診断時:66歳
インタビュー時:72歳

1997年に前立腺癌と診断され根治的前立腺全摘除術を受けた。 5年後、PSA値 が再び上昇し始めたため、2003年に放射線治療やホルモン治療を受けた。

語りの内容

それから私の担当外科医のところへ受診しに行きました、もちろん、その時には、生検から得た私のグリーソン数値結果をその外科医は知っていました。外科医との面談は堅苦しいものではありませんでした。ともかく私たちは仲がよいのです、それで彼は、さあ結果を全部一緒に見ることにしましょう、そうだね、PSA値はすばらしい、7.2だ、それから骨のスキャンは申し分のないようだ、我々が注意した肩のついては何もないようですね。それからMRIだが何も映っていないし、腫瘍は前立腺内だけに留まっているです。そして彼と私は、結構じゃないか、と言いました。それから彼はいいました、君は今67歳で、特に留意すべき病歴はないが、心臓専門医の意見を聞いてもらってほしい、もし心臓も問題なければ我々は事を前に進めるべきだと思う、と。それから私たちはきちんとした話し合いをしました。放射線療法にするか、手術にするか、あるいは当面経過観察するか(待機療法)と。彼は、自分の考えでは経過観察はよくないだろう、と言ったのです。そのとき私は、すべての検査結果を見てきたけれども、グリーソン数値の評価はどうなのだろうと思いました、そこで私は、ところでグリーソン分類の結果はどんな感じですか?と聞いたのです。すると彼は微笑んで、ああ、実はそのことについて話すつもりはなかったんだ、そのことをあまり考えるのはやめようと言って紙切れに書いて私に手渡しました。数値が8で、ご存知のようにかなり悪性度の高い分類に入ります。それで私は、そうですね、グリーソン分類の結果についてこれ以上話さない方が良いでしょう。そのことで私たちがすべきことを妨げてはいけません、と言いました。そこで、当然のことですが、中心となる治療法から放射線療法をはずしました。

――外科医の考えでは、手術は本当に唯一の選択肢だったのでしょうか?

私と彼の考えではそうでした。私たちは治療法についてはまったく同じ考えでした。

――その時、選択肢のすべてについて十分に説明してもらえたと感じましたか?

はい、私は選択肢については知っていたので、私たちはどの治療を選ぶかを徹底的に、しかし素早く検討しました。長い面談ではありませんでしたが、関係のあることはすべて話し合われました。以前に私たちが自分たちの患者たちと似たような会話をしていたので、すでに知っている事柄だったのですが、よく検討しました。
治療法の決定に際して、医師が誘導してくれたことに満足している(No.19).

――そのとき色々なことを十分に話し合う時間を作れたと思いますか?

はい、そう思います。私が専門医に会った時は十分に話ができました。もし誰かが電話で(自分が癌であったこと)を話してくれていなかったら、ああいう1対1の機会が得られたかどうかはわかりません。とにかくこの1対1の話し合いで専門医は全て話してくれました。

――その医師から各選択肢の長所短所の説明はありましたか?

はい、ありました。すべての副作用、欠点、それぞれの利点はどういうことかなども。それで私たちは「では、次のステップは何でしょう?」と尋ね、私にとっての次の段階は、放射線治療の上級専門医などの専門家に会うことになったのです。

――放射線療法を受けたのは、あなたの決断でしたか、また十分な指導を医師から受けましたか?

医師からの指導はあったと思います。私の場合、治療計画としては放射線療法とホルモン補充療法があるということを言われていました。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧