投稿者「taguchi」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

常勤のときには、休職中でも傷病手当金でなんとか生活できたが、アルバイトを始めると体調次第で収入が減るので親からの仕送りが必要になる

経済的には、常勤で働いているときには問題なくて。えっと、仕事を辞めた直後っていうか、何ていったらいいですか。傷病手当金が、全く何ていうんですかね、もらっていた時期があって。傷病手当金をもらっている間も、割とそんなにぜいたくしなければ、医療費払って、まあ、遊びに行ったりとかはできないですけど、1人暮らしで生活はできたんですけど。

アルバイトとかをしてからのほうが逆にあの、体調悪いと、そのまま、あの、仕事の日数が少なくなってくるので、あの、かなり厳しい時期があって。そういうときは、もうなんか体調が悪くなって働けなくなってからは、母親から、仕送りというか、以前、私が貸していたものを返してくれるっていう形で親から経済的な援助を受けてやっていて。で、そうですね、それでその繰り返しですね。

常勤でまた働ければ特に問題なく。働けなくなって傷病手当金をもらって。で、傷病手当金もなんか何年かの間に同じ疾病だと出なくなっちゃうので、2011年からは結局、傷病手当金が出るような状態ではなくなってしまったので、そこからは自分の、こう、収入がないので、完全に家族に経済的なところは依存するようになりました。

慢性の痛みの語り

線維筋痛症は人口の0.1%未満という指定難病の要件に合わず、障害者総合支援法の対象疾患にもなっていないため制度の谷間にあり、公的支援制度がなかなか活用できない

現在、線維筋痛症につきましては、今現在、難病法というものがありますが、難病法というのは指定難病、指定難病にという形で国のほうでは定義されています。難病の指定難病というのが、当時56疾患が、現在は110疾患…、306疾患へと増えておりますが、指定難病になる上ではどうしても(人口の)0.1%未満という定義があります。0.1%未満というのが大体18万人前後という定義とされています。その中に入らない、えー、疾患が入らないと、患者数が入らないと指定難病とはならないという形になっています。そこがまず第一の問題点があります。で、この問題点については、0.1%の中に入らないといけませんので、現在、線維筋痛症という患者さんが疫学的に200万人ほどいらっしゃいます。200万人ほどいる中――の患者さんがいる中で、あくまでも疫学的なので、実際患者さんが何人いるかどうかというところは定まっていません。そこが問題で、さらには重症の患者さんもいらっしゃいます。重症の患者さんを助けていただきたいというところで、どうしても指定難病、指定難病の中に入らないといけないということもあります。難病法に入らないと、あの、研究の促進もされませんし、研究開発もされていきません。

障害者年金という制度もあるんですが、障害者年金で線維筋痛症の病気で障害者年金の手続き、障害者年金の手続きですと、かなりその社会保険労務士の方々から、話を、お話を聞く中ではやっぱり難しいっていう制度になっています。
ただし、最近ですね、障害者年金の制度も少しずつ変わりだして、あの、線維筋痛症の、さらなるその用紙、うーん、その新たにその添付書類が増える形になっていまして、中には障害者年金を手続きをされる患者さんもいるという話を聞いているところです。聞いている中では、やっぱし、なかなかと医師のドクターが障害者年金の手続きをできるっていうことの制度自体を、ドクターの方があんまりよく知られていないというところが、なんか問題になっているみたいです。

障害者総合支援法の制度もございますが、そちらの制度も現在、線維筋痛症は使えないっていう形になっております。こちらの制度のほうも充実をしていかなければならないという形で、障害者手帳、さらには介護保険法、さらには障害者総合支援法、さらには、えーと…、難病法という形でさまざまな法律がある中で、さまざまな制度を使いたいんだけど、使えない。制度の谷間に入ってしまっている。というところについて要望書だったり、患者会活動の中で要望書だったり、陳情書だったり、請願者――請願書ですね。という活動を進めなければならないというのが課題になっております。

慢性の痛みの語り

約30年原因不明だったがやっと家族性地中海熱と診断された。難病に指定されて医療費は本当に楽になった

「家族性地中海熱を診てくださる先生がうちの大学病院にいますから、あの、先生も見つけてあげますよ」っていうようなことで、今の先生にめぐり会うことができました。

で、今の先生になってからは、家族性地中海熱って最近ではイラリスとかいろんなお薬ができたんですけれども、コルヒチンという痛風のお薬しか、あの、対処できるお薬がなかったので、コルヒチンを飲んで効くかどうかというのが、その難病、国が進めている難病のその、何ていうんだろう、目安みたいなのがあるんですけど。私はコルヒチンというお薬が非常によく効いて、コルヒチンを飲むことによって熱あまり出さなくなったし、腹痛もあまり起きなくなったので。あとは、家族性地中海熱も、あの、典型型か、非典型かという分け方があるようなんですけど、そういう細かいことも、あの、遺伝子検査でわかってきて。で、私はもう高熱は出さなくなってきたし、腹痛もだいぶ楽になってきたんですけど、肝臓の病気とかほかの内科の病気を幾つか合わせ持っていて、残念ながらイラリスだとか新しい新薬は私にはまだ使うことができないんですが。

でも、あの、新しいお薬ができて、難病、国の難病にも指定されたというのは、医療費という意味ではものすごく楽になって。で、今までは月10万、15万かかってたようなのが本当に、あの、2万円ぐらいで済むようになったし、本当にあの、楽になりました。で、あとあの、大学病院のほうも、私がかかっているリウマチ科のほうで家族性地中海熱を診ていただいているんですが、ほかの消化器内科、ほかの科でも家族性地中海熱から発生してこの症状が起きているということで、難病の公費の対象にしてくださったりとかいろんな面で助けられて、大学病院を選んで良かったなと思っています。

慢性の痛みの語り

退院後しばらくして自分は身障者だと気づき申請し障害者手帳をもらった。それで税金の負担 を軽くしたり、リフォーム費用にあてることができた(テキストのみ)

―― その(障害者)認定を受けるきっかけとか、いつごろあの、どういうふうにされたのか。

それはね、あの、ケアマネージャーさんと連絡、まず取るんですね。私、脳内出血やって、退院した後はまだ脳が少しぼやんとしてて、複雑なこと考えるのが面倒くさかった。1人だったし、もう書類見るのも嫌で、もう一切何もしなかったんです。もう、だからケアマネージャーさんということすら知らなくて、いらしたんですけど。でも、(公的な支援は)全然ノータッチで、勝手に1人でリハビリにほかのところへ行ってたんですね。リハビリっていうより、まあ普通の整体の先生なんですけど、ちょっと面白い先生で、そこに行っちゃ、体操をやって。みんなでやってたんですけど、ふっと考えて、私、身障者じゃないかなと思って。身障者手帳をもらってない。あれ、もらったほうが絶対いいよっていう話を誰かに聞いたんです。じゃあ認定を受けなきゃもらえないから、じゃあって言ったら、あの、前の退院したときに何かもらった名刺があったからそこに電話したら、もうその方は辞められてて、で、「じゃあ、伺います」って言って、私の担当になるそのあれ、あの、ケアマネージャーさんが来てくださって。その方が、あなたの場合は絶対手帳出るから、それを認定するには市役所が、認定、あの、それを認めた、そういう認定する人がいるんですね。その人に来てもらって、あの、認定してもらってくださいって言われて日時が決まったんです。それで、あの、障害者手帳をもらえたので。

そうしたら障害者手帳を私の場合は、えっと、そのころはまだ2級、支援、支援2でしたけど。あの、タクシー券が1年に48枚出るんです。それから医療費が、市内の病院にかかったらもうほとんどかからない。何も知らなかったから、「はー、こういうことがあるんだ」と思って、ありがたいなと思って。で、よその、市外のところの病院にかかった場合は、そのときは払って、いったん。後で市に申請するんですね。
まあそんなこともいろいろやっぱり、ちょっとこう月日がたつと頭も少しずつすっきりしてきて、「ああ、こういうこともあるんだ」と思って。それで認定してもらったんですけど、

市の広報みたいのが月に1回出る。私、たまたま暇だったんで、こう、じーっと読んでたんです。そうしたら、ああ、私の場合もあの、介護、何ていうか、普通のお風呂に入れなくなったんで、お風呂だけ変えたんですよね。自分が入れるようなお風呂に、手すりも付けて、電話をして。そうしたら、そういう事業をすると50万だか60万以上かかった人は申請するとあの…、ここの何ていうんですか、固定資産税ですか、あれが次の年に半分になるとか。そんなのね、読まなきゃわかんないでしょう。読めない人はどうするんですか、忙しくて。で、電話して市役所に。そうしたらば、こんな書類そろえなさいって言って面倒くさかったですけど。うん。でも、しなきゃ、やっぱり損だわと思ってやりましたけど、暇だったんで。

慢性の痛みの語り

精神科でうつ病の薬を出してもらっていたので、自立支援医療制度で医療費負担を軽くすることができた

私は初めにこれが何なのかわからない状況で入って、いろんな内科なり婦人科なり回りましたが、まあとりあえず落ち着いたところが精神科であったことと、その精神科で扱うのには、その、やっぱり費用もかかるのと、まあ体が痛い。そして精神的に不安になるということは、うつ病も発症しているというような可能性もあり。その対象として自立支援という、普通3割の患者負担が1割負担で、まあ上限は1万円。私の場合は1万円までだったかと思うんですけど、そういうような制度を使わせてもらって、今も、あの、まだ治ってるわけではないという意味合いで、お薬が続いてるということは治療の内容としては、完治してるというふうに取られてないので、寛解という形で、あの、お薬を服用してますので、その制度を使いながら、お薬を処方してもらってるという意味では、まあ少し経済的な負担としては、あの、お薬は今出されているので、その制度を使わせてもらって、あの、500円~600円程度で済んでいます。

慢性の痛みの語り

ひとり立ちできず両親に経済的負担をかけていることへの心理的負担が大きくなっている

これだけいろんなところに行って治療しているとやっぱりすごくお金がかかる。で、私は今、仕事をしてるわけではないので、お金の負担というのは全て、あの、両親にしてもらってるんですけれども。基本、あの、そういったことにかかるお金は出しますよっていうふうに言ってくれてる親なので、あの、たまに冗談で、「おまえは金がかかる」みたいなことを(笑)言われることはありますけど。で、もちろんそれを言われると私もちょっと嫌だなとは思いますけど、まあお金の負担をしてもらってるのも事実ですし、それだけの金額払ってもらってるので、あの、まあ言われても仕方ない部分はあるんですけど。ただ、やっぱりそのこと自体もそれだけ親に、この年になって、まだひとり立ちもできずにそれだけ負担をかけてるということも、やっぱり私の中では気持ち的な負担にはすごく大きくなっていて。

慢性の痛みの語り

田舎には専門病院がないため治療を続けるためには帰りたくても帰れなかった。親の仕送りでなんとか治療を続けた

こういう状況だったので、初めて田舎にいる両親に電話で、「こういう状況だから、実はもう、つえ歩行なんだよ」と、伝えたら、「田舎に帰って来い」と。当然ですよね。うん。親の気持ちもわかったんですけれども、その田舎には線維筋痛症の専門医がいなかったんです(笑)。帰りたいのに帰れないみたいな。うん。「もう治療をあきらめて、帰りな――帰ってきなさい」とまで言われました。もう放っとけなかったんでしょうね、親としては。うん。でも、最後の可能性、信じてやりたいと。本当に申し訳なかったんですけれども。お金ももう底をついてしまい。治療費は。自分の貯蓄も、もうゼロになってしまい。親から、仕送りを受けながら、何とか治療を受けてました。

―― 月々、その痛みの治療に。どのぐらいお金かかるものなんですか。

うーん、どうなんでしょう。一番…多いときで、月…、計算したことはないんですけれども……、月で…、考えたことはないんですけれども、おそらく、年間で確定申告をしたことがあって、そのときに幾ら、治療費だけで……、140~150万、1年間でかかって確定申告をした――あ、しました。はい。なので、交通費とかも合わせると、もっとかかってると思います。はい。

慢性の痛みの語り

仕事をしたくてもできなくなり収入が一気に断たれ、妻が働くようになったことが男として一番つらい

私がケガをしたことによって家内が、まあ働くようになったわけですけど。私も、とにかく働きたくなくて働いてないわけではないんですね。できれば働きたいと思ったんですけども、とにかく…この痛みというのが中途半端ではないわけですね。周りから見たら、「何かどこが悪いの?」と言われても、本人はものすごく痛い。その痛いのも、お医者さんも理解してくれなかったし、まあ家内も、こう一緒に住んでいて、本当なのかなとは思ってたと思います。で、私、あの、こう、画像とかそういうものを見せて、あ、これは痛いなと、いうのがわかったんだと思いますけども。とにかく仕事ができないというのは、男として一番ね、つらいことなんですね。それも…、当時の仕事というのはかなりの収入があったもんですから、その収入を一気に断たれるというのはものすごいショックですよね。第2の人生を考えようと思っても、こういう今の現状、この痛みというのを乗り越えろと言われたら、本人次第と言うんですけども、その痛みというのは中途半端じゃないんですね。そこら辺が今の社会の方にわかってもらえないというのが現状なんですね。

―― 以前の収入がなかなかこう、ケガによって、得られなくなってしまうということに対して、さまざまなところに影響が出てくると思うんですけども、それに対してご家族の方というのは、その経済的なことに関しては何か…、どういうふうにこう思ってたとか。

うーん、私の場合、あの、子どもがいなかったから、まあ今まで来れたと思うんですね。これが子どもを育てていたらおそらく…、まあ自分でも自殺してたんちゃいますかね。経済的な負担、まあ社宅から持ち家を買うというときから、ものすごいこう…、負担になったわけですね。職を失って、社宅を出て、自宅を購入しなければいけない。自宅を、転居しなきゃいけない。そのときに大変な、いわゆるお金がいるわけですね。それに、なおかつ、その病気というのがつきまとうわけですね。病気が治っていれば、確かにその、また収入を得られたんでしょうけども、この病気が治らないということでものすごい経済的にも負担があったし、家内にもかなり負担をかけたと思います。……痛みというのはものすごく、簡単に、痛み、痛みという言葉で言われますけど、ものすごい大きな問題だと思いますね。

慢性の痛みの語り

ハローワークに登録しているが、痛みがあると仕事が決まらない。女房の給料と生命保険や貯金を切り崩しながら生活している

―― 今、特に、でもご自身でお仕事としてやっていらっしゃることというのはありますか。お金が入るようなお仕事。

ああ、というのはないです。今できないです。あの、何度かその、ボランティア的に挑戦してみたんですけど…、全く意思と逆効果で、体がダウンしますね。それで、まあそれじゃいけないんで、あの、ハローワークとかにもちゃんと登録してあるんですよ。で、なんか期限なしで登録できるらしいから、うんと、まあ機械分野のことで登録してあるんですけど。まあ時代背景もあるのかもしれないんですけど、実際仕事が、求人が来るかっていうと1回だけ来ただけですね。結局、痛みがあってという話を、もしか事情でしちゃうと、まあ大体そこでアウトになっちゃうんですね。……現実はそこが一番大きいですよね。

―― そうすると、まああの、経済的にはどういうふうにしていらっしゃるんですか。

女房の、だから、まあ勤めているお金と、あとまあ過去に生命保険だとか貯蓄切り崩して、まあ売れるものは売ってとかして、まあ何とかぎりぎり凌いでいるような感じですけど、もうそれも時間の問題ですよね。

慢性の痛みの語り

体を壊したことで、引っ越しを余儀なくされたり、ヘルパーやデイサービスなど余分な出費が増えた

実際その…、あの、今の生活、体を壊したことよって、治療費もそうだけれども、その生活自体を変えなきゃいけなくなっちゃったし、収入の道も、あの、障害っていう認定を取らなければ年金ももらえなかったしね。うん。…痛いですよね。うんと、失業手当も出ない状態でして…出ないし。うん。で、そうだな。引っ越しも、何ていう、5階建ての5階のところに住んでたんだけど、引っ越しもしなきゃいけなかったりとか。あの、暮らせない。もう登れないからとか。そういうようなことの何ていうか、余分な出費(笑)もね。致し方ない余分な出費も出てきちゃう。もう介護保険とかだって、ヘルパーさん使わない体だったらば、そんな負担だってデイサービスの金額だって、かからないで済んだっちゃ済んだと思うんですよね。

でも、そういうものを払いながら暮らしていくにしても、やっぱり何ていうの、年金は生きる最低限で、暮らすっていうところにまで至らない金額の中で、ぎりぎり何とか頑張るっていうところになっちゃうから。少しでも何か働かなきゃいけないっていう何ていうか、プレッシャー。でも、それがこういう痛みとか、体動きづらいっていう波の中で、それとも闘いながら、そのプレッシャー、なんか悪循環でやっぱり気持ちも沈むし。うんと、でも、やっぱり、そんな痛い、痛いだけで休んでいたら首切られちゃうし、また収入の道なくなっちゃうしとかね、そういうふうになっていくから。やらなきゃ、やらなきゃになると、みんなから飛ばし過ぎって言われちゃうし(笑)。うん。でも、それでもやらずにいられ――やらなかったら、じゃあ、誰がどうしてくれるのっていうと、誰もどうしてもくれなくて、のたれ死ぬしかなくなっちゃうって、自分に、何ていうか、ね、叱咤するというか。うん。お尻たたいて、何とかっていうところしかなくなっちゃっているけれども、本当。うん。切り詰めますよね。そうすると豊かさって何だろうって思ったりするけれども。