投稿者「dipex-j」のアーカイブ

障害学生の語り

人間関係がうまくいかない経験から心理学を学ぶつもりだったが、さらに自分を考える材料をくれるかもしれないと思って、障害のある人の心理や教育を学ぶことに決めた

――心 理学を、あの、学ぼうと思ったのは何か、あの…、こう、ど、どのような思いから心理学を学ぼうかなというふうに思われたんですか。

えーと、まあ、小・中・高と人間関係がなかなかうまくいかなかったことに、まあ問題意識を持ってたんですけど、何かこう感情的でない自分もいて、何でそういう人間関係が起こっていくのかっていうことに、えー、興味を持ってました。
で、それに答えを出してくれそうなのは心理学科なの、あ、心理学を学べる所なのかなと思いまして、はい、そっちに進みました。

えーと、まあ、大学としては心理学の学べる所ということで入ったんですが、あの、同じ学科の中に、まあ、障害のある人たちの、その生活だとか教育だとか心理っていうところを、えー、学ぶコースもあって、1年、1年生のうちに、それをこう選ぶっていうのがあったんですね。
で、そこで、また自分が考えて、まあ結果的には、その広い心理学を学ぶっていうこともあり得たんですが、あの、少しこう障害っていうものに、その1年生の中で興味を持って、そっちに進みました。

――何か、その1年生のときに障害に、こう興味が、こう興味を持って、そちらに進もうというふうに思われたのは、こう、どのような何て言うんですかね、動機というか、何かきっかけがあったんでしょうか。

そうですね。
あの、当時は、うーん、そこまで自分の中で意識して選んだふうもなかったんですけど、今思えばその、あんまり、そ、そこまでの人生の中で障害のある人と関わったことが全然なかったんですよね。なんですが、その割合、障害のある学生が多い大学だったんですね。
で、また、1年生のときに全盲の、えー、まあ、大学院の学生さんにインタビューをするとかっていうことを、その当時の1年生の、まあ、関わってくれていた先生がさせてくれたんです。
で、そういったこと(障害を持つ人の心理や教育を学ぶこと)を通して、その、よく分からない自分を何かこう考える、えー、まあ、材料をくれるかもしれないっていうところは、確かにちょっと期待はしていました。

障害学生の語り

将来は耳を使わない仕事がいいと思っていた。医学部にも興味があったが当時は欠格条項があり、それを改正してまで医者になろうとは思わなかった(手話)

まず、高校までは自分が聞こえないということについて、マイナスに捉えていた面があります。大学を卒業した後のことを考えると、耳を使わない仕事に就くのがいいのではないかと思ってました。なので進学先を考える段階になったときに、英文学専攻にして翻訳の仕事に就けばいいのではと考えていました。それと同時に全く別の考え方も持っていて、医学部にも興味があったんです。そこで、いろいろ調べてみたのですが、ほとんど全部、聴力が60デシベル以下が要件だという記載がありましたので、私は聞こえないからムリなんだとわかったんです。
当時は欠格条項がまだ残っていたわけですが、欠格条項を改正してまで医者になろうというところまでは考えていなくて,自分は聞こえないから医学部は無理だなと思って納得していました。
さまざまな学部や専攻などを調べた結果、聴力が必要ないものということで、語学関係で翻訳を学ぶ学科に絞って志望校を選びました。
そういったことを考えていた時に、たまたまある大学で心身障害学というものを専門に学べるところがあるというのを知って、自分が聞こえないのでもっと詳しく障害について知りたいと思って、その大学を受験することにしたというような経緯です。

障害学生の語り

高校卒業時には、文章を書いたりカメラで映像を撮りたいと思ったが、バリアフリーでない専門学校で、満足に学べなかったら困ると思った

そうですね。こうこ、(通信制高校に通うことで)高校で、あの、できた時間って、っていうのは、あの、自分、自分なりに…、大切にしようと。
(介助者:高校でできた時間は、自分なりに大切にしようと。)
思った。
その考えで、じ、自分ができる、自分ができることって何だろうと、いろいろチャレンジして。
(介助者:自分ができることって何だろうと、自分でチャレンジして。)
その中で、ん、あ…、個人的な話になっちゃうけど。
(介助者:その中で、個人的な話になっちゃうんですけれども。)
文章を書いたり、あと、か、カメラで、映像を、いろ、いろいろと、撮ったりして。
(介助者:文章を書いたり、カメラで映像を撮ったり。)
っていうことは、あの、楽しみを見つけて、正直、高校を卒業するときは、そっちのことを、あの、もっと突き詰めてやりたいなと思っていました。
(介助者:っていうことを、楽しみを見つけていたので、高校卒業後はそっちを突き詰めていこうと思っていました。)
それは、うん、そういった専門学校を、を、まあ、ちゃんと自分なりにいろいろ、まあ、探している中で、こう。
(介助者:ただ、そういった専門学校を自分なりに探していた中で)
あの、やっぱり、もう、専門学校、専門学校で、あの、せつ、設備の問題、だったり。
(介助者:専門学校、専門学校で設備の問題だったり。)
バリア、バリアがあったりっていうので。
(介助者:バリアがあったりっていうんで。)
うん、また、そこで、あの、ちゅうちょしてしまう部分がありました。
(介助者:また、そこでちゅうちょしてしまう部分がありました。)
整っていない環境の中で、うん、な、何年、何年間も、学んで、もし、身に、身にならなかったときに、やっぱり、ちょっと大きいな。
(介助者:整っていない環境の中で、もし身にならなかったときに、ちょっと。)
大きいな。
(介助者:大きいな。)
リスクが。
(介助者:リスクが大きいな。)
という、いろいろ検討した、あの、結果、結果、大学を、に通う道を選びました。
(介助者:で、いろいろ検討した結果、大学に通うっていう道を選びました。)

障害学生の語り

自分は脳性まひの障害者で介助が必要で、いずれ福祉とはかかわらざるを得ないと思っていたので、大学は全然関係なく好きなことをしようと思った(テキストのみ)

私が行った大学の学部だったり、学科を決めたきっかけは、私は、全然福祉と関係のない学部に行ってたんですけど、そのときから考えてたのは、あの…、いずれ福祉に関わることになるというのは…、進学前から感じていたことなので。
私、脳性まひの障害者なんですけど介助が必要な状況なので、関わらざるを得ないなっていうのを感じていて。大人になって関わるのが、こう見えているので、学生のうちは好きなことをしようと思って、その理系に近いような学問を選んで勉強をすることにしました。

そもそもパソコンが好きで、プログラミングとかは好きだったので…、当時から思ってたのが、パソコンに関することなら、バリアというのはほぼ、少ないだろうなっていうのをうすうす感じてて。一般企業に就職する気ではいたので。うん。元々好きだったっていうのが一番なんですけど、そういうのも考えつつ…、何かをする上で、バリアがなかったのが情報だったので、情報に関する学部がたまたま近くにあったので、そこに行きました。

障害学生の語り

車椅子で日常生活に介助が必要で、将来親がいなくなった後まずいんじゃないかなと思い、自分のために制度のことを知っておいたほうがいいと思った

えっと、私が大学はいると決めたのが、高校3年生に上がったばっかりの4月のタイミングで、それまではまったく、大学入ろうとか考えておらず、ちょうどその頃に、入ろうと思ったきっかけになったのが、日常生活で利用しているお風呂のヘルパーさんが、制度のことをいろいろしゃべってくれるんですけれど、あの、そこで、いろいろ分からない点がたくさんありまして、これからのことを考えた時に、制度のことを知らないって、まずいんじゃないかなーって、自分がこういうサービスがほしいってなった時に、あの、市役所の人にとか、行政の人に依頼しに行った時に、うまく丸め込まれるじゃないけど、そういう感じで負けちゃうんじゃないかなーって。
このままじゃ親がいなくなった後に、まともな生活送れるんだろうかと思ったときに、少しでもいいから、なんだろう、制度のことを、知っといたほうが、自分の身、身のためにもなるんじゃないかなっていうのがひとつきっかけで、

そのときに、うーん、高校生の頭ですから、もうほんとに法律のことなんて言われてもちんぷんかんぷんで…、もう毎日話されるけども、訳分かんなくて…、で、そのときにもうちの両親がもう父は還暦近い時期で、もう母も50代入ってるっていうことで、ふと考えたときにどうしよう、これ…。
父親…、あと二十数年もしくは30年…、もしくは、それ以前かもしれない。いついなくなるかも分からないから、親もそういう年齢ですから、もうそれを考えたときに…、やばい。このままだとなんか私、なんかほんとに大げさかもしれないですけども、なんか…、つぶされるっていうか。
なんかこういうサービスを利用して、サービスを利用していく中で支援される側に、言い方あれですけど、少しいいようにされてしまっていて、つぶされちゃうんじゃないかっていう感覚を得まして、そのときに・・・。

障害学生の語り

肢体不自由のリハビリで通った保育園で、障害のある友達がたくさんいた。大人になった時に、友達として彼らを助けるために障害のことを知りたいと思った(テキストのみ)

まあ、幼い頃から、両親に大学は行けっていうふうに言われて、で、まあ、大学に行く、行かないの選択はなかったんです。で、じゃあ何を学ぼうって思ったときに……、幼い頃から自分の障害を知りたいなって思ってて。
ちょっと昔の話ですが、保育園の最初行ったのが公立のいわゆる障害児の通所施設で。そこは公立の保育園と併合したタイプであって、まあ、普段は各、年中さん、年長さん、クラスに入って、その1日の中の一部分だけ集まってリハビリしたり、何かしたりっていうとこだったんです。
で、年長で私立の、「わたくししりつ」の保育園に通って小学校に行くんですが、その…、小さい頃から、当たり前って言うと変ですけど、周りの友達に障害を持った友達がいっぱいいたんです、知的も身体も。で、そうしたときに、じゃあ、障害のことを知りたいなって思って。それは施設職員になりたいとかじゃなくて、大人になったときに何か友達として助けられたらいいなっていうことを思って。
そのときに、じゃあ障害のことを学ぶのは何かって思ったときに医学部か介護福祉士、社会福祉士、3つ同時に挙がって…、医学は、何か違うかなって思って。で、介護を実際やるのもいいけど…、まあ社会福祉士かなって思って進学したのが理由です。

障害学生の語り

小5で転校した盲学校で知的障害の友人ができたが、彼らに向けられる社会の目を感じ、そういう社会を知りたいと思って社会福祉を選んだ

えー、僕は、小学校4年生のときに失明して、それまでは弱視だったんですけれども、小学校4年生のときに失明したことがきっかけで、小学校5年生から地元の盲学校に転校をするんですが、あそこには、たまたま、僕以外の多くの友人というのは視覚障害のみならず知的、えー、障害を重複している友人が非常に多くおりまして。
で、一般の小学校から転校した僕にとっては、彼らとの出会いというのは非常に衝撃的なものがありまして、で、当初は非常にその戸惑う、戸惑わされる対象として彼らのことを見ていたんですけれども、時間をこう一緒に過ごす時間、ことが長くなるにつれて、その彼らのことをこう、理解するというよりは、もう純粋に好きになっていくというか、本当にただの友達として重度、重度の知的障害のある友人たちのことも、僕の中でその「ただの友達」というふうな存在に、なっていくという時間を過ごして、いたんですが。 その「ただの友達」でしかない、「ただの友達」である、視覚障害と知的障害を重複している友人たちというのは、視覚障害しかない僕の場合であると、中学生、義務教育修了後の、えー、進路の選択肢というのは、えー、一般の高校に行くのか、高校レベルのその、まあ、高等部がある盲学校に行くのか、まあ、あるいは就職するのかとか、いろんな、進路の選択肢が僕には、ある、えー、あった一方で、その知的障害が、まあ、かなり重度の知的障害がある友人たちというのは、もう、その進学という道は閉ざされているし、例えば施設に入所するといっても彼らの能力や彼らのポテンシャル、彼らのキャラクターとかっていうことではなく施設の空きがあるかどうかというような理由で、道が決められてしまっているという社会の現状というのを目の当たりにしましたし。
あるいは彼らと一緒に学校の外に出掛けていったりしたときに、非常にその…、奇異な存在として、彼らがこう見つめられているような、実感を、まあ、友達同士として、えー、味わうことができたことで、どうしてこんな、こう社会になってしまっているんだろうなということが、非常にその、うーん、まあ、興味があったし、根っこには、その、非常に不愉快だなと思っている所があったんだと思うんですが、そういうことについて、知るための勉強がしたいなということを、えー、小学、中学生ぐらいのときから、うっすらと、考えており。
で、その、そういうことを学ぶには社会福祉学科のある大学に行くのがいいんだろうなということを、えー、ずっと考えていました。

障害学生の語り

あんまや鍼灸の仕事に満足していたが、他の視覚障害の方たちが不満を抱いているのを知り、自分だけ幸せじゃいけないんじゃないかと思い始めたのが大学進学のきっかけだった

そうですね。どうして大学に行きたいなと思ったかですけれど…、行きたいなって思っていたかどうかが定かじゃないんですが、元々大学に行きたいっていう気持ちは全くなく、あんま・マッサージ・指圧、はり、きゅうのスペシャリストに…、えー、技を磨いて、患者さんに喜ばれるような、そういう生活を送れれば僕はもう幸せで、幸せでっていう、考え方だったんですが。
非常に幸せいっぱいなんですが、ふと、余裕があったときというような言葉が間違っているかもしれませんけれど、何となく周りを見渡してみたら、同じ視覚障害の方たちがあまりにも不満を言いながら、愚痴を言いながら過ごされている方を目にしたことがあって。
僕一人だけが幸せでもいいんだろうけれども、このまま年を取ったら一緒に過ごす人がなくなってしまう、友人がいなくなってしまうんじゃないか、自分のこと、自分だけが幸せじゃいけないんじゃないかっていうふうに思い始めたのがきっかけだったかなと思います。
そこで20代前半が1回目、30代中間、半ばぐらいですね、2回目、えー、あなたは研究者になったほうがいいよと、障害に関する、視覚障害に関する研究をしてみないかっていうふうに、打診をされたことがあって。
うーん、でも僕はその治療家として、幸せに生きていければそれで十分かなと思っていたんですけれど、ふと、大学に入って学び直しをしてみようかなと思ったのが、そういう大学院ショッピングといいますか、どこの大学に入ったら自分の研究ができるのかなっていうところでしたね。

障害学生の語り

将来は自分と同じ盲ろう者の支援をしたいと思い、そのために福祉の勉強が必要だと考えて専攻を決めた(手話)

まず、高校生のときに、将来、仕事は何にしようかなあと考えました。他の盲ろう者の方にもいろいろ…盲ろう者の支援もしていきたいなあ。そのためには…福祉の勉強をしたいなあ。できる…、その福祉の勉強をできる大学に入ることをまず考えました。まず20くらいの大学に行って、相談をしてきました。大学の講義のときに通訳など支援をしていただけるのかどうか、そのことについて相談しました。私は盲ろうですので、触手話という方法で通訳を受けなければなりません。ですので、通訳者を付けてくれる大学を探しました。
ですけれども、通訳を付けるためには、そのための費用が必要です。そのためにほとんどの大学からは、通訳は付けるのは難しいといって、入試は受けてもいいけれども、もし合格してもその後は責任を持てませんというふうに言われてしまいました。
その結果2つだけ、大学から、試験を受けることができるということになりました。1つ目の大学は落ちてしまったんですけれども、2つ目の大学には合格することができました。

障害学生の語り

中学のとき初めて言語聴覚士の人に会った。それまで自分に能力がなくてできないのか聞こえなくてできないのか分からなかったが、その人と話し、心が軽くなった

元々、私は高校の頃から言語聴覚士になりたくて、その大学を選ぶ、基準として、最初は、あのST学科、言語聴覚学科みたいなのがある大学に行くのか、それとも大学は、ちょっと関連する分野を学んで、まあ、その後に専門学校に行って資格を取るかっていうところで、まあ、ちょっと考えて。
ただ、いろんな高校の先生たちの助言もあり、大学はちょっと回り道して関連する勉強を学んでもいいんじゃないというところで、じゃあ大学は、まあ普通にちょっと、それに近い福祉とか、医療とか、そういうことを勉強してみようかなというところで。

――何か言語聴覚士になりたいって思ったのは、やっぱりご自身のことがあってですか。

そうです。中学生のときに初めて東京の病院に行って、そこで初めて言語聴覚士の先生に会ったんですけど、そのときに初めて私がその話している人の口の動きを見ているっていうことを指摘されて。  それまで自分ではべつに口を見ているとか、そういう意識もなかったんですけど、でもやっぱりこう口を隠されて話す、されると全然分かんなくって、「ほら、やっぱり口見ているんだよ」っていう指摘をしてくれたりとか。  それまでは何ていうか、その自分が聞こえなくてできないのか、自分の能力が低くてできないのか分かんないこと、その区別ができないこともいっぱいあったんですけど、やっぱりこれは聞こえないから難しいことだよねとか、何かこうちょっと自分の心が軽くなったっていうのがすごく衝撃があって、あ、こういうふうになりたいな、って、ざっくりとあこがれを持ったのがきっかけです。

――具体的にどんなことがあったんですか。

何か、そう、ぴんと今思い出せないんですけど。何というのか。ちょっと、多分話はずれるかもしれないんですが。例えば、教室の椅子、椅子もカバー付けたりすると騒音がなくなるから聞こえやすいでしょうみたいな。それ全然そんな発想はないんですよ。私は何かうるさい中でもちゃんと先生の顔をじっくり見て聴くのが当たり前だと思っていたんですけど、そんな頑張らなくていいじゃないみたいな。っていうことに気付かされたっていうか、何か、そういうところがやっぱり大きかった。