インタビュー時年齢:53歳(2020年2月)
障害の内容:視覚障害(光覚あり)
学校と専攻:大学・理学部(1989年度入学)、大学院・自然科学研究科(1993年度入学)

関東地方在住の男性。1歳8か月の時に麻疹により失明。北海道の盲学校に中学部まで在籍した後、東京に出て国立の盲学校高等部に進学した。専攻科で鍼灸師の資格を取得した後、大学に入り数学を専攻して1998年に博士号を取得した。大学教員になったが、非常勤や特任契約での採用ばかりで、現在勤務する大学で初めて常勤職を得たのは50歳のときだった。

プロフィール詳細

聡(さとし・仮名)さんは、1歳8か月の時に麻疹で視力を失い、今は光がわかる程度である。中学までは北海道で、盲学校の幼稚部の時代から親元を離れて寄宿舎生活をしていた。母にできるだけ広いところに行って勉強してきなさいと勧められ、高校からは東京に出て、全国から志を抱いて生徒が集まる国立の盲学校に進学した。しかし、当時は視覚障害者の大学進学は一般的ではなく、家族も鍼灸の資格を取って自立することを期待していた。それでも高等部に全盲の数学の先生がいたこともあり、自分も好きなことを見つけて勉強してみたいと思って、大学を受験したが失敗した。やむなくいったんは高等部専攻科に進み、鍼灸師の国家資格を取得した。しかし、鍼灸を一生の仕事にする気にはなれず、再度大学を受験して合格し、その大学で初めての「数学専攻の目の見えない学生」となった。
 自分の受験の数年前から盲学校とその大学の間では数学科の受験について協議が重ねられていたが、受験が認められたのは学科長の交代により、アメリカ留学中に見えない学生と一緒に学んだ経験をもつ人が学科長になったためらしい。数学科の場合は板書が多いので、教員にはそれを言葉にして説明してくれるように頼んだり、試験の時は別室で点訳された試験問題を解いて、出題者の前で読み上げて転記してもらう形で受けさせてもらったりしていた。テキストに関しては他大学で数学を学んだ先輩たちから点訳されたものをデータでもらうこともあったが、点訳されていないものはボランティア団体に依頼していた。
 大学に入学した時に同級生より3年上の年齢だったのであまり周囲に溶け込めず、勉強以外では盲学校時代の友人たちと一緒に過ごすことが多かった。初めての「見えない学生」として入学した大学だったが、自分が入学した後はほとんど毎年のように視覚障害の学生が進学してくるようになったので、後輩は大勢いた。学部の3年の頃から別の大学の盲ろう者の会に出入りするようになって人間関係が広がり、そこで後に妻となる女性とも出会うことができた。
 大学院に進む際は合格するかどうかおっかなびっくりで、入ってからも修士論文でオリジナルな結果が出せれば嬉しいと思っていたが、意外と簡単に結果が出たので、これなら研究職で行けるだろうと思って博士課程に進学した。ところが実際には研究職は苦労の連続で、なかなか大学の教員としての常勤ポストが得られず、長い間日本学術振興会の特別研究員や特任教員として働くことになり、現在の大学で初めて常勤職を得たときには50歳になっていた。かなりの数の論文も書いていて、応募した公募の数は100を超えたと思うが、障害者差別解消法ができる前だったこともあり、面接にすら呼んでもらえなかった。
 日本国内で視覚障害を持って大学で数学を教えている人は恐らく今は自分一人だろうが、海外には第一級の数学者で目が見えない人はたくさんいる。そもそも数学は同じ理系でも実験などがある領域とは違って、特別な機材を必要としない。今は数式を書くのは晴眼者も視覚障害者もコンピュータでTeX(テックまたはテフ)というソフトを使うので、書く上での障害はない。出版された論文のPDFについては2000年頃までは点訳者に頼るしかなかったが、Infty Reader(インフティリーダー)が開発されてからはPDFの数式をテックに読み出すことができるようになったので、ボランティアに頼らずに論文を読むことができるようになり、自分が書く論文の数も飛躍的に増えた。
 一方、晴眼者の学生を教える立場になると、板書ができないので、パソコンで作った資料をプロジェクターで映したり、資料を配ったり、TA(ティーチングアシスタント)に必要な個所を板書してもらったり、といった工夫が必要となるが、こちらもBeamer(ビーマー)というソフトでTeXを使ったプレゼンテーションを作ることができるようになってかなり楽になった。いまだに数学は板書を写すことで学ぶものだと考えている人がいるが、自分はそうではないと思っている。
 障害者差別解消法ができて、鍼灸やマッサージしか道がなかった自分たちの時代とは違って、視覚障害の学生たちが大手の企業にも就職できるようになったのは大きな進歩だ。同時にパソコンやスマホといったテクノロジーの進化でバリアが格段に少なくなってきた。それでも数学を専門に研究するポストに着くことは非常に難しく、現在自分がいるのも数学そのものではなく障害者教育支援を専門とする部門である。数学は視覚障害者に向いている学問だと思うので、数学コミュニティにもっと障害者を受け入れる土壌が醸成されることを望んでいる。

私は: です。

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