投稿者「dipex-j」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

CRPSに特化した本を3冊読み、中でも参考になった本をリハビリの先生にも読んでもらって、それに沿ったメニューを組んでもらった(音声のみ)

私はCRPSなので、CRPSに特化した本を3冊読みました。主にリハビリ関係者と、あとあの、医師に向けて書かれた本だと思うんですけれども、患者の目線から見てもなかなか、あ、こういう意味があって、こういう治療をしているとかわかったのと。あと1つ、あの、医師の監修のもとで、リハビリテーションの先生と患者の先生が共著という形で書かれた『ペイン・リハビリテーションを生きて』という本がありました。あれは、私とあの、その著者の方はケガをした場所が一緒なので、かなり参考にさせていただいて。リハビリの先生にも同じ本を読んでいただいて、100%それを復元することはしないけれども、私の症状で使えるところは全て使わせていただいて、それに沿ってメニューを、今、組んでいただいてます。

―― そのときは、リハビリの主治医の先生は、この本はご存じなかったんですか。

あ、なかったと思います。私が持ってって、「これ、ちょっと読んでほしい」って言って、「了解」って言って読んで。それで、その次からリハビリがいろいろ変わったので。

―― すごいですね。あの(笑)、ご自身で治療方法をご提案された。

提案というか、そんな大したことではないんですけど。ただ、あの、やっぱりこっちも何をどういう意味があって、やってもらっているかとか、指示を受けるかっていうのがわからないと良くないのかなと思ったんですよね。

―― その、自分で何か解決していくっていうことを手段として選んだのは、えー。

逆に、その、選ばないと、その医師や医療従事者の方がおっしゃることに合わせて、それで良くならなかったら相手のせいにできるっていう利点はあると思うんですよね。ただ、それは、私はフェアじゃないと思う。うん。でも、それは私が深刻な病気じゃないから言えるんだと思います(笑)。

慢性の痛みの語り

新しい薬を出されて合わないと思ったときに自分で計画的に減らして飲んだり、以前に効いた薬を出してくれるように要求したりしていたら、医師との間に溝ができてしまった

―― そのお薬に至るまでっていうのは、先生とやっぱり相談しながら、こう、決めていくんですか。

そうですね。ただ、あまり、薬よりもブロック注射が効くって思っている先生だったので、本当に何か大きな体調の悪化とかがない限り、なかなか薬の変更とかがなくて。なので、すごい2年ぐらい、こう、ずーっと、抗うつ薬が最大量で行ってて。で、すごい、体が勝手に動き始めたりとか、かなりちょっとまずい状況のはずだったんですけど、それは仕方ないみたいな感じですごく放置されていたので。

割と本当はお医者さんとちゃんと相談して、薬とか減らしたりとかだったら良かったんですけど。結局なんか私の思い込みなのかわからないですけど、こう、あんまり聞いてくれないんだと思ったので、薬とかを出され――新しい薬とかはやっぱり先生も試したいので、新しいのを出されるんですけど。やっぱり飲んでおかしいなと思ったときは、もう薬の事典とかで、血中濃度とかどれくらいで最高に達して、どれくらい何時間くらいで減るかとかを調べて、体調の変化とかを確認して、それを1週間とか続けて。で、それで計画的に自分で減らして、やっぱり薬がないほうが体調が良かったとかを自分で実験して、それで、「すみません、先生」って、「やっぱりこういう状況で飲めませんでした」とか、「試したら、こっちのほうが良かったので、すみません」っていう形で、かなり自分で、相談というよりも、自分が誘導してしまったような形で、あの、なったりとか。

あと、筋弛緩剤とかも1種類に関しては、あの、「前、ぎっくり腰で飲んだときに効いたので」っていう感じでお願いして出された――出してもらったりとかしたので、あんまりこう、先生が出してくれたものっていうより、自分がこう、要求して出してもらったりとかしたので。そこら辺とかも、やっぱりちょっと先生と溝だったりとかできてしまったりとかして。うん。

たまたま合った薬とかがあればすごいラッキーで、合わないこととかのほうがすごく多くて。で、結局なんか、じゃあ、うん、あの、新しい薬も自分も怖いし、先生も、「じゃあ、ブロック注射しましょう」っていう感じだったので。なかなかこう、うん、うまく相談とかっていう感じじゃなかったです。

慢性の痛みの語り

治療に関してあれもこれもやってみたいと畳みかけていたが、主治医は冷静に対応して思い通りにはやってくれなかった。結果的にはそれが良かったので今は信頼している

初めはたぶん、私が頭でっかちだったんですよね。もう診断されたことで不安で不安でしようがなくて、あれもやってみたい、これもやってみたい。こんな治療もあるんじゃないかという感じで畳みかけてたと思うんですけれども。あの、慎重にというか、冷静に見極める感じ、ですね。必要、適宜ですね。あの、持続じゃないブロックなんかもしてもらっているんですけれども。その、私は自分の思い通りの治療をしてくれないことに腹を立てたこともあるんです、初期。だけど、結果としてそれがいい感じにこう回ってきてるので、ああ、この先生(笑)、あの、あ、そう、考えてくれてたんだなっていうか。患者の希望どおりの何かをしてくれる先生がいい先生じゃないんだなっていうのを、とても思っていて。あの、今1回その、だめだと、あの、幼稚園(の仕事をしたいと思って)、1回、ほら、だめだって言われたときも、「いや、だめです」って(笑)、「絶対だめです」。泣いてもだめでしたね。そのかわり、「先生、もうお願いだから」って言ったときは言ってくれて、「わかった」って。で…、でも、あの、足がつらかったときは、私、仕事のことについて何も言ってないのに、「診断書を書きます」って言ってくれて「出しなさい」って。

…あの、自分で決めたとなると心がつらくなることってないですか。…私はこうしたかったのに先生がこうしたから、みたいな逃げ場を作ってくれて。あの、適宜冷徹にパシッパシッとこう…、要所要所であの…、決めてくれるって言ったらおかしいですけど、医師として言ってくれるところ。その、そのときはもう反発しますよ、非常に(笑)。だけど、だんだん後から思うと、ああ、こういうことだったんだというののもう繰り返しで、私なんかもう9年になりますね、同じ先生。すごい幸せなことだなと思うんですけれども。信頼関係って言ったら、こっぱずかしいけども(笑)、まあずっとこの先生に診てもらえてたら大丈夫なんだろうな。いつか、まあもう大丈夫ですから、もう卒業ってなれたらベストなんだろうけど、きっとそれを目標にするとつらくなるので(笑)、…まあいいか、みたいな感じですね。治すという目標を作ってしまうとつらくなりますね、きっとね。

慢性の痛みの語り

(当時受けていた治療が)「日本の医療の限界」といわれ、自ら海外の文献を検索して新しい治療法を見つけ出し、アメリカでその治療の経験がある医師を探して治療をお願いした

「日本の医療の限界」って言われたときに、海外はどうなんだろうか。そのときに初めてこの病気の海外の治療方法を、文献をネット上で探し、確認してみたところ、日本とは違う薬と治療方法を行っているということを知りました。…その治療方法に協力していただける先生がいないかどうか、私はそれもネット上で調べました。  で、たまたま、隣駅にあるアメリカで臨床経験のあるクリニックの先生を見つけることができ、事情を説明し、そのクリニックの先生に、お願いしました。確かに先生は、「アメリカでその海外の文献――の中の、その治療方法をアメリカではやったことがある。でも、日本ではまだやったことがない」と。「それと、やってもいいけど、もう当時、既にリウマチのステロイド剤を使っているので、かなり強いお薬を使っているので、その…治療を、方法をやったとしても、おそらく治る確率は50%以下だ」と、はっきり言われました。「そのときはもうあきらめてください」と。もうでも、それでも、もうその先生にすがるしかなく、「お願いします」と言って、治療を、新しい治療を開始しました。2カ月ぐらい良くならなかったので、でもできる限りのことは……、うん、先生の熱意も伝わって我慢してました。その2カ月の間でリウマチの症状がだいぶ和らいだので、まずステロイド剤がなくなりました。で、その後に星状神経節ブロックを何回かやった後、2カ月後ぐらいに痛みがだんだんと和らいでくる感覚がわかってきました。「あれ? もしかしたら治るんじゃないか」って。完治はできなくても、普通の日常生活を送ったり、働ける体になるんじゃないかと…、こう、期待が出てきました。

慢性の痛みの語り

とにかく痛みをなくしてほしい一心で医師にすがっていたが、「治療は持ちつ持たれつでやるもの」と言われ、自分から痛みに向き合うようになった

…大学病院のほうには、行ったときには、うーん、自分の記憶の中では何でも、そのときはもう本当につらかったので、「何でもいいから注射でも何でも打って、痛みを止めてくれ」って言ったのが、第一声でした。ただ、そのときのお医者さんはすごく冷静で、あの、「治療には順番があって、その、あなたは今いきなり、針を打つようなそういう段階ではなく、まずはどういう痛みの経過があって、どういう治療をするのかっていう順番がある」ということで、あの、「いきなり、針を入れれる状態じゃないんだよ」と言われました。

 治療が始まってからは、えー、うん、あの、でもそれでもやっぱり、うーん、体を――痛みから解放するといった意味では、あの、麻酔、点滴を受ける。それが、そのときは正直、治療というよりは楽に一瞬でもなれる瞬間が、1週間に一遍、になって、その麻酔が楽しみで行っていたというか。まあ、いずれそれがまた、あの、うーん、麻酔を受けることが楽しみと言ったらいけないけど、全てその医療機関に体を委ねて、その、心も委ねてしまう。だから、うーん、何ていうんでしょうか。先生が――先生に、こうしてほしい、ああしてほしいっていう望みばかりを今度言うようになりました。

でも、やっぱりお医者さんと患者さんとの関係というものには、ちゃんと線引きがあるような気がします。それ、なぜかというと、先生はすごくやっぱり冷静で、先生は、あの、「僕の言うことを、聞かないで、ああしてほしい、こうしてほしいって自由気ままにやってしまうと、治療になりません」と。あの、「お互い持ちつ持たれつでやるのが治療だよ」という、そういう部分もあったので、あまりにも自分が痛いから、つらいからって。その一週間一週間で、まあ多少その中でも調子がいい日もあり、悪い日もありで、悪いほうが続いたときに先生に求めるほうが強くなったとき、先生に愛のムチじゃないですけど、はっきりと、あの、治療方針に、「持ちつ持たれつでちゃんとね、やろうという気がないんなら、君はここの病院に来なくていい」って、はっきりと言われたときに、ちょっと、はっきりと目が覚めたというか(笑)。体が痛くても何でも向き合わなきゃいけないなと。それを受け止めていかなきゃいけないんだなって。医療機関に何でもかんでも求めるのは、そういうのは自分の痛みから逃げてるだけで、うん、あの、正直、うん、それは違うんだなと思ったので。そこから、ちょっと気持ちが、その中でも先生の言うことに少し委ねてみようっていう、あの、自分の気持ちの中での切り替えが少しできたと思います。

慢性の痛みの語り

「これしかやってあげられないけどやって帰るか?」という主治医をはじめ、専門病院のスタッフは自分にできる限界を知りつつ、患者の痛みを理解して支えてくれるのがいい

「先生、(手首や肩が)痛いし、全然動かへんし」っていうお話をしたら、ドクターのほうが、「もう僕からは、もう、その治療のレーザーを紹介するとか、リハビリの先生にもんでもらうとかしか、そんなことしか、ようしてあげられへん」って言われたんですよ。で、やっぱり、その…、薬効いてくるまでの期間とか、そういうのってあるじゃないですか、先生にしても、薬は増量して。でも、「これ以上のことっていうのは、僕ではもう、ようしてあげられへんのやわ」って言われたときに、すごい、やっぱいい先生やなと思いました(笑)。

あそこの病院さんっていうのが結局、まあリウマチ・膠原病専門医なので、あの、ナースも、やっぱその……、何ていうんですかね、みんながそれぞれ千差万別の痛みとか、あの、動かないとか、そういうのを持ってるっていうことを、ある程度やっぱりよくわかってはって。ナースもそうですし、あの、何ていうんですかね、医療事務とか、あの、受付されてた方とかもよく知ってらっしゃるんですよ。なんで、そういうあの、リウマチって画一じゃないじゃないですか。痛む場所とその関節の場所によって、どういう動作ができないかっていうのはみんなそれぞれで違うんですよね。

なんで、もう自分でできる最大限のことをやっぱり知って、なおかつ、その人は、でもそれでも痛いんだっていうのをわかってくれてるっていうのが、一番、あの、そこの病院の、あの、すごく、もう先生からして、「もう僕、これしかやってあげられへんけど、やって帰るか」っていうような先生なんで、そこがすごくいいとこやなっていうふうに思いました。

慢性の痛みの語り

女房は痛みは取れていないが共感的に支えてくれる医師に出会えた。痛みのために自ら命を絶つ人もいるが、医療者の接し方が違っていたらそんなことにはならなかっただろう

脊髄損傷の痛みの患者さんと、まああの、インターネットを通じて集まる会を始めました。えー。まあその活動をしていく中でその仲間がつながる中で、やっぱり痛みのためで自殺する患者さんというのは少なくとも2人立て続けにいたので。そう。仲間の死っていうのは重いですよね。これは何とか、きっちりと世の中変えていかなきゃいけないって、そのとき思ったと思います。うーん。まあどちらもこう、お医者さんの接し方がもうちょっと違ってたら、そんな自分から命を絶つまでにはならなかったなと思うので。何ていうんですかね。その、医療が、医療は患者さんを支えなきゃいけないんですけど、医療が、患者さんが立ち向かおうとする気持ちをこう萎えさせてしまう部分をすごく感じたので。たとえその痛みがなくならないにしても、お医者さんが態度を変えただけで、まあ女房の場合もそうですね。痛みは取れてなかったんですけど、お医者さんが態度――態度というか、そういう共感的に理解して支えよう、痛いのはわかった上で何かしようっていう、あの、お医者さんに出会ったことだけで上向いたんですから。まあそれ、そんな難しいことじゃないんですね。その痛みを取るための、あー、医学っていうのは、ず、ずっと、え、今のところないので待たなきゃいけないけど、でもお医者さんの態度を変えることはそう難しいことじゃないはずだと思ったのが、また今やっている活動のきっかけにもなっているなって、今話しながら思い出しました。

慢性の痛みの語り

どこに行っても「我慢するしかない」と言われていたのに、「たくさんやることあるよ」「一緒に頑張ろう」と言われ、痛みが取れなくてもすごく視野が開けた感じがした

で、あの、たまたまあの、主人が「せきずい基金」っていうところにお便りを出したときに、そのお便りがその中の役員さんというか、女の子のところに転送されて、その子があの、病院で同室だった子だったんです。で、岐阜で、あの、名前も割と珍しいのであの、メールくれて、「どうしたの?」って言ってくださった。その人が今ずっと10年近くお世話になっている愛知県の病院に、あの、入院したことがあって、そこのリハビリテーション科なんですけれども、「そこの教授さんならたぶん診てくれるから、連絡、メールしてみたら?」って言ってくださって。もうその途方に暮れている状況で、その教授さんに直接、図々しくメール送ったんです。

そうしたら、「僕で良かったら診てあげますよ」って言ってくださって。もうすごい状況で行って。車で連れていってもらったんですけど、病院に着いた状況では、もう起きてられなくて、寝かしてもらえるような状況で行って。でも、その先生が、今まで自分の周りには、「やることないし、もう我慢するしかない」とか、「仕方ない」とか言うお医者さんばっかりだったのに、「たくさんやることあるよ」って言ってくださったんです。で、「一緒に頑張ろう」って。そしたら、もうすごく視野が広げた感じがして、「えー!」ってびっくりして、そこから何か、こう、変わってきました。はい。だから、そのころが一番ピークだったかもしれません。はい。で、痛みは、それほ――今のほうが強いかもしれないんですけど、状況的には対応できて、痛みに対して対応できてないっていう状況はそのころが一番ひどかったと思います。はい。

慢性の痛みの語り

診断がつかない患者に冷たい医療機関が多い中で、今の主治医は「絶対に諦めない」と言ってくれる。治療による効果はあまり感じられないが、その心強い言葉に支えられている

その中でも病名がわかって、こういった治療法がもうわかってる、こういうことをすれば良くなる、こういう手術すれば良くなる、こういう薬飲めば良くなるっていうのがわかるような病気に対しては、それをやればいいわけですから、そういうことがはっきり明確になっている患者さんに対しては、すごくまあ、それをきちんとやってくださるし、あの、病名がわかる患者さんにはできることはしてくれると思うんですけど。病名がわからない、何をして何が有効かちょっとわからないというような患者さんには、正直、冷たいというか。それだけのまあ時間をかけられないということがあるからだとは思うんですけれども。そういうのは、やっぱり、そういうグレーゾーンにいる患者さんというか、それはまあ、本当のことを言えば大学病院だけじゃなくて、小さいクリニックでもそういうところにいる患者さんというのは手を出しづらいというか。正直、あんまり診たくない、自分の手元には置いておきたくないというか、そういう患者さんなんだとは思うんですけど。そこを親身になってくれる先生というのは、正直、少ないかなと思いますね。

だから、今、あの、その最終的に、あの、紹介で今も通っている病院というのは、やっていただいた治療、今もまあ通っているのでやっていただいてる治療に関しては、正直はっきりした効果はあまり見られないし、痛み――いただいた痛み止めというのも効かなかったし。そういう意味では、まああの、結果として良かったかどうかはわからないんですけど、少なくとも、あの、きちんとその気持ち的にやっぱり寄り添っていただける先生だし。その、女医さんなんですけれども、彼女の口からその、「無理です」とか、あの、「方法がない」とかっていうことは1回も口から出たことがなくて、「あなたがたとえあきらめても、私は絶対あきらめないから」っていうふうに言っていただいたことがあって。やっぱり…、それ、そういうふうに言ってくれる先生が…、うん、痛みが取れなくても、そういうふうに言ってくれる先生がいるっていうことの心強さみたいなものというのは、その病状に直接何かがあるわけではないにしても、やっぱりその気持ちを切らさないで治療に向かえる…モチベーションにはやっぱりなりますね。

慢性の痛みの語り

手術後の麻酔で朦朧としているときにも「足が痛い」と訴えるのを聞いた看護師が「CRPSで痛いというのを疑っていたが、本当に痛いとわかって涙が出た」と話してくれた

あと、とても印象に残っているのがちょっと痛みと外れるんですけれども、私がんのオペ後に弾性ストッキングって履くじゃないですか。きついやつ。意識朦朧としているとき、私、全然覚えてないんですけども、「ストッキングを脱がせろ」って、なんか半分寝てるのに言ってたらしいんです。「痛い痛い」って。で、まあ、脱がせてくれたみたいなんです。全然覚えてないんですよ。半分麻酔が覚めかかっている。首(の傷)なんかまだ全然痛くないときですよ。だけど、そのときそれを聞いた看護師さんが、あの、「本当に痛かったんだね」って言ってくれて、なんかそれがすごい…、「なんか本当にすごい痛いんだってわかって、私、涙出たよ」みたいな感じで(言われて)。それは、あの、ここ(甲状腺)の手術で入院してたので、ペインではないんですけども。なんか意図したことではないにせよ、うれしかったです。

―― その、その看護師さんは、CRPSであることは知っていた?

既往症として書いていて。…で、部屋の中に一応、杖も持ち込んだりしていたので知ってはいたんですけども。あの、後から言われるには、その麻酔が覚めるか覚めないかぐらいの状況で痛がっているのを見て、あの、「ぶっちゃけた話、疑ってた」って言うんですね、何がどう足痛いのか(笑)。うん、うん。後から、そのとき、うん、あの、今だから言えるみたいな感じで。だけど、なんかその姿を見て、なんか看護師さんが、「すごい(笑)、ああ、本当に痛いんだと思ったよ」みたいなことを言ってくれたのがとても頭に残っていて。反面、やっぱり看護師さんでも、その、要するに気持ちの問題として思っている方も、きっと大勢おられるんだろうなというふうに思いました。