投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

術後の後遺症で手・腕の感覚異常やリンパ浮腫があったため、腕を使う作業の多い教員の仕事で、周りに迷惑をかけるのが心苦しくて退職を決めた

あの、(職場復帰後)担任持って3年ですが、やっぱり低学年持っても高学年持ってもそれなりにやっぱり大変でした。低学年はやっぱり体を使いますし、高学年は高学年でそれなりの気遣いがあるし、やっぱりしなければならないことがあって、自分でできないことがいろいろあって、ほかの先生方にも手伝ってもらわなくてはいけないことがたびたびありまして、何て言うんですかね、すごく心苦しかったです、私自身。あの、同じ給料もらっているのにもかかわらず、同じ学年を組んでいる、若い先生方に、お願いしなければならないし、若い先生方もすごく気を使ってくださって、手助けをすごくしてくださったんですけれども、そうすると、やっぱり自分のクラス以外の仕事も引き受けてくださらなくちゃならなくなるわけなので、負担になりますね。で、そういうことでとても、苦しかったんですね、私自身。気の毒で。
それで、まあ物理的な体の、問題もありましたし、それに精神的なそういう、お願いしなくちゃいけない、それから、「してあげますよ」と、「私がしますよ、しますよ」と言ってくださるんですが、それがかえって気の毒で気の毒で、「あっ、迷惑掛けてるな、迷惑掛けてるな」というふうにすごく自分自身こう思って、それも負担になってまして。もう子どもが、学校卒業し、就職した時点で、下の子どもがですね、もうこれは、辞めて、お金よりも時間のほうがもう大事になったかなというふうに思いまして、51歳のときに、退職を決めました。

乳がんの語り

腕の太さが左右で1センチから1.5センチ違っていて、半袖を着たときに片方だけ袖口がきつく当たる

リンパ浮腫は、1センチぐらいずつ、1センチから1.5センチぐらいは常に太いんですね。で、それは、洋服を着るとよく分かります。あの、半袖、夏になって半袖とか着たときに、袖口が何となくきつい。あまりゆとりのない洋服を着ますと、えー?って、左はちゃんと入るのに右は何かきついんですね、この袖口が当たるんですね、腕に。だから、えっ? 何なの?と、忘れててふっと思うんですが、それは、やっぱり太いから、なんですね、だから、ゆとりがないんですね、右のほうがぱちっとなって、その、袖口がきつく当たるので、ああ、そうだそうだ、こっち太いんだなーっていうふうに思うわけです。ストッキング状の、リンパ浮腫用の、腕をこう締め付けるようなのも、手術して間もなくですね、やっぱり黒板に字を書いてるときですね、あの、書いてというか、右手をやっぱり使っているときはやっぱりそうやって腫れてきたりするので、それで締め付けたりはしてたんですが、あれも、夏とかはとても不便ですね。

乳がんの語り

術後は冷気に触れると筋肉がきゅっと締まるような感じがしたり、硬いものを切るときに肩に響いたりして腕が苦しくなる

で、そんなふうにして生活していたんですが、腕のやっぱり、苦しさですか、それは、年を追うごとにはよくなっていったんですが、やっぱり大変でしたね。えー、スーパーマーケットとかに行って、野菜のところのその寒さ…、野菜を取ろうとすると、その、洋服と腕の間のすき間から、冷たい空気が入りますね。そうすると、もう何て言うんですか、何て言うんですか、ぎゅっとこう筋肉が締まるというか、苦しくなるというか、それで、「うわっ」と言って手を引いたこともありました。その、急に苦しくなったりして。あと、うちの冷凍庫でも同じようなやっぱり現象が起きて、苦しくて、冷凍庫から物を出すのに、「あっ」と言って、私は右側のほうを切除したんですが、反対に左の手に…側の手であの、物を取ることにしたりして、大変でしたね。やっぱり、あと、包丁のほうの…と、まな板のその硬さというか、それもしばらくずっと、続いてましたね。ですから、カボチャを切るとかっていうのもやっぱり大変でした。硬いものを切るのに響いて。えー、だから、そういう不便さは、周りの人はやっぱり気付かないですよね、ごくごく普通に戻ってるわけなので。で、洗濯物を干すのも大変かもしれないというふうにリハビリの先生から言われてたんですが、そちらのほうは何ともなかったんですけれども、寒さと、その、やっぱり何て言うんですかね、その腕の苦しさは、何か、何でなるかというのがやっぱり分からないので、してみて、あっ、これは駄目なんだなあというのを1つ1つ自分で自覚して、次からそのことについては反対の腕を使うとか、こう、気を付けるとか、ゆっくり動かすとか、するしかなかったですね。で、何でこうなのかなというふうにやっぱり落ち込むことはありました。

乳がんの語り

リンパ液を注射で抜くといわれて、痛いのではないかと思ったが、術後の感覚麻痺で針を刺しても痛くなかった

ただ、リンパ液を、こう、管でっていうか、ドレーンで外に出してるときに、それが普通は、何か皆さん4~5日、1週間程度で抜けてたようなんですね。他の方も、いましたので。で、リハビリをみんな一緒にしてましたので、リハビリ室で。で、そのときに情報交換いろいろあったりしたので、「間もなく抜けますよ」と言われたんですが、私は、もう1ヶ月以上も、その…液が出てって、それで、先生からは「10日目ぐらいにもう抜かないと駄目だ」って、言われて、「細菌が入るので」って。「もうこれ以上は入れておけない」と。私は、無理して、「注射器で抜く」って言われてたんですけれども、それはすごく痛いんじゃないかとこう不安に思って、「先生、それは嫌ですから、入れててください、入れててください」って言ったんですが(笑)、「もう細菌感染の心配があるから駄目です」って言われて、それでもう10日目ぐらいにそれは抜かれてしまったんで、その後は、あの、やっぱり注射器で、抜いてくださってたんです。
でも、何ていうか、注射を、針を刺した感覚が、もう全然ーやっぱりなかったんですね。だから、ああ、そうだ、そうだ、手術したわけだから、神経がその、切れてるっていうか…なわけだから、その、感覚がなくって、ああ、なるほどそれは当たり前なのかもしれないと思って、あっ、これはある意味ラッキーだったなというふうに思いまして、あっ、これなら先生がおっしゃるようにもっとやっぱり早く抜いてもらって、注射針で取ってもらっても良かったかなというふうに思ったりもしてました。

乳がんの語り

4分の1切除ということで、丸いケーキを4分の1に切ったようになるのかと不安に思い、最初は傷を見るのが恐かったが、乳房は少女のような感じでとてもきれいだった

えーとですね、やっぱり傷、私自身、病院で、最初に「シャワーを浴びていいですよ」って言われたときに、すごく、自分の体を見るのが恐ろしかったです。そして、どうなってるのかって不安で不安で仕方がなくって見たくない気分だったんですが、まあ、思い切ってやっぱり、すごい恐怖心で見たんですけれども、あの、乳房のほうはとてもきれいでした。4分の1切除でしたが、先生に、手術する前に、「丸いケーキを4分の1に切れば、がたっとそこ切り口が、あの、下がりますよね、だから、先生、そんなふうになるんでしょうか?」っていうふうに話しましたら、「いえ、そんなことはなりませんよ」ということで、「その切った切り口、端と端を合わせますので、ちゃんと円錐形のあのきれいな、というか、そういうふうになります」って、おっしゃってくださったんで、ああ、それは良かったと思って、安心して手術に臨んだんですけれども、本当に、先生がおっしゃるように、とてもきれいにしてくださいました。
それで、何か後で聞いた話では、手術してる最中に、起こしてくれてですね、私(の体)を、それで、看護師さんにですね、右と左のバランスを、見てもらって、どうだというふうに何か言ってくださったらしくて、看護師さんのOKが出たようで(笑)、それで、こう、うまくしてくださったというような話を後で聞いて、ああ、先生には感謝してるんですけれども。ですから、本当に、あの、誰に見せてもきれいなぐらいに、何て言うんでしょうかね、17~18歳の、少女のような感じの乳房にしていただいてすごく良かったです。とてもきれいなんです。
それで、ただ、トップがやっぱり、そちらは、きれいに手術したほうは、あの、ぴんとしてるんですけれど、自分のはやっぱり年齢的にこう下がっているという感じで(笑)、アンバランスなんですけれども、まあそれはそれで。

乳がんの語り

再発防止に効果があると言われたが、肝機能が悪くなり、自分からホルモン療法を止めると言った

先生はすごく、そのホルモン療法が私にとっては、プラスで、「転移と再発防止にはすごく効果があるんだけどなあ」と、残念に思ってらっしゃったんですが、でも、肝機能がそれで悪くなり、というか、なって、結局うまく治療が進まなかったらそれもそれなので、再発率が低いわけですから、再発するかどうかはやっぱり、分からないわけです。で、治療しても、うーん、したほうがやっぱり再発率は低下するかもしれないけど、しなくても再発しないかもしれないわけですね。ですから、もうこれは神のみぞ知るというような世界かなあと思いまして、もう私のほうから、「先生、ホルモン療法は、止めにします、いいです」ということで、結局、肝機能が改善する方向、悪くならない方向を取ることにもう自分で決めまして、それで、何の治療もしないことにしました。

乳がんの語り

触診で異常なしと言われたが、しこりを感じたことを伝えると、超音波検査、細胞診をすることになり、がんが見つかった

そのときは普通に触診だけだったんですね。検診だったので。それで、若い先生だったんですけれども、「あ、異常なしです」っておっしゃられて、「おう、良かった、良かった」と思ったんですが、やっぱり心の中でのその引っ掛かりが取れなかったんで、出口に来たときに思い切って、「先生、でも、どこかで何かは感じるんです」っていうふうにやっぱり思い切って言ったんですね。そうしたら、先生は「えっ?」っておっしゃって(笑)、それで改めて、もう一回触診なさって、で、「うーん」とおっしゃって、「じゃ、念のために超音波撮ってみましょうか」って言って、超音波撮ったら、何となく影があったんです。それで、「うーん」ってやっぱりまた先生おっしゃって、それで、「細胞診、出るかどうかですけど、してみましょうか」って言うんで、細胞診、そこでしたんですね。やっぱり「お願いします」って、やっぱりこうなったら不安を払拭したいなっていう私自身の思いもありましたんで。それで、細胞診していただいて、で、その後、結果が出るまではちょっと不安でしたね。でも、結果は、やっぱり思っていたとおりというか、期待……(笑)、本当は期待が裏切られればいいなと思ってたんですけれども、期待というか、その不安が的中しまして、やっぱり乳がんだということで、「浸潤性の乳がんです」というようなことで、先生のほうから連絡がありました。

乳がんの語り

胸の傷や脱毛や外見の変化はあるが、なるべく女性らしい格好をしてきた。彼も女性として扱い、性行為時も変わらず普通に接してくれた

手術をしてから、やっぱり、こう左の胸はちょっとこうケロイドみたいな傷が、今でも残っているんですけど。で、ちょっとこう硬かったんですね、こっち側だけ。で、彼は、やっぱり、その、愛しあうときは、やっぱり、こっちは触らない、こっちだけっていう感じで、最初は、そうしていたんですけど。でも、もう1年ぐらい経ってくるとだんだんこうその放射線を浴びたあとにちょっと黒ずんでいた感じが取れてきて、だんだんこうこっちもあんまり変わらないような色になってきて。で、そんなに、こうつっぱり感もなくなってきたので、何か、普通に、普通なんですけど(笑)。でも、そうですね、(ホルモン療法の副作用で)更年期の症状が去年から出てきて、その何ていうんですかね。あまりこうスムーズにそういうことができなくなったというか、何と言うんでしょうか、ちょっと、まあ、人工的なものを何か使わないと、何かちょっとこうそういう行為ができないとか、そういうのも、ちらっとありますけど。その行為自体は、そんなに、変わったなとか、気にしているなとかそういう感じは全くないですね、彼は。かえって、何かそういうふうに思わせたくないから…なのか、普通に接してくれています。

乳がんの語り

自分としては髪の毛が抜けてしまい、女としてすごく嫌だったが、彼は変わらず女性として扱ってくれた

で、髪の毛がなくなったときは、やっぱり、すごく、女としては、すごく嫌だったんですね。でも、彼の前では、何か、自分は、かつらを被るようにしていたし。女の子らしい格好をするように、わざと大げさにしていましたし。彼も、髪の毛が抜けても体に傷ができても何ら変わりなく、女性として接してくれるんですよ。
で、まあ、ちょっとこうのろけにもなっちゃうんですけど(笑)、「かわいい」とか何かそういうことをこうずうっとつきあい始めから言ってくれていて、まあ、そんな治療中こんなにこう禿げちゃった頭を見ても「何か珍念(ちんねん)みたいでかわいいな」とか「ちんねん、ちんねん」とか呼んでくれたり。何かすごくそういう部分で、彼は、すごい、すごい人だなっていうふうに思いました。

乳がんの語り

8ヶ月の休職後、看護の仕事に復帰して、半日勤務から始めたが、2ヶ月後には3交代勤務に就いていた。体力的にきつかったが、仕事に出ると「できません」とは言えなかった

でも、まあ、何とか放射線が終わったら、ホルモン療法に切り替わるから、そしたらもう仕事に出れるし、何か、8ヶ月くらい休んでいたんですけど、その年の次の年の7月から、仕事にまた復帰して。半日勤務から始めて仕事に出ました。
で、だんだん、仕事も体力がついてきたので、9月から3交代をまた始めて。また、何か乳がんになる前と同じ生活になっちゃっていたんですね、気づいたら。でも、やっぱり、看護師さんって現場に出ると、やらなければいけない仕事があったらやっちゃうんですよね。自分も、「あ、これちょっと体力的にきついな」と思っても、何か仕事に出てしまえばもう、「あ、これできません」とかっていうことは言えないし。で、まあ、やっぱり難しいなっていうふうに思っていながら、何だろう、生活を変えれずにいましたね。前と同じような生活に戻っちゃった。