月別アーカイブ: 2021年8月

新型コロナウイルス感染症の語り

職場に感染者が出ていないのはたまたまで、どんなに対策をやってもうつるときはうつる。「1号を出しちゃいけない」みたいな空気は苦しいということを上司に伝えた

あと、仕事復帰してから感じたことなんですけれど、結構うちの職場の中では、あの、感染者、陽性者は一人も出てないんですね。なんですけど、それ、絶対たまたまなんです。別にそんな、あの、出入りにウイルス殺す消毒浴びてるわけでもないですし、特別なことを、これをしてるからゼロだっていうことでは全然なくて、本当にたまたまゼロなだけなんですけれど、結構それを強調してくる職場なんです。で、それがちょっとやっぱり苦しいなっていうふうにも思っていたり。

この、もうこんなに感染者も増えてますから、どんなに感染対策をきっちりやったとしても、うつるときはうつるなあっていうところがあるので。でも、うつったとしても、あの、きちんと対策をすれば大丈夫だっていうところは、自分自身でも学ぶところではありましたし、まあ、軽症だったのであんまり、あの、あれですけれど、だったので、そんなに、あの、「ゼロだ、ゼロだ」って言われると、1号を出しちゃいけないみたいな今度空気にやっぱりなりますので、あんまりゼロ強調しないでほしいなみたいなところは、ちょっと上司に言いました。

新型コロナウイルス感染症の語り

陽性と分かった後、濃厚接触の利用者から連絡をもらった。「気にしないで」「陰性だったよ」と言ってくれたが、迷惑をかけてしまったという思いは強かった(テキストのみ)

――濃厚接触者の方たち、3名のうちの2名の方には、また今、元のようにお会いになってるって、あのー、行ってらっしゃるってことだったんですけども。

そうですねえ、ありがたいですけど、はい。

――最初にお会いになったとき、戻って復帰したときって、どんなふうな感じだったですか。

「おお、よかったなあ」って、そういう感じやったんです。で、まああの、何ですか、その2人の人らって、結局お客さんでありながら、結構もう、これもあんまり言うたらどうなんかなと思うんですけど、LINEとかでも連絡取れるんですよ。なんで、もうとにかく、僕が陽性者なったというところから、もうLINEとかでくれてたんですよ。「んな、気にせんでええで」みたいな、…うん。せやから、結構ね、連絡くれたりね、「陰性やったわー」とか、だったんで、うん。そのね、今も会ってへん1人だけは、もうその話を聞いてるだけなんです。全然会うてへんし、連絡取れへんし、うーん。まあ、そこはね、他の行っとるヘルパーさんとかから情報聞いたりとか、うん、サ責(サービス責任者)の人が話は聞いたりとかはしてるんすけどね。

――そうすると、今さっきおっしゃった2週間ぐらい皆さん、外出もできなかったりとかって、そういうことについて、初めて、久しぶりに会ったときとかっていうのは、やっぱりなんか「ご迷惑をお掛けしました」みたいなことをおっしゃったんですか、ご自身から。

やあ、もうそれはやっぱり、ねえ。そこまでもしゃべってるのは謝りました、もちろん、うん。「すんませんでしたー」って。

――やっぱりそこ、やっぱ謝んなきゃいけないんですかねえ、やっぱりどうしても。

うーん、なんか自分が「やっちゃった」ことなんでねえ。うーん…っていう感じでしたかねえ。

――でも「やっちゃった」って言っても、別にね、ご自身なんか悪いことしたわけじゃないですよね、かかっちゃったっていうのが。

そうなんですよ。それは、でも思いますね。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分は濃厚接触ではなかったが、休業理由で嘘をつきたくなくて、父の感染が判明する1週間前に会っていたと伝えると、従業員が怖がって距離をとられてしまった(テキストのみ)

――従業員の方たちには、まずどのようにして、お伝えされたんですかね。

ええと、最初、まあコロナっていうことは伏せてたんですが、うそはなるべくつかないようにということで、ま、(おやじが)かかったっていう話をしました。で、その後に、やっぱりもっと、もっとすごい対応になりましたね。

――うーん、じゃその、かかったって言う前からちょっと、「あれ、あやしい」みたいにこう、されてたっていうことですかね、周りの方が。それで、そういうふうに正直にはっきりおっしゃったら、「あ、大変ですね」って話にならなくて。

うん。なんですかね、あの……ええと、まあ、あの、仕事してるんですが、おやじが元気なときに、それこそコロナになる1週間ぐらい前ですかね…に、あの、会ってるは会ってるんです。会社の関係の仕事の、要は、話をするんで。1回会ってはいるっていうところで、多分そういうふうな変な顔されたんだと思うんですね。

――普段は本当にそんなに、頻繁にお会いになるわけじゃなくて、月になんべんぐらいとか、そういう感じで?

月に、そうですね、月に1回、定例じゃないですけど、会議したりとかしてたんで、はい。

――じゃあ、そのぐらいの頻度でっていうことで。たまたま発症される1週間ぐらい前に1回会っていたということ。でも、それでも保健所の方からは濃厚接触者というふうにはされなかったわけなんですよね。

ええと、その段階では、まだ、要は(おやじの)コロナ(感染)が判明する1週間ぐらい前だったんで、お会いしたのが。で、ええと、その後コロナになって、従業員が、ええと、社長と会ってるよっていう感覚で多分、みんなの対応がちょっとおかしくなったっていうのは…ありました。

従業員とかにはもう、おやじが罹ったっていうことで、私にも疑いがかかったっていう感じで、結構みんなに非難されたっていうのは事実ですね。はい。

――その、「非難される」っていうのはどういうことなんですかね。どういうふうに。別に、だって、お父さまだってね、かかりたくてかかったわけではないし。なんか、その、怖がられたってことですか、すごく。

そうです、そうです、はい。あの、そうですね、なんか、なんかいつもと違う、みんな、態度だったんで。ちょっと私も、うーん、あの、引きました。「引く」っていうのは、うーん、なんて言えばいいんですかね…今までにない対応の仕方。しゃべるのももう、ずっと離れてちょっとしゃべったりとか、なんか避けられるような感じでしたね。

新型コロナウイルス感染症の語り

隔離終了後、翌日から働いていいと言われたが不安だった。会社と相談して休みを伸ばし、民間のPCR検査で陰性を確認してから復帰することになった(テキストのみ)

――で、あと、先ほど隔離期間が、15日までで終わったということで、これは発症してから10日間っていうことでの計算なんですかね、これって。

ああ、そうです、そうです。それも言うてはりました。保健所の人が。

――ああ。

そうですね。5日発症の、そうです、そうです。15日までをめどにって言うてて。んー、ほんでもう、僕なんか多分、全然体調もええから、うん、ですねえ。ほんで、ほんまに次の日から働いていいですよって。一応、僕何回もね、保健所の人に電話して聞いたんですけど、一応大丈夫ということになっておりますという感じやったんで。

――その辺はご自身はどうでしたか。じゃあこう、15日、まあ10日間たったと。で、これで出ていいのかなみたいなところは、どんなふうに。

いやあ不安、いや不安でしたね。そやから、会社ともずっと僕、毎日やり取りしとって、何回も。で、とりあえずどうするって、とりあえず20日をめどにしようかっていうふうに考えとるって、まあ会社の人、言うてくれて。

で、もうそんときでも多分、(療養施設を)出るときPCRとかもうやらないって分かってたんですよね。それで会社がもう、その民間のやつ(PCR検査キット)用意してくれてて、すぐ送ってくれたんで、うん。とりあえず様子見てからにしようと。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分の感染が判明したとき、一緒にいた仲間は濃厚接触ではないと判断されたのに、ライブハウスから出演を断られキャンセル料すら払われない理不尽な目に遭ったと聞いた

実は私が 、2日に熱が出たんですが、まだ自分でもコロナではないと思っていましたし、熱は下がったり上がったりっていうことを繰り返していたので。4日にリハーサルがありまして、あるグループの。で、そのリハーサルに行ったんですね。「でも、もしかしたらコロナかもしれない」って、まあ、ほんの少し思っていたので、ずっと私は分厚いマスクをしたままそのリハーサルは参加して。で、その帰りに濃厚接触者になった(自分が発熱する前に濃厚接触していた人がコロナに感染していたことが判明した)ということが分かったんです、自分自身が。

それで、ああ、そうなると、私がそのリハーサルに行ってしまったことで、リハーサルのメンバーが濃厚接触者になるかどうかっていうことがとても心配になりました。でも、保健所から電話いただいたときに、マスクを私がずっとしていたので、その人たちは濃厚接触者ではありませんということをはっきりと言われました。

その4日のリハーサルでご一緒していたミュージシャンの一人が、濃厚接触者じゃないということを言ったのに、とあるライブハウスから、ちょっと心配な声がお客さまなどから上がっているから、今日は来ないでほしいって言われてしまって、ある一つのライブを断られてしまったそうです。それを、うーん、私も申し訳ないなと思うんですが、濃厚接触者ではないし・・・なのに出演できず、そのギャランティーをもらえなかった、キャンセル料ももらえなかったっていうのは、ちょっと理不尽だなと思います。

新型コロナウイルス感染症の語り

身体を動かすことが辛く、月の半分も出勤できない状態が数か月続いた。申し訳ないとは思うが、こうした仕事に差し障る後遺症があると職場に理解してもらいたい(音声のみ)

私が、途中ちょっと息ができなかったりとか、せき込みがひどいときもあるんですけど、そういったことへの理解っていうのはあまり会社のほうではないですね。で、結局、…会社に行き始めたのが7月に少し、7月の下旬に少し行って、あとまた休んで、8月、半ばぐらいからまた少し行ってっていう状況で。10月もやっぱり半分は行けなかったですかね。もう体が、何て言うんですかねえ。今はなんか、それはコロナの後遺症だとかってよくマスコミでは言ってますけど、体が起き上がれなかったりとか、すっごくもう動かすのがつらかったりして、「ちょっと、これ会社行けないわ」と思ったりすることが、やっぱり9月、・・・8月9月10月、そうですねえ・・・は、ありましたね。

ま、それ以降もあるんですけど、ちょっと先ほども言ったように、まあ一応仕事で、理解もあんまりないので、ある程度、我慢して行くしかないっていう状況ですね。ただ、こういう自分自身の状況で、コールセンターはちょっとやっぱり向いてないかなあと・・・いうのは、もうちょっと最近は考えてます。しゃべっている途中で、やっぱりちょっとせき込んだり、ミュートにはするんですけどね、せき込んだりして、失礼にあたったりしますので。そういうことがあると申し訳ないなあというところですかね。・・・まあ、そこは最近ずいぶん感じてます。

今日はね、 それほどでもないんですけど、ほんとにね、つらいときってあるので、まあ、そういうときに職場の理解がないと「あ、また休むの?」とかね、そういう感じになっちゃいますから。まあね、コールセンターとかで休むと、ほんとそれは申し訳ないなとは思ってるんですけど、まあでも、もう少し理解してほしいなあとは思いますね。

うん、でも難しいとは思うんです。・・・ほんとにまあ、後遺症なんてほんと人によってね、違いますから。だから私、あの味覚とか嗅覚とかっていうの、まあ、大したことないと思ってるので。それはね、生きていく上ではとりあえずは、とりあえずは何とかなるだろうと、思うので。それに関してね、別にこれ後遺症で、嗅覚がないからとか、そういうことで、どうこう言うつもりも全くないんです。ただ、仕事ができないような状況があるということは、やっぱり・・・あのー、ある程度の理解はしていただきたいなと思いますね。

新型コロナウイルス感染症の語り

どうしても出なければならない仕事があった。復帰3日目に体調が悪化し、最大量の頭痛薬、ホテルやタクシー利用で通勤負担を軽減するなどして乗り切った(テキストのみ)

確か火曜日に、(療養先の)ホテルから戻ってきて、その週の土曜日までを自宅療養みたいなふうな感じで。

実は翌週からですね、どうしても、私が行かないとかなり大変になる仕事があったので、もうこれは、ここからは何としても職場復帰をせねばっていうところはあって。で、ま、その辺りは、産業医の先生とかももう、「基本的にホテル療養が終わったらば、職場復帰は可能なんで」っていうことは言われていましたから、その週の終わりまでで…自宅療養をしていましたから、翌週の月曜日からの職場復帰は、認められてはいたんですけれども。

その内容がどうしても、仕事上、病院に行かなくちゃいけない仕事だったんで、上司のほうからは、もうそれは絶対に無理だから、要は「職場のほうに出勤してくれ」っていうふうに言われたんですけど、私、職場のほうに出勤するよりも、仕事の病院先の仕事に行くほうがですね、通勤距離としてはね、半分ぐらいで済むんですね。

とにかく動くのがすごいしんどかったので、職場に行くよりも病院の仕事に行くほうが楽なんだっていうことを、必死に上司に説明してですね、それで、何とか説得して、認めてもらいました。

それで、仕事復帰、始めたんですけれども、その3日後ぐらいですかね、やっぱり再び頭痛と発熱っていう感じで、そのときも7度台前半という感じですけれども、そんな感じで、でも解熱剤とか飲んだりとか、そういう、頭痛がひどかったんですけど、とにかく1日もうマックスぐらい頭痛薬を飲んでですね、仕事をしていて。

で、その症状が出てから翌日とかは、ま、オンライン対応の仕事だったんですけど、「そういう大学にも出勤できないふうなことなんであれば、病院での仕事は無理なんですから、そういうふうに症状が出てるんだったら休んで、今からでも休んでください」みたいな(言われ方をしたけれど)、もうそしたら通勤距離を短くして、体への負担を少なくしながら、やるしかないっていう感じだったので、もうとにかく頭痛薬を毎日毎日マックス飲みながら、大学で仕事をしなくちゃいけないときは、大学の近くのホテルを取り、それから通勤距離を少なく、とか、帰りはどうしてもというときは、往復タクシーを自宅から使って、とにかく体を休めることを優先して、仕事をしたという感じです。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分の職場は理解があり「保健所が言うのだから」とすぐ休みが取れた。夫は職種的にリモートワークが難しく管理職も戸惑ったようだが、在宅でできる仕事を作ってもらった

で、 えっと、主人と私と娘は、そこ(息子の隔離解除の日)からさらに2週間健康観察期間を経まして、社会復帰することになります。この2週間の間は、私の職場は割と、あの、職場の理解が割とあったので、まあ、保健所がそう言うんだから休みなさいというふうに、ま、有給も余ってましたので、あの、休んだんですけれど、やっぱりちょっと主人の職場は、本当は職種的にはあんまりリモートワークできない職種なんですけれども、ま、家でできることは家でやりましょうっていうことで、主人は少しこの2週間の間に家で仕事をしていたような感じ(でした)。

夫の職場に勤務している、あの、年配の女性がこの休業期間に、私たち家族にケーキ届けてくださったり、「大変だね」とか言って(笑)、あの、ケーキ届けてくださったり、やっぱり同じように大変だねっていう方がほとんどだったんですけれども、やっぱりその上司の人たちが・・・。「え、そんなに休むの」みたいな顔してるのってやっぱりちょっと上司の人たちで(笑)。ま、でも復帰したら復帰したで、「じゃあもっと、今までの分働いてもらうよ」みたいな感じで(笑)、まあ「お帰り」っていう感じで、「よかった、無事に帰ってこれて」みたいな感じだったっていうふうには聞いてます。

新型コロナウイルス感染症の語り

医師、保健所には否定されたが、取材経験からこの嗅覚異常は間違いなくコロナだと思った。上司に相談して取材活動を控え、自主隔離して経過を見ることにした

で、やっぱりでも内科医の先生にも違う、保健所の人にも違うって言われたら、普通は「(コロナとは)違う」と思うんですけど、おそらくそれまで、(2020年)1月(コロナ感染拡大が)始まってから、中国の武漢とか、まあ、私その新聞社にいて、ずっと報道していたっていう経験もあって。「いや、これは絶対コロナだと思う」と、何となく本能が言っていて。

いやでも、万が一 ってことがあるから、とりあえず、子どもとは一緒に寝ないようにしようと。で、その日から私は、まあ、家の中で、隔離というか、なるべく子どもと会わないように、するっていうのが始まりで、同時に上司にも状況を説明していたので、上司のほうは、やっぱ万が一陽性だった場合に、ま、こういう仕事もしてるので、やっぱ外に出て何か取材活動していたってことになると、やっぱりいろんな、いろいろ社会的影響もきっとあるということで。まあ当然、自宅で経過見といてくださいと。内科医の先生にも保健所にも、コロナじゃないって言われたんですけどってことも伝えた上で、「いや、ただ、でもそんなに嗅覚がないっていうんであれば、やっぱりそれはコロナだったら大変だから、家で様子見て」 。

あ、そのもう一つ 、保健所の人がなんか、「夫は会社員で、夫も自粛したほうがいいですか」って言ったら、「いや、お父さん、いいんじゃない?普通に行って」とか言って。で、子どもたち、その保健所の人は私が子育てに疲れて嗅覚がないと思っていたようなので、「子どもも保育園休ませたらママもっと疲れちゃうじゃん」とか「(子どもを保育園に行かせて)ゆっくり休んだほうがいいよ」とか言って。「寝てれば治るよ」みたいなこと言ってたので、なので、ま、そういう多分、認識だったんで、(2020年)3月って。

新型コロナウイルス感染症の語り

意識が朦朧とする中で、黄金の麦畑をみた。天国に足を踏み入れたことで、聖書の言葉が初めて分かった気がした。コロナに感染したことで新しい人生をもらったと思った

ま、そう ですね、あの、得たものはもう大きかったですね。あの、一つは、全くそれまでの、えー、生活、ライフスタイルがね、変わりましたもんね。ま、それで健康になったっていうかね、メタボも、あのね、コロナにかかってダイエットができちゃった。5キロぐらい、ね、やせたまま、あの、元に戻りませんけどね。ま、その(笑)、ダイエットになってますけどね。それから、血圧もね、下がっちゃったしね。

――やっぱり、その、先生ね、そのライフスタイルがそんだけバッと変わったっておっしゃったんですけど、それはたまたま、そういうふうに変わったのか。何だろう。例えば、インフルエンザで、1週間も、1カ月も入院するってことないですもんね。やっぱり、その、入院しなければならなかったとか、そういうことが大きな原因なんですかね。その、変えようと思われた(のは)。

うん。それから、やっぱりさっき言ったように天国にね、足を踏み入れたってのが、あれが大きかったんじゃないですかね。あの、えー、黄金の麦畑を見ちゃってね、それで、すごくよかったですもんね。これは元(に)、あの、戻るのはもったいないなと思っちゃいましたもん(笑)。

――ということは、死の恐怖ではなかったんだけれども、でもやっぱり臨死体験だったってことですかね。

多分そうでしょうね、恐らくね。…で、今、今勤めてる病院、今、プロテスタント系の病院なんでね、毎朝礼拝をね、朝の礼拝やってますからね、讃美歌歌ってやってますけど、あ、なるほどとね。やっぱり、生まれ変わるってこういうことなんだなというね。えっとー、ま、もともとキリスト教徒ではないですけどね、あの、よく分かりましたね。

でね、あの聖書の言葉であるじゃないですか。あのね、風はね、おもむくままに吹くっていうね。で、それは、まず、風ってのは、その、ね、聖霊のことだけどね、それによってどこに、その風はどこに行って、どこにね、行くのかね、全く分からないっていうね。ま、だけども、その風が吹いて、そして、その聖霊がね、語ることは分かるってね。あ、なるほどな、とね。あの、前から知ってた、聖書の文句だけどね、コロナにかかってみて初めて分かりましたね。

あ、コロナって風だったんだっていう(笑)。そして、コロナの、それによってね、生まれ変わりがあるんだっていうね。えっとー、ね、そういう話だとね、つくづく思いましたね。