診断時:66歳
インタビュー時:72歳

1997年に前立腺癌と診断され根治的前立腺全摘除術を受けた。 5年後、PSA値 が再び上昇し始めたため、2003年に放射線治療やホルモン治療を受けた。

語りの内容

10月から翌年の4月まで失禁していました。いわゆる完全尿失禁でした。もちろんたやすく解決できる問題でしたが、気持ちの中では最前列に位置する問題でした。というのも私の着けていたオムツタイプのパッドは40分しかもたなかったからです。40分以内にパッドを交換しなければならないということは、買い物に行ったならば40分以内に車の中に戻れるよう車を駐車する必要がありました。(手術後)体力が回復してきた時、以前のように患者の診察をするようになりました。どの診察も40分以上続けないように、だいたい40分でおさまるように、気をつける必要があり、そのたびにパッドを取替えに行かなければなりませんでした。講演を行う場合には、こういった制約があったので、40分以上続けられませんでした。私は姿を消す理由をつくらなければなりませんでした。カクテルパーティーに行けなかったし、もちろん、映画やそういったものに行くのであれば、40分以内で終わるようにしっかり段取りをたてなければなりませんでした。手術をしたことは満足していました。尿失禁のことを知っていたら、手術を受けなかっただろうということは決してありません。尿失禁には困りましたが、この厄介な問題をどう扱っていくか長期的な計画を立て始めました。その当時、パッドの取替え間隔がとても短かったので、医師を続けるのは難しいと切実に考えていました。私の知人で、以前にコンサルタントの仕事をしていた親切な人が、私と同じ問題を抱えており完全尿失禁だったのですが、噂で私の尿失禁のことを聞きつけ、おしゃべりをしにやって来ました。尿失禁なんてたいしたことないさ、と彼は言いました。問題というのはどれもこれも太陽で解決だ。君はまず仕事を引退したほうがいいね、そしてスペインに可愛らしい中庭のある家を買って、日光浴するのさ、ただしトイレに10分以内に戻れる場所でね。冬はオーストラリアかニュージーランドに出かけて、そこで冬を過ごす、そしてクリスマスの時期にイギリスに戻ってくればいいのさ。彼の話にものすごく心を打たれました、きっと彼はコンサルタントとしてすばらしい仕事してきたにちがいありません、けれども私には、スペインに家を持つことや、1年のうち3、4ヶ月もオーストラリアで過ごすほどの経済的なゆとりがありませんでした。それで彼にこう言いました、来ていただいてありがとうございました、でも私はもっと現実的な方法を見つけたほうがいいのかもしれない、と。それから突然、尿失禁が良くなり始めました。

――尿失禁用パッドを購入するのは大変でしたか、あるいは簡単でしたか?

まったく簡単でした。パッドは大量に郵送されてきました。入院中に、パッドを扱っている事業所の番地を書き留めておいたので、そこに手紙を送り、定期的に荷物が届くようにしました。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧