投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

心と体は一つととらえる立場から、ストレスをなるたけ軽減しようと思っていて、酒も飲み、食べたいものも食べ、言いたい放題、やりたい放題している

――生活として何かこう、自分で気をつけてらっしゃることってあります?

全然それもないんですよ。私は、酒も飲むし、全然…。もう、食べたいものは食べるし。ただですね、私は、心療内科、精神科に通っているっていうことから、心療内科っていうのは、心と体を両方、一つとしてとらえるという立場から、私は、体を何とかしようというよりも、まず、ストレスをなるたけ軽減しようと。生活の面でも、胃が痛くなったりなんだりすることだけは、ちょっと避けようかなて思っていますね、うん。あとは、もう、生活の面で、まあ、正直(言って)、「あなたくらい不良患者いない」って言われておりますので、私(笑)。だけども、酒は飲むし、やりたいこと、言いたい放題、やりたい放題、こういう患者もいないんじゃないでしょうか(笑)。一時期たばこも吸っていたから(笑)。

乳がんの語り

抗がん剤の副作用の軽減のためにアガリクスをしばらく飲んだが、サプリメントの摂り過ぎで劇症肝炎になった例がある(※)と知ってすぱっとやめた

実は、うちの母が、(乳がんの)末期だと分かったとき、代替療法に100万をかけたんです。アガリクスっていうのが、効くっていうのを聞いて、それに賭けてみようということになって、100万かけたんですよ。だけども効かなかった。
で、私も、最初、これを飲むと抗がん剤の副作用が軽減されるから飲んでみてって、うちの父が6000円だかで買って、私に飲ませたんですけれど、全然効かなかった。これは、下手に…食べ合わせ、飲み合わせってあるんですよね。あと、薬と食べ合わせっていうのもありますよね。例えば、高血圧の薬飲んでいる患者さんですと、グレープフルーツは、飲んじゃいけないっていう禁忌事項ありますよね。あとは、ワーファリン飲んでいる患者さんは納豆はいけないっていう…。そういういろんな、そこで初めて、いろんな文献というか、あの、薬に関する情報を見て、アガリクスとかそういうものは、摂りすぎると劇症肝炎をおこす例もあるという文献を見て、すぱっとやめました。まず、代替療法とかっていう前に、まず医学、医療をきちんと受けようということになって。全然今はしていないです(笑)。

乳がんの語り

ホルモン療法で更年期症状が出た。また社会復帰しても思うとおりに体が動かず、うつではないかと気づき、精神科にかかった

ホルモン療法というのが、お腹、ヘソの下の下腹部にゾラテックスっていう注射を打つんですけれども、それがこう徐々に、こうカプセル状(ごく細い形状)のがもうおなかに埋め込まれて、それが、徐々にこう効いていく薬なんですね。卵巣の働きをまるっきり止めてしまう薬なんです。ですので、生理がないです。それを3年間やりました。ところが、その薬というのが、更年期症状がものすごく私ひどかったんです。そのときも、うつ状態になってしまって、関節痛、頭痛、ホットフラッシュというほてりになってしまって。一番そのときつらかったのは、社会復帰しても思うとおりに、体が動かない。それが一番つらくて、仕事が続かなかったんですね。ようやく自分がうつ、もしかしたら、いろいろな本を読んで、うつなんじゃないかということに初めて気がついて、精神科に通うことになったんです。今通っている病院とは別の精神病院に通っているんですけれども、まあ、いろいろ心理テストの結果を見ても、抑うつ状態って言われて、朝昼晩と抗うつ剤、今に至るまで飲んで、精神を安定させている状態なんですね。睡眠薬も2錠、今、飲んでいます。

乳がんの語り

入院中に腕に軽いむくみが出て、しびれや虫が這うような痛みを感じるようになった

大きな鏡、病院の鏡見てこうこんなふうにちょっと見てみたんですよ。そしたら、ここんところが少しこうむくんでいる。私が「先生どうですかね?」って、こう「うん、ちょっと、うーん、むくみ始めているかな?」って言われたんですよ。そしたら、今度、あの、腕がしびれる。重いものを持ったときが一番つらいですね、やっぱりね。こう、ここから、こう、びびーとこう何か虫が這うような痛みが起きるときも私はありましたし。
あと、ここのわきの下にも、何か違和感があったし。手の先までしびれるときもありますね。うん。あと、重苦しいなと。ただ、これもリハビリがあれなの(関係している)かな。でも、そんなに…あの、ひどい人だと、こう、うちの母みたいにこんなふうになっている人もいるんですけれども。軽度のうちから治したほうがいいよって、言われているんですけれど、別に、それも無頓着なんですよね、私(笑)。

乳がんの語り

病院でのリハビリ指導がなく、一人でやらなくてはならなかったが、最初は指も動かなくて、腕が完全に上がるようになるには3~4年かかった

――腕の上がりとかはどうでしょう?

腕はもう完璧に上がります。はい。

――そこにいたるまでは、ご苦労されましたか?

3~4年かかりました。もう、何て言ったらいいのかな。今まで、三つのことを同時にできていたのができないんですよ。で、私、最初、コンビニにアルバイト、社会復帰のつもりでアルバイトしたんですけれども。パソコンもそうだけれども、手が動かない…動かない。それで、初めて愕然とした覚えがありますね。もう、ちょっとこれは、ああ、手術前と後ではここが違うんだっていうのが分かりましたね。

――腕が上がらないというだけでなくて使いづらいっていうこと…?

そう、そう、そう。今まで、こう1人三つのことを、ぱっぱっぱっぱっぱってやっていた自分が、それが私の自慢でもあったわけですよ。それが、前、例えばこうパソコン打つにも、最初、指が動かない。これができなくて、ここ、これ、指1本で(笑)、…そして、ようやくこう指がこう動くようになってから、これがこうできるようになった。レジもそうだったんですよ。レジをこうぱっぱっぱっぱってできていたのが、こういうふうな感じで。そこが、こうリハビリ…テーションっていうのが、こう、あんまり、そうですね、こう、自分でやらなきゃならない病院でしたので。病院によっては、こう、集団でこう一生懸命リハビリする病院もあるみたいですけども、でも、自分で、こう手を動かしたりなんだりしなくちゃいけなかったんです。それ以上のことは、やらなかったからかなってのもあるんですけれど。でも、でもね、みんな、そうでもないみたいで、普通に、温存の人は、温存の人だからっていうこともないんでしょうけども。温存の人っていうのは、普通に仕事に復帰しているところにいると、ちょっとそういうところが悔しいなっていう感じしますけどね(笑)。なんか、ちょっとこう立ち直るのに時間がかかったというか。

乳がんの語り

本当は乳房再建したいと思っているが、今は限りなく本物に近い人工乳房を買って、温泉に行くときには貼りつけている 

うん、あの、人工乳房を…再建というのも、本当はしたいなと思っているんですけど。おなかの肉をべろんと取ってとか、あと、背中の肉を取ってつけるということ自体が、あの、うちの人は大反対なんですね。で、「生理食塩水を入れるインプラント方式というやつを、先生、やってだめでしょうか?」って聞いたら、うちの主治医は「お勧めできませんね」って言われたんですね。うーん、だから、人工乳房でこう、こうくっつけるやつ。両方くっつけるやつ。温泉なんかに行くと、こう、例えばね、お風呂のあれ(お湯)がかかると、熱くなるという、本物、限りなく本物に近いやつを6万ぐらいちょっと出して(笑)。

――お風呂に入るときは、じゃ、人工乳房とかを? あの、温泉とかでも?

温泉に行くときは、もう人工乳房を貼りつけて(笑)。

乳がんの語り

腑に落ちないまま、後で後悔することのないようにセカンド・オピニオンはとっておいた方がよい

私が一番言いたいのは、体験から。最低でも2件は、セカンド・オピニオンを受けてほしいなって思うんですよ。要は、腑に落ちないことから、腑に落ちることをモットーにしてほしいんですね。なぜかと言いますと、私が全摘を納得して受けたのはいいんですけれども、あとから、乳がんセミナーに行ったら、先生によっては、「5センチでも温存にできる自信があります」って言う先生がおりました。うーん、すごいショックだったかな。でも、これで無理して温存するよりも、きれいにとってあとから再建したほうが、再発率も少ないんだっていうことが、私は本当なんじゃないかな?って思っているんですね。でも、そういうふうに後悔しないためにも、あとからあとから引きずる人生を送るよりも、最低でも2件の先生のお話を聞いて、自分のがんのタイプはどれに、どの手術が適しているのか。あとは、手術前に抗がん剤を受けたほうがいいのか。手術前に受けると、こう腫瘍が大きくなる小さくなるのが分かるっていうメリットがありますね。そういうふうな治療を選択していくのか。乳がんには、いろんな選択肢があるんだっていうことを、私は初めて知って、ほんとにいい勉強になりましたね。

乳がんの語り

マンモグラフィのあと、超音波検査、そして、念入りに触診が行われた

そしたら、私も、ちょっと気がつかなかったんですけど、マンモグラフィって(左右)両方検査するもんなんだと単純に気がついて。あ、片方だけじゃないんだって。そして、そのときが、もう痛くて、痛くて…。そして、その検査画像のフィルムを持って、外来室に行ったら、もう先生は何も言わなかったんです。難しい顔して、うんともすんとも言わない。「うーん」って虫眼鏡でじぃーっと見て。その次、触診を始めるということで。30、40歳以下の人だと、乳腺が発達しているっていうことで、超音波検査も並行になるんだなっていうことも初めてそのとき知ったんですね。で、超音波検査をしても、「うーん、ふうーんー」一言も話がなかったんです。で、マンモグラフィを見ながら、超音波を見ながら「うーん」。そして、触診も念入りに、全部もうこんなふうに這うように、手が這うような感じで触診をして、そして、初めて医師の言葉が、出た言葉が、「しばらく通院できる?」っていうことだったんですね。で、「これから、CT検査だのMRI検査をやってもらいます。で、最後に細胞診検査しますから」って。(細胞診も)両方採られたんですけれども、これも、また痛かったんですけどね。で、「しばらく通院できる?」っていうことだったんですよ。

乳がんの語り

10代でしこりに気づき、30代になって乳首からの出血があったが、こんなに若くして乳がんになるはずないと思っていた

私は、しこりに気づいていたのは、高校生のときでした。17歳のときだったですね。で、ここに左のほうにあったわけなんですけれども。まさか…、いや、そんなことはないだろうと思っていたんです。で、母が、そのとき、もう乳がんの手術をしたばっかりで、そして、それから2年ぐらい経ったあとに、今度、私が19歳のとき、いとこが乳がんで亡くなったんです。そのときも、でも、まさかって思っていたんですけれども、まさかそんな、しこりがあるからそんな10代で乳がんになんかなるわけないよって、私は思っていたんですね。
それから、34、5歳ぐらいのときだったかな? また、仕事に復帰したんですけれども。だんだんと自分の左胸のほうから出血がするんですよ。そして、ブラジャーをつけないで、Tシャツだけでごろんと横になっていると、血が、Tシャツが血だらけになっていたんですねえ。まさかとは思ってはいたんですけどね、だけど、36になったら、今度、反対側のほうにも、ちょっと、乳首から、透明とも言えない黄色いとも言えない微妙な感じの、両方から出血するようになって。
で、それで、どうしょうかなー、どうしょうかなーってすごく悩んで。私、これだけは言いたいんですけれども、自己判断は絶対にやめたほうがいいなって、つくづく思うんですけど。友達に相談したら、「そんな若さで乳がんなんかになるはずないでしょう」って。「乳腺炎か何かだよ」って。「生理前になると、そういう、出血したりとかってあるんだから」って言われて、また病院から離れてしまったんですね。

乳がんの語り

傷口が壊れてしまいそうで触れられるのが怖くて、自然と回数が減った。ホルモン療法中の性生活では自分が無機質な物体にでもなったような感じなさがあり、愕然とした(テキストのみ)

あと、夫婦生活のほうは、何て言うんでしょうかね、私自身が、何か触れられるというか、触られるのが怖いというか、痛いとか何とかじゃなくって、何となくこう傷口が…壊れてしまうんじゃないかというのは(笑)おかしいんですけれども、何となくこう不安感があって、なかなか。だから、積極的にはあまり好まないというかな、前よりはずっと回数がこう減ってしまって、主人にもきっとそういう思いが伝わっていったんだと思います。手術したときは46~47ぐらいだった、46? 47になる年だったような気がしますね。だから、そんなことで、自然に、だんだんに結局、減っていったというか、少なくなっていったというか、主人としてはやっぱり不満なところもあったのかもしれませんが、それは表に出しませんでした。
夫婦生活のことで話し忘れたことがあります。
ホルモン治療で女性ホルモンをシャットアウトしているため、夫とセックスしても、まったく感じることがなかったです。何か自分が人形にでもなったような、無機質な物体にでもなったような感じで、非常に驚きました。そして、セックスが無意味に感じられ、愛情があっても、一人で愕然としたのを覚えています。
主人には、このことは伝えていません。しかし、40代前半の患者会の仲間に、夫婦生活のことを相談されたときに、私の経験を話したら、同じ経験をしているんだということがわかって安心したという返事がかえってきました。
この“感じなさ”は、皮下注射のホルモン治療をしている患者でないと理解できないと思います。若い人にとってはつらいことではないかと思っています。