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前立腺がんの語り

5年生存率10%という数値は統計にすぎない。その10%に入ればいいと自分は受け止めた。だけど、こうした告知の仕方はいかがなものかと思う

ただ、その告知もね、いかがなものかというのは実はあります。で、それは、以後はっきり分かりましたけども、もう日本で有名な大学病院です、やっぱりね。大学病院の中でもかなり有名な大学病院ですので、しっかりとした対応はもちろんしていただいたし、感謝はしていますよ。だけど、例えばがんの告知1つにしても、本当はね、私は実はその心理学の勉強をしているから、それなりにそういうふうに受け止めて冷静に、じゃあ、どうすればいいのかって対応のことを考えましたし「(5年生存率)10%以下しかありません」って言われたときに、じゃあ、でも、それは統計データだよな。一人一人違うよね。自分が10%に入ればいいんじゃないかって。自分は、実はその…気功とかをやっていましたので、自分で治すっていうのが自分の考え方の基本にありました。

前立腺がんの語り

触診で「石のように硬いものが手に触りましたから、完全にがんですよ」とはっきり言われ、本当に驚いた

PSAが4.8になりまして、すぐ先生は「生検して調べないと」っていうことで言われまして、それで生検をしましたら、先生が触診で手を入れてみましたら、何か硬いものが手に触るっていうことでね。それで「これはちょっと、がんじゃないかな」って、先生に初めてそのときに言われて。自分でも本当にびっくりしちゃいましてね。

前立腺がんの語り

そんな簡単にがんっていうの?という感じ。薬が効くがんだから医師もはっきり言ったのだと思うが、もっと慎重に言ってほしい(音声のみ)

で、これちょっと、がんの検査せなあかんなということで、で、まあ、主治医の先生2人制のその病院だったもんで、どっちの先生やったんか、ちょっと忘れたんですけれども、検査しましょうということで。ほんであの検査…注射器で7カ所かな、検査するわけなんですけどね。そうするとね、7カ所からがん細胞が出た、いうんですよね。で、「あなた、がんですよ」と言われたんですよ。で、がんいうたら、もう怖い病気やと思うてましたから「ええっ?そんな簡単にがん言うの?」というような感じでしたよ、自分としたらね。で、こんな簡単にがんなんて言われてええんかいな?みたいな。もっとね慎重にね、言うてくれるのが普通かなと思っておったんですけど、まあ、そんなことで。
がん言うたら一般には怖いですやんね。今でもそう思いますけどね、がんていうのはそう…何か、本なんかね、一般的には奥さんだけ呼んでとか、子どもだけ呼んでね、内緒に言うとか、本人知らへんとかいうねえ、世界や思うてましたら、本人の前ですか?という。「ええーっ?」と思うて。まあ、そういうがんなんでしょうね。ちょっと一般のがんとちょっと違う、進行の遅いというか、薬が効く、絶対に薬が効く、有効なんです。有効期限がありますけど、絶対に効くんですね、ホルモン療法いうのは。でまあ、その長短はね、あるみたいですけど。まあとにかく絶対に効く、5年やそこらは絶対効くというあれですね。

――そういうのがあったから、先生もズバッと言った?

言うたと思うんですね。

前立腺がんの語り

精密検査の前にがんと言われて、検査の結果やっぱりがんと言われた。隠さないでがんと言ってくれたので落ち着いた

もうすぐ、ちょうど家内と2人で行ったんやけども、調べた時点でもう「あら、これはがんです」っていうことで「まあ、調べますけども」っちゅうて、取ってきたような調べたら「やっぱりがんです」っちっていうことで。うん。もうほいで、もうすごく、がんってもう隠さんと、先生は言うてくれたんよ。うん。

――「隠さんと言うてくれた」ということは、ご自身も言って欲しかった?

うん。まあもう、そんな隠さんと、もうな、言うてもうたほうが、気持ちが…な、落ち着くような気がするわな。あんまり隠されたら余計、ものすごく悪いんかいなっていうような気もするさけなあ。

前立腺がんの語り

検診後、説明なしに別の病院を紹介され、不安になって紹介元のかかりつけ医に「おかしい」と訴えたところ、がんだと伝えられた

残念ながら、その検査(検診)を受けた病院では、私に前立腺がんとは言わなかったんです。というのはね、当時、うーん今からちょうど11年前ですね。時代背景からいって、当時は医者が前立腺がんであるということを病理学的にはっきり示されたから、僕にそれを言うべきなんですよね。それを言わないんですよ。言わなかった、ということは、当時の世間情勢からいうと、お医者さんが患者にがんの告知をするというのは、非常に難しい状況があったということです。
通常は、組織検査までやったわけですから、1週間後に結果が出る。だから「1週間後においでください」。で、結果を聞きに伺った。そこで結果が、良し悪しを説明するのがお医者さんの責任でございましょう。その「優秀な信頼感のある先生だよ」というふうに言われて、紹介された病院の先生が検査の結果が分かっていながら、その紹介状を持たされたということは、普通じゃないなと。

――何にも説明がないまま。

前立腺がんに関しては、がんという説明はありません。だから、私はその晩、とっても気持ちが落ち着かないで、不安で。普通だったら、何でもなければ「異常ありませんでした」と言うはずなんですよ。それで、それを言わないで、「A病院へ行ってくれ」という紹介状を渡されたわけですよ。そういうことって常識だったらあり得ないじゃないですか。だから私はもう疑いました。それで、紹介をしてくだすった、私たちのかかりつけ医、先生のところへ行って、「先生。先生の紹介された病院へ行って検査を受けましたよ」と。「生検、血液検査、レントゲン検査。で、1週間後に結果を伺いに行ったら、紹介状を渡された」と。で、「私が2度も3度も『結果はいかがだったんでしょうか』と質問しても答えてくださらない」と。「異常なければ異常ないという説明があるはずだ」と。「異常ないという説明は皆無だった」と。「先生、これ、おかしいですよね」と、何遍もそのかかりつけ医に聞きました。で、「ちょっと待ってね」と言うんで、僕といるところから席を外して、先生が聞いてくれたわけです。「私との関係だから、はっきり申し上げるけれど、結果はがんです」と。「やっぱりね」と。

前立腺がんの語り

16年前診断を受けたとき、自分には良性だと伝えられていたが、家族には余命5,6年と告げられていた。最初の入院のときは家族・親戚全員が集まった

それで入院して、そのときはまだ、前立腺がんとは告げられませんで、要するに腫瘍があると。検査しなさいということで、検査しまして。大学病院にその検体を持って行って、悪性とあとで分かったんですが。最初は家族には「良性であって、手術をする必要はありません」ということを聞きました。それは、家族からも聞いたし、先生からも最初聞きました。で、検査終わったあと家族には、余命5年6年と言われました。そのときに先生の話では、悪性の進行性であって、それで骨に転移するだろうというようなことで、今になっては…思われます。ちょうどそのときが、歳として47歳。今現在、63歳で、16年も経っています。で、今まで16年の間に、最初入院したときには、総合病院で、家族全員…集まってきました。……あとで聞いたんですが、もうあと余命5~6年ということで、兄弟全部集まったみたいです。
3年ぐらい経ったときに、主治医が変わりました。そのときに、いろんな内容で、先生がわたしには内緒で、女房だけ話したいことがあるとか、そういうことで、あとで悪性で進行性っていうことに気づきました。

――というと、奥さんと先生が話しているということを知って、おかしいなっていう感じになった?

そうです。で、そのあとに先生に問い詰めたら、悪性であって進行性ということで、その頃はまだ痛みもないし、まだ仕事もできたし、もうそれで、もう先生の言いなりにしていました。

――ずっと良性だと思っていたものが、悪性だって分かったときの気持ちはどうだったんでしょう?

そのときは痛みもないし…まだ仕事もできたから、別に何も気は…おこりませんでした。で、最初はやっぱり一番驚いたのは…58(歳)になったときに、血尿が出たときに、「ああもうおれは駄目だな」と思っていました。最初はですね。その間、血尿というのは1回も出なかったもんで、ただ、腫瘍マーカーPSAは上がったり下がったりというような状況だったもんで、そのPSAが上がろうが下がろうが、痛みとは全然関係ございません。

前立腺がんの語り

診断を聞いたとき自分では前立腺が悪いと思っていたので、見つかって幸運だと感じたが、同席した妻は相当ショックを受けていた

最初、6発打って1発のときは「悪性細胞が出ました」ということなんですよね。悪性細胞っていうのは、まあ、がんでしょうから。先生、がんとはおっしゃいませんけど。悪性細胞とおっしゃったんだけど。で、「奥さんと2人で来てください」というようなことで、その後、多分その…何ていうの。その答えをですね、どっかに送って再確認されたみたいで。再確認の結果が出たときに2人で行って「通告していいですか」って。「通告してください」と。「2人に」ということで、「がんですよ」っていうことで通告してもらったんです。私はもう、そう思ってましたから、まあ、問題なかったんですけど。かみさんのほうが大変だったみたいです、はい。ね、やっぱがんって言われたら、びっくりしますよねえ(笑)。うん。
家族の者はね、特にかみさんあたりは「もう目の前がくらくらした」というようなことでね。知らんですからねえ、がんっていうこと自体に、もうびっくりするわけですね。「そんなん、がんといっても大したことはないんだ、このがんは」って。治療できるがんだと。手術できるという話で、私のほうがね、納得させるようなもんで。ただ、かみさんとしては、やっぱ、がん、がん、がんという話がありますから、どうしてもこれは自分がね、サポートして治さないかんと。治したらないかんというような気にはなったみたいですけどね。うん。まあ、えらく気を張ってねえ、「手術受けなさい。そしたら、もう大丈夫だ」とか何かね、逆におれを、私が言うようなことをね、また向こうが今度は言い出してね(笑)。最初のショックから直ったんでしょうね。うん。

前立腺がんの語り

告知を聞いたときは一人だった。家族は後から医師に呼ばれて診断を聞いたが、家内がとても明るかったので気持ちは楽だった

告知は一人で受けたというふうに思いますね、その場にはいなかったと思います。はい。
で、「ご家族の方、いらっしゃったら」ということで、家族に直接話があったんだと思います、うん。ですね…はい。

――その後、ご家族とお話はどんなふうに持たれたんですか?

で、私に直接全部告知があったことですから、当然家族にもですね、全部話はされているという前提でおりましたので、「いや、おれ、聞いたと思うけど、がんになっちゃって。末期なんだよな」みたいな言い方はしなかったと思います。もう分かっているっていう前提で。うーん、何か言ったかな。頑張るとかってそういう話をしたような覚えはないですね。うーん。ありがたいと思ったのはね、家内がとても明るいんですね。明るいので、泣く場面はなかったですよね。家族と泣き合う場面はありませんでした、そういう意味でね。うん。で、それが、だから患者として気持ちが楽ですよね。うん。泣かれたら、やっぱりつらいというふうに思うんですけども。だけど、泣いちゃう家族の方もいらっしゃいますでしょうね。告知の状況によるけども。まあ私の場合は家族が明るくて、まああの、告知を受けたときにどういう表情をっていうか、状況だったか分かりませんが、家族がね。全部、子ども3人いるんですけど、家内と3人で話は聞いたということですね。

前立腺がんの語り

診断時の説明では初期だったのでそうショックはなかったが、浸潤がみつかり術後の病理検査でグリーソン・スコア9と言われたときはショックだった

手術をしましたところ、終わったあと先生に言われてちょっとびっくりしたんですけど、今まで初期がんだと思っていたのが、前立腺の外にまで、がんが飛び出しているということで、ステージからいくとCですね。Cのステージ、T3a*という、そういう状態ですよと。しかも運の悪いことに飛び出しているがん細胞が低分化がんだったと。高分化、中分化、低分化というのがあるんですが、グリーソン・スコアが、そうやって呼ぶんですが、9だと。** 9だと非常に悪い状態だということで、そこでまあ、今まではあんまりショックを受けなかったんですけど、それでちょっとショックを受けました。
最初がんだと言われたときはですね、初期がんだと。で、前立腺がんは大したことないよということを言われたので、ショックは全然受けなくって、少しずつ重くなっていたものですから。お医者さんに伺うごとにですね。それであの、最後にくるほどショックは大きくなったと。まあそういうことで、急に大きなショックを受けなかったのは、かえって良かったかなとそういうふうに思っております。
*病期の分類法にはABCD分類とTMN分類があり、「T3a」は後者で、前立腺に被膜の外に進展する腫瘍があることを示しています。
**グリーソンスコアについては<a href="”>診断のための検査を参照。

前立腺がんの語り

がんと診断され、なったものはしょうがないと思っていたところ、どこにも転移はないと聞き、ルンルン気分になり「治った」と思った(音声のみ)

これはしょうがない、もう、がんになっちゃったらがんなっちゃったで、そのように先生にお願いして、いい方法で持って行くほかないなと思って。私は、ある程度は覚悟しましたけんどね。だけどまあ、たまたま先生が、「がんですけんど、調べたらどこにも転移していないから大丈夫でしょう」って言うんで、まあ正直、脳天くりで、ルンルン気分にはなっちゃいましたね(笑)。うん、だから…とにかくもう、そういうふうに言われたらまあ、くよくよしないで。
私はもう、検査してもらって、どこにも転移していないっていうんで。ほんとにそれ聞いて、正直ルンルン気分になりましたね、ええ。私はもう。いちいち、そういう細かいことにくよくよしないタイプだから。だから、がんが転移していないって聞いただけで「ああ、もう治った」って、そういうかたちですから。うん、くよくよしないです。あとはもう、仲良くそれと付き合っていくだけで。どういうふうに付き合っていったらいいかっていうのは、もう自分で考えて。で、病気と一緒に仲良く付き合っていくっていう。そういうだけの話ですね。