投稿者「dipex-j」のアーカイブ

前立腺がんの語り

小線源治療後PSA値が0.1ほど上がり、そうなると知ってはいたが驚いた。それからは一喜一憂しないようラインを自分で設定した

術後のPSA値っていうのも、ちょっとお話をさせていただきたいなというふうに思います。あの、私の場合は、術後ちょうど1年目の検査で、順調に下がっていたPSAが、えー、0.1ほど上がりました。がんの再生じゃないかと思って、びっくりいたしました。
 実は、あの、PSAっていうのは、3分の1の放射線治療を受けた方が、大体1年から3年までの間に、一度は理由なく上昇するんです。これは、もう十分、自分自身で知っていたはずなんですが、まあ、いざ自分の番ということになりますと、慌ててしまいました。ああ、もう赤面の至りなんですけども。
 まあ、こんな経験をすることで、私自身、あの、自分の危険水域といいましょうか。これまでの間は、まあ、あまりじたばたしないで、少しぐらいは上がろうが下がろうが一喜一憂しないというラインを実は設定してみました。それは、あの、自分の最下点、一番低い地点のPSA+1の段階になった場合、お医者さんとやっぱり真剣に話をしなければならないだろうと。それまでは全く無視しようというようなことでございます。例えば、私が今、0.5であるとするならば、あの、PSAが1.5になるまでの間は、もう一切、PSAについては心配しないというくらいの生活をしていこうということで考えておりました。
まあ、PSAが最下点に到達するのには、大体3年はかかるわけですし、長い方はもう7年もかかると。その間、あの、心配ばかりしてても体にもよくないわけですか ら、ご自分もお医者さんと相談するなりして、「どのくらいになるまでは安全だ」と、「がんなんて忘れて生活してもいいんだ」というくらいのラインっていうものを設定してみるのもいいかなと、私の経験上思います。

前立腺がんの語り

全摘手術と放射線治療を受けた後、8年近く経過してPSA値が0.2にまで上がってきたので、治療法を変えると主治医から言われた(音声のみ)

僕が聞いているその仲間で、よくなった人はね、PSAの値はね、0.000何ぼいうふうな数字になるんですよね。で、私の場合は0.01ぐらいにしかならないんですよ。それ以下はならないんです。で、まあ、当時としたらね、その病院では0.0…、まあ、「小数点以下2位までしか出しません」と、あるいは「出ません」かな、あの、「必要ないんです」とかいうふうな説明もあったんです。そやけど、そんな0.0000何ぼやいう人もおったもんですからね、何やこれ、どないなっとるんかなみたいな感じだったんですよ。
 で、でもあの、普通基準がPSAが0、ちゃうわ、4.0以下が基準だと、4.0、ちゃうわ、「4.0以上になると病気ですよ」「4.0以下はいいんです よ」みたいな、あの、説明も受けたように思うので、0.ね、0.02ぐらいになればええんかなと、治ったんかなという、まあ気持ちだったんですよね。で、まあ、後、その後いろんな、まあ、インターネット見たり、本買ってきて読んだりなんかしてると、そうでもないなと。これはなくならなあかんのやなと、みたいなね。0.000で、もうあとは0になって、しまいは0になってしまわないかん病気やなということがまあ分かって、私は病気やなと。
で、まあ…転換期というか、あのー、非常に微妙なPSAという、数字をもとにしてこの病気の治療をやっていくらしいんですが、あのー、まあ、僕、7年半ぐらい、まあ8年近くたってるんですけど、うーん、2~3ヶ月前にですね、ちょっと、あのPSAの値が0.0の単位、小数点2位の単位で動き出したんですね。そやから、具体的には0.19何ぼやったやつが0.2何ぼになりましたよと、いう状態になったんです。そんで、あのー、で、主治医の先生は、「この大学では0.2になれば治療法を変えるんです」ということをまあ、おっしゃったんですよね。で、あのー、病院によっては0.4まで見る、あの、病院もあるんですけどっていうことで、で、あのー、まあそのー、「治療法は何ぼでもあるんですよ」と、「ほかにもあるんですよ」と。まあ、これは気休めかどうかは知りませんけれども、まあ、そのようにおっしゃっていただいてくださってるわけです。

前立腺がんの語り

術後11年かけてPSA値が上昇、再治療をしなければという段階にある。今後はがんと共存するつもりだが、その前に打つ手はなかったのかとも思う

ずっと手術してから何年かは、本当に腫瘍マーカーのPSAですね、非常にいい状態でおったんですけど、順次非常に微妙な0.1以下のところで少しずつ少しずつ増加をしてきまして、もうこの近くになりましてもう11年ぐらいになりますけど、やはりそれがある程度上がってきまして、やはり再び治療しなければというふうな段階に、現在は来ております。で、今私の考えは、前のときはがんと闘うと、がんをもう消してしまうというふうな気持ちでやりましたけれど、私も年齢も76歳にもう間もなくなります。そうするともうこれからは共存して、自分の本来の持っている命の間、共存していけるような治療をというふうに考えておりまして、代替医療とかそういうものも含めて、あまり体に酷なようなことはせずに、あのー、共存しながら生きて、そして今のような社会貢献を少しでもしながら生きて行きたいなというふうに思っております。
私(のPSA)が0.1以下からそれから順次こう0.1のほうに上がっていく過程の中でね、これは私の主治医はこういうふうに上がっていくのは、手術のときに前立腺の一部が体の中のどこかにあって、そっから出てる特異抗原がこういうふうになってPSAに反映するんだと。0.1以下っていうのは非常に微量ですわね、だからそういうふうにおっしゃってたんです。だからもう問題にしない、もう全然あなたはもう悪くなったんじゃないとこういうふうにおっしゃったけど、順次ずーっと上がってきたんです。で、まあそういうふうにおっしゃるような先生は他にもいらっしゃるようですし、大体今の医学ではそれ(0.1)以下では治療はしないということなんですけど、本当は何かそのときにも何かあるんではないかと。やっぱりあの、がんでの治療によっては徐々にゆっくり、前立腺がんは大体徐々にこう、非常に時間が長くかかるんですけど、時間が長くかかっていくやつもあれば、急に上がるのもある。だからそのときになんか打つ手はなかったんだろうかと。あのー、それは、代替医療も含めてですね、なんかそういうものを、本当に、あのー、考えてもらえれば。私のような例はやっぱり少ないようですね。かなり10年も経てばまず出てこないとこう言うのですが、やっぱりそれでもないのがありましたから、そこらへんはあのー、その「違う」というふうに否定されて、私は何べんも怒られたんです。しかし今そういうふうに出てきたから、もう先生何にも言わないようになっちゃって。そういうふうな経験がありましたので、1つ付け加えておきます。

前立腺がんの語り

全摘除術後にPSAが高く、治っていないと分かったときには、頭が真っ白になって、心に鉛を飲み込んだような気持ちになった(音声のみ)

一番の苦しかったのは、やっぱり手術前後かな。あるいは手術してから、「あ、治ってないわ」って分かった、この辺はやっぱり、しんどかったですね。でも、それがまた続くと惰性になってきて、ある種、こう慣れてしまってるんですよね。この頃はもう、何か頭が真っ白っていうか、心にこう鉛を飲み込んだような気持ちで、いろんな資料もっと集めたりですね、死について考えたり、死ぬっていうことを積極的に考える方法があれば一番いいなとは思うんですけど、なかなかそれは難しいと思います。

前立腺がんの語り

PSA、PSAというがノイローゼのようになるし、値で一喜一憂する方が、かえってマイナス。自分にとってはPSA値がない方がいいように思う

――あの、かなりの高い数値(※PSA値)に行くまで、ずっともう頑張ってしまわれたわけですよね。

何もしないでね、うん。

――その辺はどういう判断をされたんでしょうか。

うーん。まあ、行くまでにはいろんなことを、先ほど申し上げましたように、いろんなこと(補完代替療法など)やってますから、どれかが効くんじゃないかと。ね。まあ、何でもいい、効いてくれたらいいという、やっぱそれの希望があったから、その、ホルモンに移行したくなかったわけですね。ですけども、どれもPSAは下げてくれなかったですけどね。ホルモンはPSAを下げてくれましたけど。まあ、ある程度、その、そんなね、0.1とかそんなことを気にして、する必要ないと思いますよ。じゃあ、0.1上がったからいって、がんがどんだけ大きくなったとか、それは全く関係ないですからね。ですから、PSAなんかあんまり、その、一喜一憂するほうが、かえってマイナスだと思いますね。

――ご自分の中では、幾つまでっていうのは何かもうあったんですか。

まあ、100までね。100はしょうがないなと。100になったらやろうかなと。(がんセンターの)先生が20~30言うてましたからね。まあ、大体、医者はシビアなことを言いますから、30言うなら100ぐらいだろうと(笑)。「20~30になったらギブアップだよ」と言われましたからね。その、100以上になったらギブアップだなと。

――それはご自身の判断ですね。

そうそうそう。
ですけどね、これね、まあ、PSAもね、あの、よし悪し(わるし)ですね。PSAノイローゼみたいなもんですね。この、ほかのがんは、これほどきっちり、あの、腫瘍マーカーが出るやつがないわけです。で、肺がんしてますけどね、肺がんとか胃がんとか他のがんにはね。ですけど、この前立腺がんだけは何かPSAが上がったら大変だとかね、そういうこといろいろ言うわけですね。
まあ、体の調子にも何も関係ないですから、こういうね、腫瘍マーカーがあったから、私にとってはですよ? えー、逆になかったほうがいいな(笑)。PSAなんかないほうがいいんじゃないかなというような気もするんですけどねえ。

前立腺がんの語り

皆検査の値ばかり気にするが、自分は全然気にしない。「今日をしっかり生きればよし」という考えでいる

――ご自身にとっては、PSAの値っていうのは、どういう感じですか。

わたしは、そげに、たいして、あの、気にかけておませんわ。気にしたらね、余計どもねえ、あの、ほかの病気がつくような感じがして、そんな値は気にしません。あの、人はみんな、値、値、値ばっかり言いますが、何でも、糖尿病やなくても、みんな値、値のこと言いますが。わたしはそういうことは、全然気にしません。 はい。

――それは、あの、その何ていうか、この病気にかかる前からも、そういうお気持ちっていうのは、持ってらっしゃったんですか。

ああ、それは、ありましたよ。

――ああ、何か、こうきっかけみたいなのってあったんですか。そういうふうな、お気持ちになられるような。

いいや。大したそげに、そういうその、きっかけちいうか、いらんけ、全然そげね、あの、値に関しては、全くこう、素人みたいなもんで。大した気にしちょりませんわ。何でもですわ。値、あの…人は、何でも値、値って言われますけどね。わたしの場合は、そういうことは、もう全く。もう先生が、まあ、いうべ、えらそげ(※大変そうに)に。もうそれに従うよう手がありませんだけんね。悪うても良うても、値がね。だけん、たいしたそげに。まあそげに、人間ね、あの、生きてから何にきたいらいたか分からんども(※何に鍛えられたか分からないけれど)、明日のことが分からんに、今日、しっかり生きらな良いとされけん、いつも考えで暮らしちょりましたけん、大した、そういうことを、あの詳しくねえ、知る必要もなし、わたしは。そういう考えでおります、はあ。それがまあ、普段からの考えです。わたしの考えです。

前立腺がんの語り

全摘しても再発する可能性があるとネットで知り、後悔したくないので医師がなんと言おうと3ヶ月に1回PSA検査を受けるようにしている

ただ、たまたま、そのインターネットに書かれていますけども、あの、前立腺の場合は、全摘出しても、まあ、再発するということ、うたっている部分があるんですよ。そうすると、やはり心配なんで、ま、それも早期発見、早期治療ということ考えていますから、先生は、半年に1回くらいしか、そういうPSAのね、検査をしなくてもいいですよって言われたんですけども、わたしは、3ヶ月に1回、まあ、やってくださいということで、自分が積極的にね、一応、やってもらっています、今は。

――それは、ご自身の提案で。

そうです。はい、はい。やっぱり、3ヶ月のギャップというのは、かなり大きいと思います。正直言ってね、うん。早く見つかれば、その分だけ対応できますからね。

――できるだけ早く対応するために。

そうです。

――3ヶ月に1回。

ええ。それは、自分としては、3年間は、先生がどうであろうと、わたしからは、そういうつもりでお話するつもりです。3ヶ月に1回やってくださいと。

――もうこれは変えない。

はい、変えないです。絶対、変えません。あとは、後悔したくないですから。あの、あのときは、早く受ければよかったなというようなね、その後悔が一番ね、ほんとに悔しい思いっていうのは、いっぱいいると思うんですよ。中にはね。だけどわたしは、積極的になんでもね、前向きな姿勢でいますから、そういう意味ではね、やっぱり全然、何言われようとも、自分の意思を通すほうですから。はい。自分のためですもん、はっきり言って。ほかの人のためじゃないですから。自分のためですからね。そういう、あの…受けるのは。

――自分のため。

自分のためです、はい。自分のため。先ほども申しましたように、なぜかというと、まあ、家族のためでもあるし、ね、わたしは退職しましたから、やっぱり親類のためでもある。そういう大きく輪をもって考えないと駄目だと思いますね。

前立腺がんの語り

どこかにがんが残っていると途中でPSAが上がってくることがあるらしいので、医師に大丈夫と言われていても再発の心配は消えないのかもしれない(テキストのみ)

がんについてはね、もう、不安はほとんどないです。ただ、今の、PSAっていうのは、こう、上がるとね、上がるときがあるんだそうですよ。うーんと下がっても、で、その上がると、あの、ちょっと再発っていうことが考えられるらしいんです。だから、だから、それ、…いつ上がるかなっていうのは、そういう心配はありますね。先生は、「大丈夫だ」っていうふうに言われているんですけど。でも、あの、中にはあるらしいんです。あのー、また、途中で上がってきちゃって。やっぱ、その場合再発って、どっかね、がんが残っていたとか。あの、そういうふうなことでね、あの、出てくることがあるらしいんですね。だからまあ、ちょっと、そうですね、あの、そういう心配っていうのは消えないかわからないですね。

前立腺がんの語り

PSA値が変動する理由をネットで調べたり聞いたりした。放射線治療後は値が下がるまでタイムラグや個人差があるのを知り、安心した

――あとやはり前立腺がんの方の掲示板なんかでこう情報交換されていて、特に他の方の体験でこういうことがご自分の今までの中で特にこういうことが知りたくて、こういう掲示板で聞いたっていうことってどんなことがありますか。

やはりあの、PSAの推移ですね。時間と共にどのように変化してどうなっていくのか。上がったときはどういう理由づけがされたとか、そういうところですね。だから手術直後に下がる、PSAがほぼ0になる人とならない人の2種類おるわけですけれども、0になった人はそれで前立腺がなくなって完璧に治ったわけですけど。0にならない人ですね、こういう人のもまあいろいろ見ていて、非常に教えてもらってですね、放射線の場合は下がるのに時間に 遅れがあるんだっていう情報も得てですね、そういうのを聞くと安心しますし。そういう、なんていうか手術、ホルモン療法、あるいはあの、放射線によってですねPSAの変位が違うという情報を得るっていうことは非常に安心感がありますね、これは非常によかったと思っております。それぞれの人がみな見えるもんですから。

――放射線の場合はどのくらいの時間の差があるんですか。

だいたいみなさんの場合だと3ヶ月、早い人だと2ヶ月ぐらいから下がりはじめる、後から、放射線してからですね。3ヶ月4ヶ月後から下がる人もいるし、中には1年後から下がる人もいるし、そのへんが大分とタイムラグが。人によってまちまちなんですよ。私の場合ですとだいたい2ヶ月ぐらい遅れて下がってきたんですけど。

前立腺がんの語り

放射線治療(IMRT)後のPSAの変化は、0.6~0.7で上下0.2の幅があった。小さい数の上下に一喜一憂する必要はないと思う

今のところ治療が終わってほぼ3年が経とうとしておりますけれども、えー、体自体は元気にずっと過ごしてますし、PSAそのものも、まあ上下動はありますけれどもね。上下動はあるけれども、まあ大きい目で見ればほぼ一定の数値で動いていると。ですから、まあ、こういうがんという病気はなかなか、あの、完全に治ったということは言いにくい病気ですけれども、まあ、今のところは問題ないので、先の心配まではしてないんですけど。私個人的には、治ったととりあえず信じとるわけなんですけれどもね。
あと、PSAもね、あの、手術した人なんかは数値がうんと小さくなってしまうんですよ。だから、0.01とかそのぐらいの動きに非常に皆、敏感になっておられたりするんですけど、私らは、放射線の場合、まあ、放射線でもね、下3けたぐらいになる方もおられるんですけど、私の場合なんかは1に近い、1を割って良かったなぐらいの感じで、今0.6~0.7、0.5台から0.7台ぐらいで、上下の幅は0.2ぐらいあるんですよね。それが上がったり下がったりしながら全体として、ほぼ平衡だという状況ですんで、まあ、あの、細かい、特に放射線を受けられた方は、全体的にならしてまあ水平だと思えばいいじゃないぐらいの感じで、あんまり小さい数の上下に一喜一憂する必要はないだろうと思うんですけどもね。ちょっと細かい数字を割と気にされる方が非常に多いように思ってます。