投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

学部は支援センターなどが多いが、大学院は必ずしもそうではない。支援の窓口や専門のスタッフを各大学院に置いてもらえると、障害者の研究者が生まれやすくなると思う

助けてもらう窓口とか、そういう相談窓口っていうのは正式にはないので、そういうその支援センター、支援、教えてくれる部署ですね、学生センターの中の一つ、例えば障害者担当とかっていうのを大学院にも設置していただけると、意外と外部の人は入ってきやすくなるかもしれませんね。
実際に僕は中に入って何とかその職員とともに、その協力してもらいながら、理解してもらいながらうまくやっているものの、これってやっぱりそのパーソナリティーに依存するところがあると思うんですよ。一般化しているわけじゃないと思うんですね。
だから、こんな、私だからできる、特定の人だからできる、それは視覚障害者は全員できるではないので、うーん、やはりその支援の窓口、相談をする所。で、相談した所から、各方面に働き掛けてくれる、そういう専門のスタッフっていうのを各大学院に置いていただけると、うん、非常に、これからは、その障害者の研究者は生まれやすくなると思います。
大学の学部のほうには結構ね、支援センター、できているところは多いですし、まあ、それこそ専門職教育、要するに資格を取るとか、あの、今、大学に通う方って人口もね、70%、80%超えていますから、そういうその支援センターを置くところは増えていますけど大学院教育、研究者教育は必ずしも今、日本人が全ての、ね、あの大学院に通っているかっていうわけじゃなくて、まあ、恐らく、50%達していないと思うんです、正式にちょっと書類を見ていませんけど。なので、これからで、障害者が通うようになっていくと、少しずつ取り組みが変わっていくんじゃないかなとは思っていますけどね。

大学院も、大学の学部も同じ、敷地の中にある場合は、えー、学部に、その支援センターがあっても、ちょっと手伝ってとか、えー、そこを使ってもいい?とかいうことが起きてくるかもしれないし、特にべつに大学院設置してなくても、まとめて学生の皆さんは支援センターで受け、相談を受けますよっていうことになると思うんですけど、大学によってはね、大学院校舎と学部校舎が、もう電車で1時間とか、車で2時間とか、そういう距離で離れている場合なんてあったりすると、あの、大学院は大学院、学部は学部で職員を置くっていう、その何ていうの、うーんと、人件費がまたかかってきますから、まあ、これはもう大学の運営の仕方とか、まあ、えー、立地条件によっても左右されるんじゃないかとは思いますね。
そうじゃなくてもウェブ、電話で受けてくれるとか、相談だけでも受けてくれるとか、えーと、ウェブ、うん、あ、えーとね、テレビ電話でも何でもいいんですが、ウェブテレビ電話とか、まあ、そういう環境をつくってくださるとですね、いいかなと思います。
物理的に、その相談窓口が、あの、そのカウンターとしてなくても、うーん、そういう環境も整備してもらえたらな、相談だけでも受けてくれたらな。で、その相談受けたところは大学院にも、か、働けて、働き掛けてくれたらなっていうところは、まあ、感じますね…。

障害学生の語り

自分は障害者雇用で就活をしたが、大学には障害者雇用に関する知識を持った人が少なく、キャリア支援室も、障害者雇用については知らないことが多いと感じた(音声のみ)

自分がすごく感じたのは結構、障害者雇用に対する知識を持った人がまだ少ないのかなっていうのは感じてて。カウンセラーさんも、あの…、就職に関する専門のカウンセラーさんではないから、ちょっと就職に関しては、あの学生さんがこう言ってたよっていうような話しかできないところはあって。で、キャリア支援室の方も、こういう障害者雇用専門の、あの…、キャリアカウンセラーさんではないので、まだちょっと知らないことが多いのかなっていう感じがしてて。で、病院の先生も、その障害者雇用について知っているっていうわけではないので、何か。なので、もうちょっと、そうですね、障害者雇用についてのよく知っている人が大学にいてくれたらいいのになっていうのは感じます。

障害学生の語り

学生相談室のほかに、保健センターやキャリア支援室など様々な相談窓口があったが、相互にあまり連携が取れていなかった。お互いが連携を取れるといいと思う(音声のみ)

あと…、その大学の学生相談室と、保健センターと、キャリア支援室と、いろいろ相談窓口があるんですけれども、何かあんまり連携が取れていないのかなって思うところはあって。相互にちょっと連携取って情報交換したりすると、もうちょっと、あの、こういうことで困っている学生さんがいるっていうのが全部に伝わると、もうちょっと良くなるのかなって思うところはあります。

――相互に連携ができてないかもしれないなって、ご自身が思われたのは何かこう、いちいち全部説明しなきゃいけなかったとか、何か具体的なそういうことがあったんですか?

そうですね。まあ、どこにいても、まず自分のことをいろいろ話したり、障害について話さなきゃいけないっていうことがあったり、まあ、それこそ、うーん…、やっぱり障害者雇用…、のことを相談したくてもこう、どこに相談したらいいんだっていうのが分からなかったり、どこに相談しても、あの…、対応してくれるっていうふうになったら一番いいのになっていうふうには思います。

障害学生の語り

バリアフリー支援室はまだ一部の専門性に偏っているが、支援室が全ての学問に開かれて障害学生が抱える傷や困難と学問をつなげられたら、地域にとって資源になる

バリアフリー支援室っていうのは、まさにそういう現状ではまだまだ一部の専門性に偏っているというか、本当なら知識ソムリエではないですけれど、他の場所ではできない障害学生支援を大学の中で展開してほしいですし、そのためには支援室が全ての学問に開かれていて、で、目の前の障害学生が抱えている傷や困難をインテーク、しっかりインテークして、もしかしたらそれは文学のほうかもしれないとか、法律かもしれないというふうにこうつなげていくような支援が、もし大学の中で実現できたら、私は当事者研究という言葉にそういうものを期待しているんですけどね、自分の傷や困難と学問をつなげるというふうな、その橋渡しのキーワードだと思ってるんですが、そういうものを展開したときに、おそらくどこにもない障害学生支援、障害者の支援が大学の中で展開できると思うんですよね。
それが、そういうものが実現できた暁には、多分大学の資源としてオープンに地域にそれを開いていけると思うんですよね。私個人の、にとっては大学の4年間というのはやっぱり知に触れた、生き延びるための知に触れた。あと言葉ですね。やっぱり何もそれに何か悔しい出来事とか、傷ついた出来事に対して言葉が見つけられないっていうことに対して、言葉をくれたのが4年間でしたので。いや、私はやっぱり障害を持っている方こそ大学は、ぜひ来てほしい…。

極端な言い方をすると、それは、あの地域に、それをオープンにすることで大学の資源にもなると思うんですね。今、財源に余裕がないというのは事実なんですけれど、それは一つには、その何ていうんでしょうね、まさに障害が有ろうが無かろうが皆当事者で、当事者の困難と専門知というものが乖離(かいり)していては、まあ、売れるものがないというか、大学が地域に対して、社会に対してどのようなものをこう…、貢献できるのか、そこに対して地域が、まあ高信頼性組織じゃないですけど大学というものを信頼してくれて、これだったらみんなで支えようっていうふうに思えるのかどうかだと思うんですよね、財源の問題というのは…。
で、今日の、そういう当事者の傷や困難と知恵をつなげるっていう話は、恐らくはそういった決して何でしょう、その…、財源を逼迫(ひっぱく)させるものではなくて、むしろ大学がこう…、貢献する、社会に貢献して、そこにこう社会が信頼をしてくれて、えー、大学を支えてくれるような方向につながり得るものじゃないかなとは思いますね…。はい。

障害学生の語り

いまだに障害学生支援はしぶしぶやるような面があるが、大学は研究者が様々な知恵を持っている場なので、障害学生支援を知的好奇心の対象としてほしい(次のクリップに続く)

あの、私はさっきの、困り事や傷と知識とを結び付けるっていう話とちょっと近いと思うんですけれども、大学…、の研究者の人たちはたくさん、それぞれソリューションの種みたいなものを、それぞれの分野で持っているんですよね。
なので、それが活かされないのがすごくもったいないっていうのは思っていて、いまだに障害学生支援っていうのは何かこう渋々やるものではないですけれどね、あの、何ていうんでしょうか、言われてるし、法律だしっていう感じで位置付けられることが多い気がするんですけど、何ていうか、知的好奇心の対象としてほしいなっていうのはやっぱり思っていて…。それは全然、あの、個人的にはですけどね、もちろんいろんな考えはあると思います。個人的には全然不謹慎ではないというか、障害という問題はなかなかこう掘りがいのあるクエスチョン、リサーチクエスチョンが多いので、それぞれの分野で多分、向き合うとですね、面白いと思える人もいるんじゃないかと思うんですね。
なので、このわくわくしていただきたいというか、障害の問題は考えるテーマとしては非常にこうチャレンジングで面白んだっていうことを、どんなふうにこう伝えていけるのかなというのはこう、やり取りをしながらやっぱり意識もしていますし。
やっぱりいろいろ最初は少しこう、面倒くさいと言うとあれですけれど、面倒くさい印象で始まったのが、何かこう整理の仕方によってはやはり研究者なんで面白いと思ったらエンジンが入るんですよね。なので、そういうその面白いと思ってエンジンが入る人たちを少しでも増やすようなことも、もしかしたら支援室の役割かもしれないですよね…。
そうしたときに、ものすごいことが起きると思いますね。やっぱり大学がそれぞれ本気になってこの問題にそれぞれのアプローチで取り組んでくれたら、本当は資源としてはものすごく大きなものを持っているはずなので…、そう思いますね。

障害学生の語り

アメリカで“一般学生が行っていることで、障害を理由に行えないことはない“と言われた。障害で不利益を被るのは仕方ないという意識がおかしいと、日本は自覚してほしい

えー、アメリカにいたときに、その大学、障害のある学生に対応しているオフィスに行った際にですね、ここではどういうサポートをしてくれるんですかっていうふうに聞きました。で、日本でそういうことを聞くと、えーと、こういった障害の人にはこういうことをします、こういった障害の人にはこういうことをしますみたいに、えー、何ができるかについて語ることが圧倒的に多いと思うんですけれども。その大学のオフィスの方は、まず前提として、えー、あたり、「一般の学生が当たり前に行っていることを障害を理由に行えないということはありません」という答えを一番最初に返してくださいました。
やっぱり、それってものすごく大きな差だと思っていて、えー、ということは障害を理由にこれ、これ、こういうことができないってなったら、それはおかしいっていうふうにそのオフィスの人は思っているっていうことの意思表示だと思うんです。
で、それは日本ではまだ決して、一般化されていない概念だと思うんですよね。やっぱり障害がある、あ、例えば、うーん、発達障害を含めて何かしらの特性を持っている、そういうマイノリティーであったら多少の不利益が生じても仕方がない、それは受け入れてくださいねとか、みんなと一緒じゃないこと、みんなと同程度にできないということは、もうお互い、ある程度了解済みですよねっていう前提の下に、世の中が動いている印象がすごくあるんですけれども、それがいかにおかしいかということ。
その心身に多少の、うーん、差異が生まれたというだけのことで、多くの人にとっての当たり前を当たり前じゃなくできてしまう、そう当たり前じゃなくしてしまうということが当たり前になっているっていうことが、いかに、不自然というか、非常にその差別的になっているか、不公平であるかっていうことを、自覚するという所からスタートしてほしいなっていうふうに思います。
その前提に立てればきっと、例えば何かニーズを持っている人がいたときに、「それはできません」っていうふうに頭ごなしに否定っていうのはきっとできないんじゃないかなというふうに思うんですね。あ、それは不公平なことをしているよなっていうふうに思った上で、じゃあどうしたらその不公平を公平な状態にできるのかっていう思考に結び付きやすくなるんじゃないかと思うので、ぜひ、その差別とか不公平というものを浮き彫りにすることを、恐れずに、えー、やっていただきたいなというふうに思います。

障害学生の語り

障害学生自身があまりがんばらなくても、情報保障を得られるようにしてほしい。学生は、勉強なり遊びなり本来使うべき所にエネルギーを使えたらいいと思う(筆談)

一番単純なお願いとしては、障害学生があんまり頑張らなくても、しっかり情報が得られるようにしてほしい。まあ、障害学生が、情報保障のためにエネルギーをつかうのはもったいないので、そのエネルギーを、勉強なりその他、遊びなり、大学生活の本来使うべきところに使えるようになってほしいとおもいます。

――ご自身としてはやっぱり、色々交渉するのは疲れたっていう話も出てたけど、当時は、もうなんか自分のことを説明してっていうので、けっこうエネルギーを使ったっていう感じだったんですかね。

はい、そのとおりです。
あ、そうですね。(情報保障を得られなくても)仕方ないという気持ちもありました。というより、いろいろ働きかけるのに疲れたので、まあいいやという気持ちですね。

――その、働きかけるのに疲れたっていうのは、お友達とか、大学とか、個別の教員とかに、もう、自分の状況を説明したっていうのが疲れちゃったなという感じですか。

自分の状況を説明するというよりは、まあ、今おっしゃった、大学に働きかけるのに疲れたというのが強いですね。

障害学生の語り

色々悩みながらやっているので、押しつけるようなアドバイスはしてほしくない。みんな変わる力があるが、変わるタイミングは人それぞれ違うので、待っていてほしいと思う

で、そこで、あの、これは一番、えー、これは私自身の、私自身のあれかもしれないんですけど、やっぱり言ってもらいたくないというか、それがアドバイスっていうのはしてほしくないんです。うん。やっぱり、あの、悩みながら、みんないろいろ悩みながらやっていますので、アドバイスをされちゃうと、えー、もう拒絶してしまいます。はい。
なので、まずは、えーと、「今日ちょっと元気ないけど、最近どうなの」っていう、その一言でいいんですね。ただ、その一言の声掛けっていうのが本当に、あの、その人の閉ざした心の鍵を開いてくれるのかなっていうふうに思います。
それは、やっぱり私自身もそうなんですが、あ、見てくれているんだな、この人やったらしゃべっていいかなっていうふうな思いにさせてくれるんですね。
で、どうしても、あの、私も後輩がたくさんいますので、後輩にアドバイスしたくなるんですけども、アドバイスをしちゃうとやっぱり多くの人が拒絶します。何で言われなあかんねんとなりますので、まずはちゃんと見てるよ、あなたのことを、変化を見ているんだよっていうところを伝えていただくだけでも、あの、十分かなっていうふうに思いますし、それがやっぱり一番望むところなのかなっていうふうに思います。はい。

――見てくれてるっていうことですね。

後は待ってくれてるっていうことですね。あの、変化を待ってくれてるっていうところ、これは、えーと、私自身が、その学生生活の中でもそうですし、えーと、自分が看護師として働いていく中で、患者さんと接する中でもそうなんですけど、やっぱり、えー、みんな変わる力ってあると思うんですね。まあ、それを、えー、ちょっと待ってほしいんです。うん。えーと、ちょっと言葉で少し難しいのかなと思うんですが、えー、変わるタイミングって人それぞれ違うと思うんですね。
で、なので、えー、そのタイミング、えー、変わる瞬間まで、ちょっと待ってほしいなと思うんですよ。待てなくて、僕もよく後輩に対して、いや、これ、これ、こうでしょうっていうふうにアドバイスしちゃうんですけど、ちょっと待っていてもらったら本当に、もう、その人の力で変わることが十分できるので、ちゃんと見守ってるよ、待ってるよっていうメッセージを言葉として伝えてあげるっていうのが大きいのかなっていうふうに思います。はい。

障害学生の語り

自閉症の診断を受けた人が「自閉症のくせに彼女がいて」と言われたとSNSに書いていた。たまたま自閉症でも、親からもらった名前がある一人の人として見てもらいたい

この間Twitterで知り合った人はツイートで言ってたんですけど、何かその人も最近診断されたんですって。で、何かツイートで言ってたのが、こういう自閉症を持っていると言ったら、何でおまえには彼女がいて…、僕にはできないんだみたいなことを言われたらしいんですよ、自閉症のくせにって。
いや、それは、その当の本人の、当の本人がすてきな人だからなだけで、たまたま自閉症だっただけで、それは何か違う気がして、自閉症だからとか、女だとか、男だとか、とかじゃなくて、ちゃんとみんな親から名前をもらったんだから…。

先祖とか親に名前をもらったんだから、その僕だったら、まあ、○(自分の名前)として見てほしいし、僕は普通にその、友達とかと触れるとき、触れ合うときにちゃんとその人として見ようと思うし。だから、もっと、これは何か、まあ、何か、僕と同じような人に向けてじゃなくなっちゃうんだけど、社会的に常にそういうふうに…。

障害学生の語り

周囲から「○○さんは聞こえるし話せる」と見られることもあり、自分は聴覚障害のイメージから離れていると思う。だが自分も困ることはあり、個として見てほしいと感じる

う ーん。でも私、誤解の塊だと思ってて。本当、私を見ると本当に聴覚障害のイメージがもう、何か大きく変わってしまうので。まあ、それはいいことでもあるし、やっぱり、悪い、悪いなっていうか、いや、そうじゃないんだよってやっぱり言いたいところもあるし。で、同じ障害学生、聞こえない学生の中でも、やっぱり「○(自分の名前)さんは聞こえるし、話せるし、だから・・・」、みたいな感じで、まあ、見られることもあるし。
でも、やっぱり困り感には通ずるものもあるし、本当に何か聴覚障害っていうカテゴリーでくくるられる体よりは、やっぱ個人として見てほしいなっていうのはすごくあって。私も私で困ることはいっぱいあるし、で、そういうのはきちんと言っていかなきゃいけないので…、なんで個として見てほしいというのと、やっぱり必要な、あの、ニーズっていうのはその人それぞれで違うし、必要なサポートも違うんだなっていうことをやっぱり分かってもらいたいなと思います。