投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

学ぶ上で一番苦労したのは他の人と足並みを揃えなくてはいけないグループワークだった。外から見えない障害で、分かってもらえないジレンマは大きかった(音声のみ)

まあ、一番苦労したのがグループワークなんですよね。あの、他の人と足並みをそろえなきゃいけないので。で、外からは見えない障害になりますので、あの、何でこの人、何か、みんなでやろうって言ってんのに集まらないんだっていうふうに、やっぱ実際こうちょっともめてしまったこととかもあったんですよね。

だから、まあ、そういうときに、こう、うまく…、いくように。まあ、基本、大学院なので教員は、もうノータッチなんですけど、まあ、何らかのフォローをしていただけたら、もうちょっとチームメンバーとうまく作業が進められたのかなとか。例えば、まあ夜8時とか9時に、から、グループワークって言われても、まあ、無理なので、絶対に。あの、あと睡眠時間削るようなことも無理なので、うん、なかなかその、周りに分かってもらえないっていうジレンマがすごくおっきくて、そこはちょっと何か、どういったかたちがいいのか分からないですけど、フォロー、してもらえたらうれしかったかなとは思います。はい。

障害学生の語り

大学のグループワークに参加するまで、自閉症スペクトラム障害について全く知識がなかった。もっと発達障害や精神障害について学べる機会があるといい(音声のみ)

――何かご自身の経験したことから、こう社会に対してこうあってほしいなとか、何かそんな思いとかはありますか。

うーん……。そうですね。まあ、やっぱりもっと、そ れこそ発達障害とか、あの、まあ反復性うつとか、まあ、その他にもいろいろあると思うんですけど、の理解が進んだほうがいいのになっていうのは思います…。自分自身も、それこそ自分自身、自閉症スペクトラム障害なんですけれど、それこそ大学のそのグループワークに参加するまで発達障害についてあんまり知識がなくて全然分からなかったので、もっと何だろう、そういうのが学べる機会が、あ、もっと早くにあったらよかったなって思うことと。

障害学生の語り

自分がこうあってほしいと思うことを社会に対して伝える手段として、思いを形に残せるようにするために、大学院の門を叩くことをお勧めしたい

うーん。やはりですね、あの…、自分がこうなったらいいなと、こういう環境だったら住み心地がいいなとかっていうのは、やはり声を大にして伝えるべきです。で、また、その運動家のように運動してメガホンで叫ぶではないですけど、そうやって皆さんの民衆に伝えることも一つの手段ではあるものの、やはり文字の力って、は大きく、そして文字の、ちか、文字っていうのは、あの、ずっと残りますからね、保存状態が良ければ。

やはりその文字で自分の、なったらいい、えー、社会をつくっていくために、どうしたら、あ、かなうことができるか。あと先人の過去の同じような気持ちを持っている人の書物を読み、それを引用しながら、あの、新たな方法を探っていくっていう、そういうものが研究だと思っているんですよ。だから、そういう力を付けてくる、付ける、付ける所は大学院だと思います。それも大学院の修士活動の基礎をつくるところであって、その、ぜひですね、自分のお友達、家族、そうですね、周りの知人、近所に住む人たち、えー、そしてまた出会っていない、あの、方たち。
そして、あの、自分がつく、こうだったらいいなっていう世界をつくりたいと思うのであれば、やはりその自分の気持ちを文字として残せるような力を付ける、うーん、ところっていうのが、の一つとして選択はやっぱりその大学院に入学して論文を書く力を、あの、養うというところを選んでいただけたらなと思います。
特にやっぱり、あの障害者の、マイノリティーである、まあ、障害者、障害に関する、障害を持つ方、そうですね、最近の報告で言うと、うーんと、2019年4月に発表された、えー、厚生労働省の、えーと、実態調査があるんですけど、これ、まあ、正式な名前は忘れちゃったな、これでですね、えー、その人口を1,000人にしたときに障害者の数の総数は74人となるよと。まあ、えー、1,000人いるのは、ぜ、人口1億2,000万人ぐらいいるんでしょうか。それを1,000人として例えると、うん、置き換えると74人は障害者、そのうちの2人が、74人のうちの2人は視覚障害者だっていう計算をされてましたね。
ですから、その74人の意見を1,000人に対して訴え掛けていく。まあ、100引く、あの、1,000引く74だから、計算すると、ちょ、まあ、できないんだけど、訴えていくには、やはり、やはりですね、声を大にしても、声届くとこの範囲は決まっているので、やはり文字としてどんどん残せ、し、残していく力を付ける、これがやっぱり大学院だと思っているんです。だから、ぜひですね、その大学院の門をたたくことをお勧めしたいなと思っております。

障害学生の語り

大学以前は、健常者に合わせたカリキュラムの中で遅れたらいけないと思っていた。大学は自分で学んでいく場なので、障害のある人は自分らしさを見つめ直せると思う

人文系っていうのもそうですよね。多分、皆さんもそうだと思う。義務教育っていうのは、決められ、決められた、カリキュラム、決められた時間、時間やペースがあります。それというのはやはり、どうしても健常者…、目線で組み立てられているものかなと。特に、最近、うん、普通学校に、通われる障害が、障害がある学生も増えていると思うんですが。その、その周りのために、やはり周りに合わせていかなきゃいけない、遅れたら、いけないっていう気持ちを、気持ちを持っている方が多いと思う。自分もそうでした……。それが当たり前過ぎて、意識しないほどに…、そうでした、そういう思いがあります。
でも、大学っていうのは、あの、自分でやるカリキュラム、自分でやりたいことができて、自分で時間をつくって学んでいく場所だと思います。そういったものにも、障害がある学生にとっては、何か、初めて自分らしさっていうのを見つめ直せる時間になると思います。自分としては、必ずしも4年間っていう時間に縛られず……、自分のやりたいことを、やった、できる期間、時間だと思うので。そういった意味として…、うん…、フレキシブルに考え。考えてほしいなと思います。勉強も、もちろん大切ですが、それ以外の時間で何ができるか、誰と、どういう人と出会ったり。どういう。何をするかを、そういったことが、まあ、大学を卒業した後の人生に大きく…、まあ、影響してくる、作用してくるかなというのを現在は思います。

障害学生の語り

自分にとって大学は、障害ゆえに傷ついたり困ったりしたことに、知や言葉によって対することを教えてくれた場だった。学問の中に、傷や困難に対するヒントがあると思う

障害を持っているとやっぱり、まあ障害を持っていない人が経験しないような、まあ、さまざまなこう困り事ですとか、苦悩ですとか、傷つきですとか、そういうものを経験するとは思うんですよね。突然、それこそ本当に、あの「税金泥棒」と言われるという経験は、あんまり人が経験しないことでしょうし、えー、さまざまな場面で悔しい思いですとか、ふがいない思いですとか…、自分が思い描いていた人生のシナリオと現実がずれてしまって軌道修正をしなきゃいけないような状況に直面するであるとか、まあ、そういうことってあると、たくさんあると思うんですよね。
で、私はそういうものが、障害に関するそういうさまざまな、あの、傷ですとか、苦労ですとか、悩みですとか困難が、とてもではないですが医療や福祉だけでソリューションが与えられるものではないと思います。実際、私もやはり法律の知識に決定的に救われた瞬間ですとか、社会学に救われた瞬間ですとか、経済学に救われた瞬間ですとか、もちろん医療もその一部ではありますけれど…、ありとあらゆるその学問の中に、あの傷や困難のヒントがあるわけですけれど、大学という場所はもってこいというかですね、他の場所での障害者支援では成し遂げられない、大学はこう、知識というか知が分野を超えて、知がたくさん蓄えられている特殊な場所なので、それはすぐそばに本当はあるんですよね、自分が生き延びるためのヒントが、あの、歩いて数百メートルのところにあるかもしれない。図書館に行けば大量にそれが、ヒントがあるかもしれないっていうふうな、非常に特殊な場所に置かれているなと思うんですね。
私は当事者が抱えている傷や困難と、その大学が蓄えてきたさまざまな知みたいなものがつながる場所としての大学というか。これまでは、自分の経験を脇に置いて学問をするっていうふうなことが多かったと思うんですね。そうではなくて自分の傷や困難と、に対するヒントとしての学問を分野を超えてこう知る機会っていうのが、大学でしかできない、提供できない一生ものの、あの何ていうんでしょうか、支援だと思うんですよね。他の医療施設や福祉施設では、とても成し遂げられない支援だと。

障害学生の語り

障害学生の支援制度が整いつつある中、フラストレーションはあるが文句は言えないという人がいたら、支援者と自分だけにならずに、他の障害をもつ人に会うといい

制度に囲い込まれてしまうことで、つまり周りはみんな親切で、えー、制度で支えられているときに、何となくフラストレーションはあるんだけど文句が言えないっていう状況にもしある人がいたならば、少しですね、その、囲い込まれた囲いの向こう側に行ってみようか、その、親にくるまれている状態と近いんですけどね、私が親にくるまれて外につながれなかった状況と似たようなことが起きているとしたら、その外側には他の障害者がいっぱいいるので…。
で、やっぱりですね、比較によって怒りが湧いたりするんですよね。あるいは、こう、他の人はこんなことができているのかとか、他の人はこんな暮らしをしているのかっていうふうに知ることで、はっと気付くことがやっぱりあると思うんですね。
昔、制度がなかった時代というのは、しょっちゅう他の障害者と出会って比較し放題だったんですね。なので、希望を与えてくれもするし、怒りを感じることもあるし、ずるいって思うこともあるんですけど。
それでも、その何ていうんでしょうか、そのモチベーションっていうのはやっぱり他の人を知るところから始まるので、支援者と自分だけにならずに障害を持った人同士でお互いのことを紹介し合う場所っていう、知り合う場所っていうのを持っておかないと、適応的選好というか、こう選択肢の中だけで満足させられてしまうような状況に容易に陥りやすい世代が出てきやすいと思うんですよね…。なので、そうですね、その…、メッセージとしてはやっぱり他の障害者と出会う機会っていうのがますます重要になってくるかなと、思いますね。

障害学生の語り

障害のためにできないことはあるかもしれないが、「大事な人はすぐ側にいるよ」という歌の歌詞があるように、意外と側に人がいるということを伝えたい

あんまり無責任に言ったらあれなんですけど、意外と…、君のそばには人がいるよっていうのを何か伝えてあげたいなと思ってて。まあ…、何だろう、自分が行動しないと友達はできないと思うんですよ、仲間も。まあ、自分の行動次第なんですけど…、何か…。
まあ、これはADHDとか発達障害関係なくて、引きこもりとか、そういういじめをされ、いじめをされている人たちにも多分関係するんだけど、意外とみんな、君の敵じゃないし、君のことを見てくれてないと思ってたとしても見てくれてる人はいるし、それはたとえ少なくても君のそばに本当…、いるよっていうのが思って…、だし、今何か「君のそば」って言い過ぎて思い浮かんだのが、そのMONGOL800さんの歌で『小さな恋のうた』があるじゃないですか。あれで、あの、大事な人はすぐそばにいるよ、みたいな感じの歌詞があるじゃないですか。
だから日々、日常的に君が生きるヒントはあるし、希望もあるし、探そうとすれば…、そのできないことが多いと思うけど、しんどいと思うけど…、趣味とか、そういうものを、さぐ、探して、どっかに探れば希望があると思うので。

障害学生の語り

大学では苦しい経験もたくさんしたが、上級生や友人のおかげで卒業できた。自分のことを気にしてくれる人がいるかどうかで、大学時代が変わってくる

大学は、私みたいにいっぱい苦しい経験をしてきた人だけども、もっともっと苦しい思いをする4年間の場所でもあるかと思うんですが、うーん、何だろう。
私はほんとにさっき言ったみたいに、上級生と、あともういっぱいいるんですけど、この今さっき言ったこの同期2人と1個下の、うーん、この皆さんのおかげで卒業できたんで、そういう人ができるか、できないかで変わってきますので、そういう人をつくろうっていうか。そういう人をつくろうっていうよりかは、もうなんか…、最初でボンって私はこういい人ですみたいなことを無理やりにでもやっとけば、なんか自然に、付いてきて、あのー、その中で、離れていく人ももちろんいるんですけど、私みたいにこのほんとに奇跡的にこの3人、そして、上級生が残ってくれたりします…。会ったら元気って、どんなに頑張ってるっていうことを言ってくれる人が…、どんだけ人が離れても…、まあ、私の場合、奇跡ですけど、残ってくれてる人がいますので、そういう人をつくって頑張っていってほしいです。

障害学生の語り

社会は発達障害の生きづらさにスポットを当てたがるが、生きやすい部分もあると思う。「普通」という言葉が気になってしまうが、前向きな開き直りも大事だと感じる

あの、発達障害って生きづらいってスポットをみんな当てたがるんだけど、逆に僕はね、発達障害って生きやすさってあるんじゃないのって、そこから始まりましたね。それで空気読めないって、まあ、よくいわれるんですけど、お笑いの本質って空気読まないんだよねってあって、ね。だから僕、今のお笑いって面白くなくなったって、言う人結構多いんだけど、あれ、空気読むのって面白くないよね。
お笑いっていうのは結局は予測できないから面白いわけで、それって空気読んでないよね。僕も割と「空気読まない人だね」って言われるんだけど、ね、空気読まないの面白がってもらえたんだねっていうのと、あとは、ね、多数派の同調圧力っていうのもね、カウンターとしては、あの、その空気読まないっていうのは非常によく働くので。
だから、ね、発達(障害の)、生きづらさばっかりスポットを当てないで、発達障害の人って発達障害に逆に生きづらさ、生きやすさっていう部分があるんじゃないかなって。そういうとこにね、スポットを当てて見てみると、ね、まあ、自分を好きになれるんじゃないかなと思いますね。

やっぱり自分は、やっぱりさっきも言ったけど「普通」っていう言葉がどうしても関わってくるわけで、自分は普通じゃないから周りにいる人に変に見られるっていうのはあって、そこでね、やっぱり明るい、まあ、前向きな開き直りっていうのが僕、すごく大事になるんだけど、それって結構難しいことかなって思うときもあるんだけど。やっぱり、ね、自分を変につくらないで面白がってもらえるっていうのが僕、すごく大事だったと思うんだけど、それだったら自分を面白がってもらえる何かそういうね、あの、と、突き抜けたとか、そういうとこあるといいかなと思うんですよね。
だから、人を楽しませることを何か一つ身に付けておいたほうがいいよねっていうのが、やっぱりそれ、すごく大事だし。あとは、周りの人を面白がるってことがすごく大事でね、うん。やっぱり好奇心で相当、僕はやっぱりすごく助けられたとこがあるから、うん、そこはね、人間好きになってくださいって言うとちょっと酷なこと言っちゃってんのかなって思うかも、し、まあ、あるんだけど、でも、人間嫌いにならないでねっていうのはやっぱり言いたいですね。うん。自分で自分を面白がってくださいっていうのは、ちょっと抽象的な言い方なのかもしんないけど、そう自分でね、自分を面白がってくれると、面白がってると、やっぱり、ね、そのうち周りの人がね、面白がってくれるようになるわけで。うん。

障害学生の語り

制度がある程度整ってきた世代の特有のしんどさがある。障害の種別にもよるし、一生懸命やってもらっているので、それ以上文句が言えないということも多いと思う

私も、そういう世代なんですけれど、あの、制度がある程度整ってきた世代の特有のしんどさっていうのがあると思うんですね。で、今、もちろん楽なとこもあると思うんですね。制度があるので、そこから選べるっていう意味では、(自分は、自分より一つ前の世代が障害者運動などで切り開いていってくれた、その次の世代で、)何もないところから闘ってつくり上げてきた世代に比べると、われわれは「牙を抜かれた世代」と呼ばれていますけれど、あの、頼りない世代というか…。
で、それはそのとおりで見晴らしが悪いというか、レールが準備されていて、そこに乗っかれば何となくこう、こなせていける領域が多いというんでしょうかね…。で、これは障害の種別にもよると思いますね。これから、あの、まだほとんど整備されていない障害の領域もあります。難病ですとか、あの、精神発達障害ですとか、これはこれから運動をしないと、あの、いけない段階なので、全ての障害が制度化されたわけではないと思うんですけど。
ただ、差別解消法しかり、あの…、各大学に支援室が徐々に増えていく中で、まあ、制度やメニューが整ってきますと、とても見晴らしが悪くなるというか、えーと、何となくこう文句はないんだけれど、何だか不十分な気がするっていうふうな。でも一生懸命やってもらっているので、何かそれ以上申し立てもしにくいっていう状況で何か、何もなければ文句も言えたのにという、そういう状況に陥ることが多いと思うんですよね…。私もそこはやっぱり今、その次の問題として若い方に今降り掛かっているかなというふうに思っています…。