通の整体の先生なんですけど、ちょっと面白い先生で、そこに行っちゃ、体操をやって。みんなでやってたんですけど、ふっと考えて、私、身障者じゃないかなと思って。身障者手帳をもらってない。あれ、もらったほうが絶対いいよっていう話を誰かに聞いたんです。じゃあ認定を受けなきゃもらえないから、じゃあって言ったら、あの、前の退院したときに何かもらった名刺があったからそこに電話したら、もうその方は辞められてて、で、「じゃあ、伺います」って言って、私の担当になるそのあれ、あの、ケアマネージャーさんが来てくださって。その方が、あなたの場合は絶対手帳出るから、それを認定するには市役所が、認定、あの、それを認めた、そういう認定する人がいるんですね。その人に来てもらって、あの、認定してもらってくださいって言われて日時が決まったんです。それで、あの、障害者手帳をもらえたので。
そうしたら障害者手帳を私の場合は、えっと、そのころはまだ2級、支援、支援2でしたけど。あの、タクシー券が1年に48枚出るんです。それから医療費が、市内の病院にかかったらもうほとんどかからない。何も知らなかったから、「はー、こういうことがあるんだ」と思って、ありがたいなと思って。で、よその、市外のところの病院にかかった場合は、そのときは払って、いったん。後で市に申請するんですね。
まあそんなこともいろいろやっぱり、ちょっとこう月日がたつと頭も少しずつすっきりしてきて、「ああ、こういうこともあるんだ」と思って。それで認定してもらったんですけど、
市の広報みたいのが月に1回出る。私、たまたま暇だったんで、こう、じーっと読んでたんです。そうしたら、ああ、私の場合もあの、介護、何ていうか、普通のお風呂に入れなくなったんで、お風呂だけ変えたんですよね。自分が入れるようなお風呂に、手すりも付けて、電話をして。そうしたら、そういう事業をすると50万だか60万以上かかった人は申請するとあの…、ここの何ていうんですか、固定資産税ですか、あれが次の年に半分になるとか。そんなのね、読まなきゃわかんないでしょう。読めない人はどうするんですか、忙しくて。で、電話して市役所に。そうしたらば、こんな書類そろえなさいって言って面倒くさかったですけど。うん。でも、しなきゃ、やっぱり損だわと思ってやりましたけど、暇だったんで。