インタビュー時:80歳(2014年11月)、疼痛期間:約16年、診断名:関節リウマチ
首都圏在住の女性。1998年頃に腕の痛みを感じ、五十肩と診断され処方された痛み止めを用いるようになる。数ヶ月後には手の腫れも現れた。2001年に別の医療機関で関節リウマチと診断される。その後は飲み薬を用いながら毎月大学病院に通っている。2002年の大晦日には脳出血で入院し、リハビリして、回復した。俳句などの趣味も楽しんでいる。

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プロフィール詳細

飯田さん(仮名)は、首都圏で夫婦で商店を営んでいた。1998年頃に腕の痛みを感じ始めた。店の作業や孫の世話をするときに困るため整形外科を受診し、五十肩と診断された。痛み止めを処方され、合わせてマッサージなどにも通いながら様子をみていたが、痛みのことは積極的に人には言わなかった。行動を制限されるのが嫌だったためである。後に指が腫れるようになると、民間療法や病院などをいくつか回るものの、どこでも納得のいく効果は出なかった。

ある夜、手がもげるほどの痛みが一晩中絶え間なく続き、翌日受診した医療機関で、リウマチかもしれないと聞いた。そこでリウマチについての本を集めたり他の医療機関を受診したりするものの改善しないばかりか、足首などの関節も腫れてきた。2001年に、紹介されて大学病院に行き、血液検査などの詳しい検査を受け、初めて関節リウマチとの診断を受けた。そこには今も月に1度通っている。辛いのは、痛みそのものの他にも、足が変形していることや、背中を丸めて歩かないといけない時があること、足に合う靴が少ないのでいつも同じ靴を履かなくてはならないことである。

2002年の大晦日には、脳出血で倒れ、1ヶ月の入院を余儀なくされた。後に、手の麻痺に対処するためにリハビリに熱心な病院に転院し、買い物や料理などを通して機能回復の訓練に取り組んだ。そのときは、「家に帰って家族と暮らす」ことを目標として意識した。退院後は、以前からの趣味である俳句に加えて、朗読の教室にも通い始めた。口の開け方から指導する教室で、講師は思いの外厳しかったものの、嫌な厳しさではなかった。朗読はいつしか、生きがいになった。発表会にもでるようになり、病気を治そうとすること以外の目標をもつことが出来てよかったという。そのため、「こもっちゃだめだ」と思うようになった。手の麻痺からの回復のためのリハビリが、病気を理由に何もしないことよりも何かした方がいい、というように考え方を変えるきっかけとなったのである。

そのためか、電車に乗っての通院もちょっとした楽しみになった。事前に入金するだけで改札口を通れるICカードは使わず、その都度切符を買って乗っている。自分の手で切符を買うことが、「訓練」になると思うからである。しかし、病院では医師も看護師も非常に忙しそうにしているため、自分の体のことをもっと理解するために話をしたいと思いつつも、それはできないことが残念なことである。

痛みは辛いものであるが、ただ耐えればいいのではないと思う。かつては痛みがない人をうらやんでいたが、痛みが軽いときには人の痛みの話を聞いたり、腰痛をもつ夫の痛みのことを気にかけたりするようになった。自分の痛みのことだけでなく、人の方を向くようにしているのである。それは、自分が痛みに耐えてきたからこそ身についた「別の力」である。

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